なぜ歌を詠むのか

村上 哲

「歌を詠む」

何気なく使う言葉だが、不思議な言葉だ。なぜ、歌を「詠む」のだろう。

 

小林秀雄に学ぶ塾の課外活動として、古言によって和歌を詠まんとする歌会が始まり、早や四年。一拍遅れて参加した私の電子封書目録に残っているだけでも、五千通以上が並んでいる。その殆どが、歌の投稿である。私はといえば、三ヶ月毎の歌会に参加する他は、風の変わり目や、何某か染み入る思いをした時に詠む程度であるが、折に触れて歌と古言を意識する日々は、少なからず驚きや喜びがあり、詠めそうで詠み切れないもどかしさに苦心する楽しみがあった。それは、私が楽しみ続けている数学や物理のそれと、同種のものと言っていいだろう。そんな中で、歌を詠むたびにふと頭を過ぎっていたのが、冒頭の疑問である。

勿論、単純な字義の上でなら、「詠む」とは「言を永める」、つまり歌うという行為そのものを指している事は見て取れるし、昔は「ながむ」とも読み、やはり同じく、声を長く出す事を指していたのだとは飲み込める。だが、問題はそこではない。問題を立て直すならば、なぜ、歌う事、あるいは歌を作る事を、「よむ」と言うのか。なぜ、「うたう」や「つくる」ではなく、「よむ」なのか。

現代の一般的な感覚で言うなら、歌を作る事はもちろん、歌う事自体と「よむ」は、無関係ではないにしろ、それほど強く繋がっているとは思えないだろう。声を出す場合で言えば、むしろ、歌のように拍子を付けたり声を伸ばしたりしない読み方こそ、「よむ」と言う印象が強い。とはいえ当然、「よむ」は昔からある言葉であり、まして「歌」に対し「よむ」という用法は、それこそ昔ながらのものなのだから、現代の感覚や用例ではなく、かつて「よむ」がどのような形で使われ、そこにどのような生活や思いがあったのかを、想像するべきだろう。

 

では、昔の人たちは、「よむ」をどのように使っていたのか。とは言え、私は浅学寡聞の身にて、あまり多く物事を引き出し比べる事は出来ない。それでも、「よむ」という言葉を吟味する、特に、古言によって歌を「よむ」という事の味わいを深める上ではずせないと思う名には、一つ、覚えがある。

つまり、月讀命つくよみのみことである。

ご存じの通り、月讀命は、火の神を生むにより神避かむさりましき伊邪那美命いざなみのみことを相見むとおもほして黄泉よみのくにへ追い往きし伊邪那岐命いざなぎのみことが、伊邪那美命と語らひ給ふも、既に黄泉よもつ戸喫へぐひしき伊邪那美命を見畏みかしこみて逃げ還り、黄泉比良坂よもつひらさか千引石ちびきのいはで引きへて、そのいはを中に置き、最後に言を交はし給ひて後、阿波岐原あはきはらにてみそぎはらい給ひし時成れる神々の中で、生み生みて生みのはてに得給ひし三つ柱の貴き子、その一柱ひとはしらである。

すなわち、於是洗左御目時、所成神名、天照大御神。次洗右御目時、所成神名、月讀命。次洗御鼻時、所成神名、建速須佐之男命(ここに左の御目を洗い給ふ時、成れる神の名は、天照大御神あまてらすおおみかみ。次に右の御目を洗い給ふ時、成れる神の名は、月讀命。次に御鼻を洗い給ふ時、成れる神の名は、建速須佐之男命たけはやすさのおのかみ)。

さて、この月讀命という神様もまた不思議な神様で、伊邪那岐命がいたく喜びて詔り給ひし三つ柱の貴き子のうち、他の二柱ふたはしらの神が古き事のふみの上つ巻にて大立ち回りを演じる中で、ただ一柱、月讀命だけが、生まれた後、伊邪那岐命によりて夜のす国を知らしめよと事依ことよされるくだりよりしもで、とんと現れなくなってしまう。

勿論、名だけを成してそれ以降現れなくなる神は、他にも数多くいる。というより、古き事の記に成りませる神の殆どは、名を成してそれきりと言ってしまえるだろう。

では、それらの神々や月讀命は、特に注意を払われず、脇に置かれるような神様だったのだろうか。そんな事は、決してない。表れる言少なき神を見過ごすというのは、万の言しげき、後世風の発想と言ってもいいだろう。古に言少なしと言う事は出来ても、古の心浅きなどと言う事は、決して出来ない。むしろ、言少なき古なればこそ、ただ神の名を呼ぶ、その重みは、見過ごせない。

では、月讀命とは、いったい如何なる神様なのか。あえて分析的な言い方をするなら、論を待つまでもなく、天照大御神は昼に浮かぶ太陽の神性であり、月讀命は夜空に浮かぶ月の神性であり、建速須佐之男命は強く優れて荒ぶる男の神性であろう。だが、こんな物言いをしたところで、いったい何を言った事になるだろうか。言葉を知るとは、こんな物言いをする事ではない。重要なのは、神の名を呼ぶ人々が、そこにどれほど可畏かしこきものを見ていたのか、そこに思いを染めなければならない。「言意並朴ことばこころなみにぼく」なる古の人々にとって、神の御しわざこそが神の姿であり、神の名であったはずだ。

 

月は、古の人たちに、いったい何を見せていたのか。

ここで少し話は戻るが、「よむ」は、「数む」とも書かれていた。すなわち、一二三と数える事もまた、「よむ」と呼ばれていたのだ。と言うよりむしろ、そちらの方が、本にあったのではないだろうか。月讀命と言う名を詠む時、私には、そう思わされるものがあった。

高照らす日は、今日が訪れ、また過ぎ往く事を教えはするが、過ぎ去りし日々を教えはしない。それは今日という生活の要求に答えはするが、昨日の生活を思い起こさせる事はないだろう。そうして過ぎ去りし日々を教えるのは、満ちては欠ける、月だったのではないだろうか。

月の満ち欠けを数える事は、そのまま、過ぎ去りし日々の生活に思いを馳せる事だ。そして、欠けた月がまた満ち、同じ姿を取り戻したとしても、それは決して、同じ生活を導きはしない。そこに生まれるものこそが、思い出すと言う心の働きだろう。それは必ずしも、生活の必要に応じてまろび出るものではない。しかしそれは、生活への自覚を育む、ただ一つの手段だ。

奈良の都の八重桜を、今日九重に染め上げるのは、こうした、「よむ」という行いであろう。だからこそ我々は、月を讀み、歌を詠むのではないだろうか。

 

今回、なぜこのような事を書いたか。それは、はじめに言ったように、日頃から、「歌を詠む」という言葉に、妙なる響きを感じていたからだ。だが、こうして話を終えて見た今、もう一つ、不思議な縁を感じている。

それというのも、私が詠んだ歌の中で、ぱっと思い出せるものは、月に関するものが多いのだ。というより、私の中で自ずからまろび出る歌は、月に関する歌ばかりだと言ってもいい。その事を別段企図したわけではない、どころか、書き上げるまで思いもしていなかったが、こうして改めて眺めてみると、やはりこれは、必然なのだろう。歌は必ずしも自分の事を詠むわけではないが、歌を詠むのは、やはり自分なのだ。

最後に、思い出した歌の中でも、特に、今回書いた事を詠んでいると思うものを、一つ、置いておこうと思う。

 

月よみて 日つぎかしこみ 語らるる 天つみことぞ しむる有明

(了)