悲しみの起源

安達 直樹

「どうして、小林秀雄を知りたいのか」

小林秀雄に学ぶ「池田塾」に通いながら、私はこんな疑問に捉えられていました。そして、これを自問自答することが、「本居宣長」の重要なテーマのひとつである「歴史」というものを知ることに繋るのではないかという、ぼんやりとした予感がありました。

この疑問に端的に答えると、「小林秀雄を尊敬し、信頼しているから」となります。とは言っても、私が小林秀雄に対してこのような思いを抱くようになった時には、小林秀雄はこの世にはいなかったのです。当たり前のことですが、私は小林秀雄とは面識がなく、ただ著作の中の言葉を読むことだけで、小林秀雄という人間を尊敬し、信頼しているのです。

『すべてココロコトも、コトバを以て伝うるものなれば、フミはその記せる言辞コトバムネには有ける』(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集154頁)

遺された書を通して過去に生きた人物を訪ねようとする人たちにとって、この宣長の言葉は受け入れやすいものだと思います。それでも、その言辞から、眼前に生きる人を蘇らせ、『古への手ぶり言とひ聞見る如』き共感に至ることの困難を、著作と向き合うなかで幾度となく味わいます。しかし、共感し得たと感じる瞬間には、何物にも代えがたい大きな喜びを感じるものではないでしょうか。

 

「本居宣長」を読むと、『事しあれば うれしかなしと 時々に うごくこころぞ 人のまごころ』(同71頁)、『わが心ながら、わが心にもまかせぬ物』(同71頁)という宣長の歌や言葉を受けて、『事に触れて心が動くとは、私は全く受身で、無力で、私を超えた力の言うがままになる事だ』(同71頁)と小林が言うように、私たちの心は、私たちの思いの届かない場所で、事や物に触れて動く姿だけを私たちに示します。この「心の自律性」と「私の受動性」というのも「本居宣長」の大切なテーマだと思います。私たちは常に事や物に接して、情〈こころ〉が躍ったり、荒ぶったり、時には支配されたりしています。赤ん坊の微笑みに接して、その子の喜びに満たされることがあり、富士山を眺めれば、自分が富士山になっている瞬間がある、というように。そうなると、「もののあはれ」とは、事や物に接して動く情〈こころ〉の姿や状態のすべてを指し示す言葉だと言ってもよいのではないかと考えるようになりました。人が共通して持つ、この動く情〈こころ〉の姿や形、そしてその成り立ちを感得することが、「もののあはれを知る」ことだと思います。自分の思いを汲んでくれない『心にかなはぬ筋』(同第27集150頁)に接するとき、心は波立ち、深い「もののあはれ」を感じます。特に親しい人の死に接するとき、「心にかなはぬ筋」という思いを最も強く感じることを、私たちはよく知っています。このような「心にかなはぬ筋」にどうしようもなく動いてしまうという情〈こころ〉の成り立ち自体に、悲しみを生み出す構造が備わっているように思えてくるのです。

 

私たちは「心にかなはぬ筋」の「もののあはれ」にまみれながら、一方で、自然や他人に共感しながら生活をしています。『空の彼方に輝く日の光は、そのまま「尋常ヨノツネならずすぐれたるコトのありて、可畏カシコき物」と感ずる内の心の動きであり、両者を引き離す事が出来ない。そういう言い方をしていいなら、両者の共感的な関係を保証しているのは、御号ミナに備わる働き』(同第28集111頁)とあるように、情〈こころ〉を動かす物や事と、情〈こころ〉の動きやその姿は引き離すことのできないものです。この関係を、小林は「共感的」だと表現します。これが最も純粋な「共感」と呼べるものであり、言葉の働きを鋭く言い表した表現です。さらに、普段私たちが他人や自然との間で取り交わす共感は、他人や自然の「もののあはれ」と、自分の「もののあはれ」が重ね合わさった状態のようにも感じられるのです。

親しく、一緒に暮らしている人との間には、共感しているという自覚も生まれないほど共感しているものです。私の妻や子供たちは、私の一部と化しています。他人の死に対して、小林が書くように『死んだのは己れ自身だ』(同199頁)とまで感じた経験はありませんが、親しい人の死や病に接して、自分の一部が欠けたと感じたり蝕まれていると感じたりした経験はあります。その経験を思うと、絶えず「もののあはれ」を重ね合わせて自分の一部と化している人の死によって、自分自身の「もののあはれ」の一面が、重なり合っていた相手を喪失する経験をしているような気がしてなりません。この「心にかなはぬ筋」の最たる経験、情〈こころ〉が共感していた相手の喪失からは、最も強い悲しみだけが生まれ、基本的には言葉は生まれてこないものだろうと思います。深い悲しみと喪失感の中から、「あの人は、もう還ってこない」という事実追認の言葉を意識的に拾い上げるほかはなく、その行為と同時に、有るのか無いのかも判然としない「死の観念」を立ち上げることを強要されているように感じます。

 

宣長が「古事記」を通じて向き合った神代〈かみよ、じんだい〉の人々は、現代とは比べものにならないほど一緒に生活する仲間と共感し合って、他人を自分の一部と化して暮らしていたことでしょう。このような想像ができたとしても、「古事記」を読み、宣長が成し得たように『神道の此安心は、人死候へば、善人も悪人もおしなべて、みなよみの国へ行く事に候』(同192頁)と神代の死生観を感得して、さらにそこから『安心なきが安心』(同194頁)という悟りに至るのは、あまりにも困難なことだと思います。

数年前、池田塾の塾生と松阪を訪れた際に、本居宣長記念館の吉田悦之館長が「宣長の奥墓や自画像は、自分を思い出してもらうための仕掛け、装置ではないか。魂は黄泉の国に行くが、思い出してもらうことで救われると思っていたのでは」と言われ、人というものはそういうものだと納得したことを記憶しています。これは、普通の人にも自然に生まれてくる思いでしょう。しかし、自分の天命をはっきりと知った天才とは、さらに「遺す」という自覚を持った人たちです。

『豊かな表現力を持った傑作は、……無私な全的な共感に出会う機会を待っている……新しく息を吹き返そうと願っている』(第27集139頁)

小林は古典をこのように表現します。ここは「本居宣長」のなかで、私が最も心を動かされた箇所のひとつです。その理由は、これが、小林の願いでもあったと直感したからです。

 

事に触れて共感し、動き続ける情〈こころ〉をその最深部に持っている人間ですが、動く情〈こころ〉をすなおに見つめて、言葉に備わる言霊によって、言葉にしていく道はあり、その動く情〈こころ〉の姿を、そのまま伝えることができるということが「本居宣長」で語られています。小林も屹度、『人の心中に、形象を喚起する言語の根源的な機能』(第28集13頁)を信じ、『人に聞する所、もっとも歌の本義』(同53頁など)と考えながら、文章を練り上げていったのだと思います。私は、そのようにして小林が「遺した」言葉と共感し、小林の思いを我がものにしたと感じるときに大きな喜びと安心を感じます。言葉に己を託した小林との共感の内で、また、信頼する精神と時間を超えて繋がる喜びのなかで、私は、最も素朴な意味での「歴史」というものを観じます。そして同時に、小林と共感する己の精神を感得するのです。

 

不思議なことですが、小林と共感し得た喜びを言葉にした途端に、もの悲しい心持ちになります。これは、小林秀雄という誠実な「まごころ」が私の情〈こころ〉に直接的に喚起する「もののあはれ」であるような気もしますし、共感する小林が「今、ここにはいない」という事実によって、共感を表現するたびに彼の喪失を経験して歎いているようにも思われるのです。

(了)