「小林秀雄に学ぶ塾」のこと

池田 雅延

平成十六年(二〇〇四)の秋であった、六度目の「小林秀雄全集」となる『小林秀雄全作品』(新潮社)の第26集「信ずることと知ること」の編集を進めていた私は、巻末に収めるエッセイを茂木健一郎さんに頼んだ。雑誌『考える人』に「脳と仮想」を連載し、その第一章で「小林秀雄と心脳問題」を書いていた茂木さんは、見事に期待に応えて下さった。小林秀雄の本領を端的に知ってもらおうとすれば、前々からの読者にも、これからの読者にも、茂木さんのあのエッセイを薦めるにくはないとまで私は今も思っている。

それからしばらくして、今度は茂木さんから私が頼まれた、――小林秀雄さんについて詳しく知りたいのです、小林さんのことを聞かせて下さい……。小林先生の晩年、私は先生の本を造る係として、十一年六ヶ月の間、お宅に通って謦咳けいがいに接した。茂木さんは、そういう私の「小林秀雄体験」を聞きたいと言われたのである。むろんよろこんで引き受けた。

当初の一、二回は、酒も入れての面談であった。ところが、ほどなく茂木さんが言われた、――これほどの話を、自分独りで聞くのはもったいない、日本の将来を背負う若者にこそ聞いてほしい。若い人たちに呼びかけて、塾をひらかせて下さい……。こうして平成二十四年二月、二十五人の若者たちを迎えて「小林秀雄に学ぶ塾」が始まった。

最初の一年は、小林先生の「美を求める心」(『小林秀雄全作品』第21集所収)の講読というかたちをとった。小林秀雄は何から読むのがいいですかと訊かれると、私は老若男女を問わず、「美を求める心」をまず読んで下さいと答える。「美を求める心」は、小中学生に向けて書かれた文章である。したがって、先生の他の文章に比べて断然読みやすい。だがそこで言われていることは、大人を相手にした文章で言われたことのエッセンスである。先生の批評家生活は六十年に及んだが、「美を求める心」はそのほぼ真ん中頃に書かれ、そこには前半三十年のエッセンスが流れ入り、後半三十年のエッセンスはここから流れ出ていると言っていい。長さは『全作品』で十ページほどだが、一年かけて行間まで読み上げた。

茂木さんとしては、できるだけ多くの若者に聞いてもらいたいという思いから、塾生は一年ごとに入れ替えるつもりだった。ところが、第一期生二十五人のほぼ全員が留年を希望した。私が取り次ぐ小林先生の言葉を、もっと聞きたいというのである。では次は、何を読むか……。彼ら彼女らの真剣な表情を見て、私は「本居宣長」を読むと決めた。

彼女ら彼らと一年暮らして、私は確信していた。この人たちに聞いてもらうのは、小林秀雄に関する知識ではない、小林秀雄がいかに緻密に、いかに繊細に、いかに慎重に本を読んだか、そして生きたか、その厳しさと温かさを伝えることこそ肝心だ、私が小林先生の身近に十一年半いて覚えた畏怖と緊張と感喜、それを塾生たちに身体で感じてもらうこと、それこそが次の世代に小林秀雄を伝えるということだ……。

となると、読む本は、「美を求める心」の後は「本居宣長」を措いてなかった。「本居宣長」は、小林先生が本居宣長を論じた本ではない、「本居宣長全集」をどう読み、どう考えたかを子細に告白した本である。その「本居宣長」を、小林先生が「本居宣長全集」を読んだと同じように読む、読んでそこから先生がいかに生きるべきかを考えたように、塾生諸君それぞれの人生をそれぞれに考えてもらう……。以来四年、毎年留年生が大量に出続け、今では五十代、六十代、七十代の人たちも迎えて、総勢百人を超えている。

小林先生が、「本居宣長全集」を読んだように、小林先生の「本居宣長」を読む、具体的には、どう読むか……。

まずは、時間をかける――。小林先生は、「本居宣長」の執筆に少なくとも十二年六ヶ月をかけた。そうであるなら、それを読む私たちも十二年六ヶ月をかける。「本居宣長」は全五十章から成っているが、これを第一章~第五章、第六章~第十章……というふうに十等分し、一と月に五章ずつ、一年かけて最終章まで読み上げる。二年目は最初に戻り、第一章~第五章……と読んで最終章まで行く。三年目はまた最初に戻り……で、これを計十二回繰り返す。あたかも螺旋階段を一周ずつ上るようにである。本を読む極意として、「読書百遍」という言葉があるが、百遍は無理としても十二遍は繰返す、これこそは小林先生の本の読み方だからである。

次いでは、質問する――。一と月に五章ずつ読むと言っても、これは各人が、である。月に一度、全員が集まる塾の席では、その月の熟読対象としている五章に即して、三人ないし四人が質問する、その質問に池田が答える。が、池田が答えると言っても小林先生ならぬ身の池田に答えられるわけがない。池田が答えるのは、その質問が、小林先生が「本居宣長全集」を読んだと同じ読み方で「本居宣長」を読み、そのうえで行われているかどうかということと、行われていない場合はどこをどう間違ったかである。

小林先生は、私たち人間は、この複雑な人生に答を出すなどということはできない、しかし質問することはできる、何事にも答を出そうとばかりせず、上手に質問しようとせよ、上手に質問できればすなわちそれが答だ、と言われていた。上手な質問とは、答を相手に頼るのではなく、自分自身で予測したり、仮定したりして自問自答を繰り返す、そのときの「自問」である。予測する答は究極の目的ではない、質問を正しく行っているかどうかを自ら検証するための合せ鏡である。

小林先生が「本居宣長全集」を読んだ読み方とはこうだ。決して文意を取ろうとはせず、それを書いた宣長の気持ちを汲みながら読む、ここを書いているとき、宣長はどういう思いでいたか、というふうに想像力をはたらかせて読む、そうしているうち宣長に尋ねたいことが様々に浮かんでくる、その尋ねたいことを誰の力も借りずに解いて得心するため、三度四度とまた宣長の文章を読み返す、そういう読み方である。

本誌『好・信・楽』に掲載していく「『本居宣長』自問自答」の文章は、いずれも「小林秀雄に学ぶ塾」での「質問」から育ったものである。本誌の刊行意図は、こうしてこの先なお八年続く私たちの自問自答の一歩一歩を跡づけていくところにある。

(了)