「人生如何に生くべきか」ということを生涯のテーマにした小林秀雄が、刊行までに十二年かけた大著「本居宣長」、その晩年の大著に編集者として寄り添った池田雅延氏とともに「本居宣長」を読む。場所は、それが執筆された鎌倉の通称「山の上の家」だ。いつも静かで、光の中、鳥たちの声に囲まれている。かつての主の椅子は塾生と共に部屋にあり、書斎もステレオも生前のままである。庭から見える相模湾は、季節ごとに朝昼夕といろいろな景色を見せてくれる。学びにかける歳月は、小林秀雄が刊行までにかけた歳月と同じ十二年。それらをひっくるめて“奇跡”だと思う。
私は、この「小林秀雄に学ぶ塾」が開かれた2012年から参加し、今年(2017年)で6年目となった。1年目は「美を求める心」を学んだ。「本居宣長」が対象となったのは2013年からである。私は毎月、広島から通っている。それを聞いて、すごいですねと驚く人がいる。どうしたらこの“奇跡”をうまく説明できるのだろうか。自分自身の当たり前も、人にとっては、すごいことになるのだ。
だから、余計にでも、他の人にこの感動を伝えたくなる。2015年から「池田塾in広島」を開かせていただいているのも、そのためだ。鎌倉の「小林秀雄に学ぶ塾」を、私たちは皆「池田塾」と呼んでいるが、果して、広島での参加者も、瞬時にと言っていいほど、池田塾頭の語る小林秀雄の魅力に捕えられた。ある中学校の校長先生は、翌日の朝礼で全校生徒にそのことを伝えられた。また、ある学生は、家に帰るなり、玄関で「お母さん、産んでくれてありがとう。こんな世界があるなんて知らなかった」と言ったそうである。
池田塾の学び方は、塾生一人ひとりが「本居宣長」を読んで、約300字の小林先生に向けた「質問」を提出する。池田塾頭はそれらを順次取り上げ、小林先生はこの質問にはこう応じられるであろうと話される。往々にして厳しい叱咤が飛ぶ、塾頭の脳裏に閃く小林先生の叱咤である。
塾頭は、質問者の質問の一点を衝いて、「そこにつまずいた」と表現されることがある。どこに「つまずく」かは、無論、人それぞれなのだが、そこから考え始めるということの自覚を促されている。私が当初、質問を作る時には、何かしら、小林秀雄の思想の本質をつかもうとでもするかのような、身の丈に合わない気負いがあった。その結果はどうだったかというと、ちゃんと「つまずく」ことができなかったように思う。最初の目標が大雑把すぎるということもあるだろう。しかし、正しく質問が作れなかったのは、私一人だけの問題でもないようだ。
塾頭は、よく「大学入試に問題がある」と指摘される。塾頭の話はいつも、小林秀雄がどういうことを語ったかを受け継がれているが、大学入試についても同じである。長く試験というものは、“正解”を強要するものであった。生徒は「先生は何かを隠している。それを当てればよい」ということになった。どんな科目でもこのパターンは変わらない。国語の長文読解もそうだ。自らを振り返ってみれば、知らず識らず、せいぜい数頁ほどの極々短い文章の中に “隠された正解”を探ろうとしていたのではないだろうか。そんなことを繰り返しているうちに、本文の全体像を読み取るということが、できなくなっていたようだ。
“正解”があるかのような勝手な思い込みは、質問を作る時に邪魔になる。大体、ここは学校ではないし、“正解”を速く類推するのを競う場所でもない。小林秀雄の著作を読み、「人生如何に生くべきか」を考える「塾」なのである。塾頭は、小林秀雄の批評家としての歩みを概括して、「人生如何に生くべきか、ということを生涯のテーマとした」と言われた。そして、その著作はどれも「結論を書いていない」。なぜなら、「人間誰一人として人生の結論など出せるわけがない、それが小林秀雄の結論」だからである。そのような作品を前にして、何が“正解”かもないだろう。また、小林秀雄が文章を書くにあたって、どれだけ言葉について考え抜いたか、それゆえに、本文を読むに際しては、小林秀雄の一語一語の選択に注意を向け、そこを書いているときの小林秀雄の心持ちを推し量りながらたどっていく必要があることを教えてもらった。つまるところ、本文を書く小林秀雄の事を想像できなければ、本当に読んだことにはならないのだと思う。これは他の作者の文章を読むときも同じであろう。
質問は自問自答という形で作成するのだが、本文を離れた独りよがりな空想や、他の思想家等を持ち出して、解釈のようなことをすることを、塾頭は厳しく戒められた。「つまずいた」ことは、私にとって意味があるし、そのことで自分を知ることもできる。あくまでも「本文熟視」こそ肝要で、「つまずいた」箇所から「最低でも前後十頁は読み返す」こと。そこには、必ず小林秀雄が、その言葉なり、文なりを表現した意味合いが読み取れる。なぜなら、「そういう風に小林先生は文章をお書きになった」からである。また、小林秀雄を語ったり、論じたりする者が陥りやすい「観念の遊戯」も厳に戒められた。小林秀雄が「人生如何に生くべきか、ということを生涯のテーマとした」ということは、何度でも思い出すべきことだと思われる。何も「いたずらに難しいことを書いたわけではない」のである。
また、本文から離れてしまうことを、塾頭は「精神の緊張に耐えられないせい」だと言われた。自分が「つまずいた」ところを、早く解決したくなり、考えが勝手に飛躍してしまいがちになるのだ。小林秀雄は「思考力の持続」の大切さを言っていたそうだ。この二つはものを考えるに際しての必須だということだろう。
この同人誌『好・信・楽』は、“小林秀雄に問うという奇跡”にでくわした多士済々の塾生たちの小林秀雄への質問・自答と、塾頭の「小林先生ならこうお答えになるに違いない」という返答の、真摯なやり取りであふれるだろう。感動は確かにあったのだ。「本居宣長」という畢生の大業を読みぬき、本意をつかみ取る上でこれほどの同行者はもう二度と現れない。きっと多くの人たちが、塾生一人ひとりの生きた学問の足取りの音を、また小林秀雄の著作をその生涯にわたり「好み、信じ、楽しんで」きた塾頭の声を聞き取り、受け取ってくれると信じている。
最後になりますが、このような“奇跡”を起こしてくださった茂木健一郎さんには、どんなに感謝しても、感謝しきれない思いがしています。
(了)