編集後記

坂口 慶樹

2018年も、早や3月号の発刊を迎えた。

先日、富士山麓にあるクレマチスの丘を訪れた。冷たい風が吹きつけるなか、いまだ冬枯れしている芝生のなかに見つけたクロッカスは、黄色のつぼみを大きく膨らませ、春を今かと待ちながら、優しく微笑んでいるように見えた。私たちの塾でも、この時季恒例の入塾募集を終え、4月からの新しい仲間との出会いを、首を長くして待っているところである。

まさに今回の巻頭随筆には、入塾を希望されている方や、入塾後間もない方のことも念頭に置きながら、塾生最若手の一人である原弘樹さんが、この塾で自問自答を行う、ということについて、自身の実体験を通じて体感・体得したことを、率直に記された。

 

 

今号の「本居宣長『自問自答』」には、金田卓士さんと小島奈菜子さんが、山の上の家での質問内容をもとに、さらに一歩思索を深めた成果を寄稿された。

小島さんは、小林先生が使っている「しるし」という言葉の意味について、以前より自問自答を続けている。自ら声を発し、自らその声を聞く。発声したものを心にぴたりと合致させる努力が結実した時に、言葉という「徴」が生まれるのではないかと、そんな思索を重ねる小島さんのすがたを見ていると、「之ヲ思ヒ之ヲ思ヒ、之ヲ思ツテ通ゼズンバ、鬼神将ニ之ヲ通ゼントス」という荻生徂徠の言葉が聞こえてきた。

金田さんは、今回の自問自答を通して、大学時代に荻生徂徠の『論語徴』について教えを受けていた恩師が、化するがごとく、音楽や絵画などの「物」に直に触れるという体験の大事を、身をもって教えてくれていたことを思い出し、恩師への感謝の念を、そして、もの学びへの思いを新たにされている。

 

 

今月は、教鞭をとっておられるお二方にも寄稿頂いた。

大島一彦さんは、大学で英文学を研究されている。親しく教えを受けたという松原正氏は、小林秀雄先生とも交流があった。今回は、松原氏から聞いたその交流の具体的な様子について、以前発表されていたエッセイを、本誌に転載頂いた。思えば、3月1日は、小林先生のご命日である。塾生にとって、先生のありし日の姿は、今となっては想像するしかないのだが、大島さんの文を読んでいると、小林先生の姿がまざまざと映じ、あの甲高い肉声も、直に聞こえてくるようである。

「人生素読」の長谷川雅美さんは、大学院のゼミで学びつつ、高校で国語を教えておられる。池田塾頭による新潮講座にも長く通っており、小林先生の文章の素読を通じて自得したことも踏まえて、授業に工夫を凝らしておられる。長谷川さんと生徒達との教室での生き生きとしたやりとりが鮮明に活写されており、その場にいるかのような心持ちになる。

 

ちなみに、新潮講座は、現在「小林秀雄の辞書」というテーマで、毎月第一木曜日に開講中である。小林先生の文章中にある言葉を、毎回2語ずつ取り上げ、それがどのような意味合いで使われているか、池田塾頭が厳選された、その語が使われている文章を素読し、参加者どうしの対話も含め、味読を深めつつ体得していく場となっている。塾生及び本誌読者の皆さんのご参加をお待ちしている。詳しくは、以下のURLをご参照ください。

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01k3a4zccv2i.html

 

 

謝羽さんは、本誌初となる小説を寄せられた。謝さん自身としても初めて書いた小説になる。大江匡衡おおえのまさひら赤染衛門あかぞめえもん、とくれば、舞台は平安中期であろうか、もはや塾生には馴染みの人物であろう。次号との2回分載であり、早くも次号の展開が気になるところではあるが、まずは今号をじっくりとお愉しみ頂きたい。

 

 

以上のように、今月は、塾生最若手の一人である原さんに始まり、新潮講座に参加されている長谷川さん、そして、謝さんの小説、というように、全体として新しい動きも感じられる誌面になったように思う。

まだまだ寒い日もあるが、ひと作品ずつ味読頂くとともに、誌面からわき上がる、あの、浮き浮きするような春の香を、その萌しのようなものを感じ取って頂ければ幸いである。

(了)