小林先生のようになりたい!?

山内 隆治

遡ること35年前、僕は、確たる理由もなく、そう、確たる理由もなく、小林秀雄先生に憧れる大学生でした。江ノ島の海水浴の帰りに、当時、鎌倉雪の下にあった先生のお宅を訪ねるも、もちろん呼び鈴を鳴らす勇気もなく、記念に垣根の葉っぱをちぎり持ち帰ってみたり。当時所属していたサークルの回覧ノートに、先生の文体を真似た文章を書き散らしては、たいそう嫌がられたり(涙)。さて、そんな私が、ご縁あって池田塾に参加させていただくことになって、はや5年。なんらかの成長の跡はあったのか。

 

先日、塾で僕がした質問はこういうものです。まずは、『本居宣長』第三十章本文の引用から。

 

歴史を知るとは、己れを知る事だという、このような道が行けない歴史家には、言わば、年表という歴史を限る枠しか掴めない。年表的枠組は、事物の動きを象り、その慣性に従って存続するが、人の意で充された中身の方は、その生死を、後世の人の意に託している。倭建命の「言問ひ」は、宣長の意に迎えられて、「如此申し給へる御心のほどを思ヒ度り奉るに、いといと悲哀しとも悲哀き御語にざりける」という、しっかりした応答を得るまでは、息を吹き返したことなど、一ぺんもなかったのである。歴史を限る枠は動かせないが、枠の中での人間の行動は自由でなければ、歴史はその中心点を失うであろう。倭建命の「ふり」をこの点に据え、今日も働いているその魅力を想いめぐらす、そういう、誰にも出来る全く素朴な経験を、学問の上で、どれほど拡大し或は深化する事が出来るか、宣長の仕事は、その驚くべき例を示す。それは、「古事記」で始められた古人の「手ぶり言とひ」が「古事記伝」という宣長の心眼の世界のうちで、成長し、明瞭化し、完結するという姿をとる。(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集p.351)

 

この文章について、以下の質問をしました。

 

「歴史を限る枠の中での人間の行動が自由でなければ、歴史はその中心点を失う」、この「自由」とは何を指すのでしょうか。文脈を辿ると同書p348に「凡庸な歴史家達は、外から与えられた証言や証拠やらの権威から、なかなか自由になれないものだ」とあります。単に外から与えられた「証言」「証拠」等の権威からの自由がなければ歴史がその中心点を失うと理解してよろしいのでしょうか。私はさらに、ここでの「自由」には、それら権威から解き放たれたという<状態>を指す以上に、自らの意志によって、歴史上の人間経験の多様性を、己の内部に再生して味わうという、積極的な動きを伴った意味合いを読み取りました。この理解は正しいでしょうか。

 

いや、我ながら素晴らしい質問。これは間違いなく成長しました(笑)

 

しかし「成長」はさておいたとして、塾での経験を通して身に付けつつある2つの習慣について、自戒と備忘のためにも書いておきたいと思います。

 

一つ目の習慣は、「ぼんやりと、でも考え続ける」

 

素通りできない疑問。ひっかかり。でも、ガツガツとその答えを求めるのでなく。なんとなく保留にして、時間が経つにまかせる。熟成させるというと聞こえはいいけど、要はほおっておく。すると、なんとなく薄皮が剥がれるように、疑問の形が変わって行く。今回の質問(自問自答)の遠いきっかけになった疑問、ひっかかりは、小林先生があるとき講演で語られたことば「分かるってことと、苦労することは同じ意味ですよ」という不思議な言い回しに出会ったことです。普通、言うなら「分かる為には苦労をしなければだめですよ」だろう。まあ、たぶんそういう意味だろうと解釈しつつ、でも何かひっかかるなあと、そのまま、考えを保留。そして長く時間が経って『本居宣長』の上記の引用箇所を読んだ時に、やはりここでも「自由」という言葉の用法が、僕の脳の回路を素通り出来ないで、ふと立ち止まる。すると何故か不思議なことに、二つのひっかかりが、あたまのなかで結びつくのでした。小林先生が一貫して、人は如何に生きるべきかについて、語られる時、<ある状態になること>を目標にするのではなく、動きと過程の時間をともなった体験そのものに価値を見られているのだという考えが二つの疑問への回答として生まれました。

 

それにしても、これは最初の保留が、知らない間にいい具合にあたまの中で熟成されていたのでしょうか?

やはり塾で『論語』の素読を勧められて、お風呂の中で朗々と読むことがあるのですが、読み進め、あたまがぼんやりしてきた頃に、自分の中に見知らぬ人格が立ち現れて来る(?)感覚があって。その人がまた、えらくしっかりした人で。ひょっとしてあの人が、僕の保留懸案事項をいつも考え続けてくれているのかしらん?

 

さてしかし、苦労することが、わかることだと納得した割には、考えをほおっておくなんて、苦労してないじゃないか! と言われそうですが、そこが、好、信、楽。苦労するっていうことは、楽しむことと同じ意味なんですね。

 

二つ目の習慣は、「あたりまえのことを、本当にする」

 

敬愛するイチロー選手が、「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行く、ただひとつの道だと思っています」と語ること。本居宣長が「詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば功はなし」と語ること。そして小林先生が、「私は宣長が書いた文章をよく読んだだけです」と語ること。つまり、あたりまえのことを本当にするということ。記念すべき第1回の池田塾において、既に池田塾頭から「人生のアドバイスのおかわりはもう止めよ」という主旨のことばが述べられています。実は、人生如何に生きるべきかという最大の問いについての小林先生の答えは、「美を求める心」(同第21集所収)に惜しげなく語られています。

よく見る、よく聞く、優しい心を持つ。あとは、このあたりまえのことを本当にするかどうか。

 

二十歳の頃に、「確たる理由もなく」小林先生に憧れていたことも、今となっては理由が分かります。『論語』を読むと現れる「見知らぬ人格」と冗談めかして書いたけれども、これは、自分という存在の範囲の問題であって、小林先生が、河上徹太郎先生との対談で漏らされた「今の人は正気に頼りすぎる」という主旨の言葉に対する僕なりの答えとしての、未知なる大きさの自分の認識ともいうべきものです。

あの頃の僕が、小林先生のようになりたいと思ったのも、大きな自分が、そういう針路を示したのだと思います。

そして、55歳の今でも、小林先生のようになりたい。あ、「なりたい」じゃないか。小林先生のように生きたい。よく見て、よく聞いて、圧倒的な質量の世界を受け止める時間を生きたい。

(了)