「物質と記憶」と「古事記」を素読して

有馬 雄祐

「小林秀雄先生の思索は、生涯にわたってベルグソンとともにあった」と、池田雅延塾頭は言う。昭和33年(1958)、56歳の5月から『新潮』に連載されたベルグソン論の「感想」は、38年6月、第56回をもって打ち切られ、小林秀雄さんはそのまま「感想」の単行本化も全集収録も禁じられたというが、そのこと自体が小林さんにとってどれほどベルグソンが格別な存在であったかを物語っているように思う。

そこで、鎌倉の「小林秀雄に学ぶ塾」で「本居宣長」を読み始めて一年余りが経った頃、塾生の何人かがベルグソンのことも知りたいと思い、誰か専門家に来てもらって定期的に教えを受ける会を課外活動として始めたいと池田塾頭に相談したそうだ。すると塾頭は、それを聞くなり渋面をつくってこう返したらしい。

 

「ここは小林秀雄に学ぶ塾だ、ベルグソンのことを知りたいと思うなら小林秀雄に学べ、誰であろうと小林秀雄以外の人間がとやかく言うベルグソンを小林先生が喜ぶと思うか、だが小林先生は、自分のベルグソン論を封印してしまっている、かくなる上は道は一つしかない、君たち自身が独力でベルグソンを読んで、君たちなりの得心を得ることだ、方法も一つしかない、ベルグソンを素読することだ、小林先生が古典の読み方として強く奨めていた素読によってベルグソンとつきあうことだ……」

 

こうして2014年10月、「小林秀雄に学ぶ塾」の「ベルグソン素読会」が始まった、と聞いている。僕は未だ入塾していなかったから、幸か不幸かその場に居合わす事は出来なかったが、素読しか方法はないんだと語気を強くする池田塾頭と、それを聞きながら困惑している皆の顔を勝手に想像しながら、素読会が誕生した時のこの話を聞いた。

 

素読とは、文章の意味や内容を頭でわかろうとはせず、ひたすら文字を音読する本の読み方である。毎月一度の素読会では誰か一人が先ず声に出して文章を読み、それに続いて皆で声を合わせながらベルグソンの「物質と記憶」を読み進めている。2015年4月からは「古事記」の素読がここに加わり、会の名も「ベルグソン素読会」から「小林秀雄素読塾」へと改められた。僕はその回から参加している。「古事記」は先々月の4月に素読を終え、5月からは「源氏物語」の素読が新たに始まっている。

素読会は皆で一緒になってひとつの音楽を奏でているような感じがして、とても心地が良い。参加して間もない頃は皆で奏でる言葉の音楽を楽しみたいがために、僕にとっては一人で読むには少しばかり億劫ですらあった本を扱う素読会に通い続けた。そうして素読を始めてから今、二年と少しばかりの時が経っている。

 

先にベルグソン素読会が誕生した時の話を少し意地悪く想像したことについて書いたが、そんな想像を勝手にするのも、僕自身が素読というものに初めは懐疑的なところがあったからである。ベルグソンの「物質と記憶」は意識の問題を扱った哲学書だ。素読ではこれをひたすら音読してゆくわけだが、「頭を使わない哲学書の読み方などあるもんか」と内心で反抗しながら、言葉の定義を逐一確認してゆくような読みを一人で続けもした。こうした反抗は、僕が建築を学ぶ理系の学生で分析的な読み方に慣れていたこともあるのかもしれないが、一番の理由は、入塾してから日の浅かった頃は未だ、池田塾頭のこと、そして小林秀雄先生の言葉をきちんと信じることができていなかったからだと思う。ただ、ベルグソンの「物質と記憶」という著作は、それを手に取る多くの人にとって難解だ。池田塾頭によれば、小林秀雄さんですら最初は何が書いてあるかちっとも分からなかったと仰っていたというのだから、その難しさはもはやお墨付きであると言ってよいだろう。僕も読み始めた当初、こんなに難しい読みものがあってよいものかと思った。独りよがりな方法ではさっぱり読めなかった。

あんまりにも分からないから、ある時、「物質と記憶」を頭で読むことを諦めた。諦めたのと一緒に、池田塾頭の言葉を信じて、素読に打ち込んでみることにしようと思った瞬間があった。振り返ってみるとそれは、僕が「物質と記憶」を読めるようになるための最も大切な瞬間であったように思う。

 

ベルグソンの「物質と記憶」が読めなかったという話ばかり書いているが、素読会では「物質と記憶」だけを素読してきたわけではない。ちょうど先々月には「古事記」の素読をやり終えた。ここ「好・信・楽」では、僕が「物質と記憶」と「古事記」の素読をやってみて感じたこと、考えた事について書いてみたいと思う。まずは「本居宣長」ともより直接的に関係が深い「古事記」の素読体験から話を始めたい。

 

「古事記」は本居宣長が蘇らせた日本最古の歴史物語である。素読会ではこれを白文で素読した。白文とは、言ってみればただ漢字が並んでいるだけの文章であり、古典を読む訓練をしていない僕にとっては何が書いてあるのか分からない碑文のようなものである。とは言え、僕は一人で「古事記」の白文を素読するなんてことは出来ない。素読会では池田塾頭が先ず読んで下さる。だから僕がやることはと言えば、白文を眼で眺め、先生の声に耳を傾けながら、聞いた通りに音読すればいい。頭ではなく眼と耳を使いながら言葉と向き合う。そうやって二年間、池田塾頭の声に導かれるようにしながら「古事記」の素読を続けた。素読をし始めた頃は、読まれている箇所を追いかけることすら僕には難しかった。密かに迷子になったりもして、こんなんで大丈夫かなと思ったりもした。だけど、何度か素読を続けているうちに迷子になるような事は自然と無くなり、また、白文から「古事記」で描かれている情景が絵として浮かんできたりするようにもなった。「古事記」の文章がもつリズムに馴染んできて、ともかく親しみが湧いてきた。それが素読による言葉の体験を最初に実感した出来事であったように思う。

「現代人は意識出来るものに頼りすぎている。意識は氷山の一角に過ぎないなんて生意気な事を言いながらね」と、意識に頼り過ぎ、意識にのぼるものだけが知恵であると思い込んでいる事が、現代の教育の根本的な誤りであると小林秀雄さんは言う。学校で古文を習うとき、時間をかけて慣れるよりも先に、古語の意味や文法といった、知識を覚えることが求められる。学校では古文を頭から学んだわけだが、素読会では反対に、ひたすら眼と耳から「古事記」を学んでいった。素読会では古語の意味や文法の知識を逐一教わるといった事は一切していない。にもかかわらず、馴染んでくると、古語の意味や文法でさえ自然と分かるところも増えてくる。こんな学び方があるものかと、素読を面白く思った。

また、小林秀雄さんは「古典はみんな動かせない『すがた』です」と言う。素読は、たとえその意味は理解できなくとも、古典の「すがた」に親しませるための唯一の教育の方法であると仰る。

 

「古典はみんな動かせない『すがた』です。その『すがた』に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。『すがた』には親しませるということが出来るだけで、『すがた』を理解させることは出来ない。とすれば、『すがた』教育の方法は、素読的方法以外には理論上ないはずなのです」(「人間の建設」より。新潮社刊『小林秀雄全作品』第25集所収)。

 

素読をやり終えた今、「古事記」の文章がもつリズムがしっかりと体に刻まれているという確かな実感がある。「古事記」の「すがた」に親しむことは出来たように思う。素読し終えたときに池田塾頭は、「いっぺん素読をやり終えたので、皆さんは今後、独りでも『古事記』を楽しむことができるでしょう」と仰った。池田塾頭のその言葉を聞いたとき、なんとなく、確かに後は独学できそうだなという感じがした。体に染み込んでいる「古事記」のリズムを感じながら、後は独りで頭も使いながら学んでいくことができるように思った。何より、池田塾頭や一緒に素読をした皆の声で彩られた「古事記」という音楽が記憶に残っている。この音楽は、無意識にまで響いてくれているように思う。高校までやっていた吹奏楽の経験を思い出したりしながら、皆と音楽をやるみたいに僕は「古事記」の素読を楽しんだ。

 

ところで、茂木健一郎塾頭補佐と小林秀雄さんの本当の出会いは、書かれた言葉からではなく、小林さんの声からであったそうだ。茂木さんは『脳と仮想』という著作で新潮社の小林秀雄賞を受賞されたが、その中で、録音テープに残された小林秀雄さんの講演を聞いて、小林さんが親しい人になったと書いておられる。学生時代に文章を読み「過去の人」だと思ってきた小林秀雄さんが、肉声を聞くことにより、「同志」と勝手に思い込むまでの存在になったと言う。テープに刻まれた小林秀雄さんの声を、繰り返し聴かれたそうだ。

 

「夜の道の暗闇を歩きながら、車を運転しながら、繰り返し繰り返し聴いた。聴く度に、小林の言っていることが、心の奥底に染み込んでいった。予想もしない出会いだった。思いもしない場所で生涯の恋人に出会ったかのようだった」(新潮社刊『脳と仮想』)

 

何度も繰り返し聴かれた小林秀雄さんの声、それは茂木さんにとってひとつの素読体験のようなものであったのかもしれないなと勝手に思う。

 

小林秀雄に学ぶ塾では月に一度、鎌倉の山の上の家に集まって、池田塾頭の声、そして質問に立つ塾生の声に耳を傾ける。月に一度というのは、よくよく考えてみると頻度としてはそれほど多いものではない。にもかかわらず、一年や二年すると真摯に参加し続けてさえいれば皆、自然と「本居宣長」が読めるようになってきたと言う。三年目の僕も少しは読めるようになってきた。これにしても、池田塾頭の声や、他の塾生の声が知らず知らずのうちに体に染み込んでいくことで、頭からではなく、耳から読めるようになっているのかもしれない。声となった言葉には書かれた言葉にはない、何か不思議な力があるに違いない。

 

そうした声の力もあってのことなのだろうか。ベルグソンの「物質と記憶」の素読においても、同じことが起こった。あれほど分からなかった「物質と記憶」が素読を続けるうちに読めるようになってきたのだ。最初は何が書いてあるのか本当にさっぱりであっただけに、「古事記」や「本居宣長」が読めるようになってきたとき以上に驚きの体験でさえあった。素読による経験は後から後から効いてくるものであるらしい。一回目に素読している最中には分からなかったベルグソンの「物質と記憶」が、今はこれ以上にないほど明快な表現で書かれているように見えるのだから本当に不思議である。読んでいるとベルグソンの声が聴こえてくるようで、言葉のリズムに馴染むにつれて、ベルグソンの語る意識の理論は透明なものに見えてくる。皆の声で奏でられた「物質と記憶」という音楽にただ耳を傾け素読を続けているうちに、気が付けば、ベルグソンが語る意識の難しい問題にきちんと向き合えるまでになっていた。

「私は、学生時代から、ベルグソンを愛読して来た」と小林秀雄さんは「感想」(『小林秀雄全作品』別巻1・2)の中で述べておられる。池田塾頭は「小林先生はベルグソンが言ったことを生涯を通して確かめてこられたのではないか」とさえ仰る。若い頃から読まれ続けたベルグソンの言葉は小林秀雄さんの中で少しずつ成熟していったに違いない。ベルグソンの言葉が、小林さんの中でどのように育っていったのか。そうしたことを考えながらベルグソンや小林秀雄さんの著作を読むのが今は本当に楽しい。

 

これが僕の「物質と記憶」と「古事記」の素読体験である。素読というものを体験するまでは、頭を使う読み方が何よりも賢い本の読み方だと考えてきた。ただ今は、そうした分析的な読み方を、自分の理解の範疇に言葉を押し込めてしまう解釈のための読み方であるように感じる。少なくとも、最初から頭を使って読もうとしていては、古典と呼ばれるような本当に豊かな内容を秘めた作品を味わうことは出来ないのだろう。それが、僕がベルグソンの「物質と記憶」を読めなかった理由であるように思う。解釈を交えることなく、ただ言葉に耳を傾けること。古典をきちんと味わうには、そうした謙虚な態度が何よりも大切であるのかもしれない。言葉を一つ一つ丁寧に声に出して、頭ではなく眼と耳を使う素読は、古典を味わうための確かな方法であるのだろう。

また、考えてみると、そうした態度は何も素読に限らず、学びにおいては常に大切なものであるのかもしれない。自分の解釈を押し付けることなく、ただ信じて、耳を傾けてみる。そうした謙虚な姿勢のない限り、作品や他者から、今の自分を変えてくれるような本当の意味での学びを得ることはできないのかもしれない。素読の体験からもそのように思う。信じてみなければ学べないことがあるということ、これは僕が小林秀雄に学ぶ塾で得た一番に大切な学びの態度であるように思うが、「物質と記憶」と「古事記」の素読においても改めてそのことを実感した。

 

小林秀雄素読塾では先月から「源氏物語」の素読が新たに始まった。言葉の響きが柔らかく、歌のように流れる日本語がとても美しい。「源氏物語」は素読し終えるまでに概算すると十四年の年月を要するらしい。「とにかく時間をかけて向き合うことが大切である」、これは、小林秀雄さんから池田雅延塾頭へと受け継がれた大切な思想であるように思うが、言葉を省くことなく音にしてゆく素読は、時間をかけた言葉との交わりを大切にする読み方であるとも言える。僕は未だ二年と少しばかりしか素読を経験していない。これからどんな景色が見えるようになるのか、楽しみにしながら素読を続けていきたい。

(了)