美を求めるまごころ

森 郁子

私の家では、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮によるベルリンフィル管弦楽団のベートーベンの音楽がよく流れていた。3歳の頃の私は祖父の膝のうえに乗り、童謡・唱歌、クラシックを聴いていた。日曜日には、現在も続いているNHKラジオのクラシック番組を聞いてから、NHKテレビ“日曜美術館”を見るのが慣例だった。上方落語や地唄舞を見たりと、私にとってはごく自然な当たり前の世界だった。

飛騨の匠に作らせた書院造のその家で、雪見障子越しの光の加減から季節の移ろいを感じながら、音楽を聴いていた。が、不思議と祖父はモーツアルトを聴かなかった。気難しい祖父にはモーツアルトの軽やかな調べが合わなかったのだろうか。そのせいなのかはわからないが、私は、長年小林秀雄の『モオツアルト』を読むのに大変に苦戦している。

 

そんな折、小林秀雄を学ぶ“池田塾”入塾に合わせて“小林秀雄音楽塾”へのお誘いがあった。小林秀雄の批評家による「モオツアルト」の講義と、高名なレコードコレクターによる解説に合わせて希少なコレクションを蓄音機で聴くとの触れ込みに、天下の小林秀雄を批評する“批評家”とは、さぞや貫禄付いて威圧感があり、“往年のブラームス”のような人だと想像していたが、実際はその真逆で、あえていうなら、“青年期のブラームス”のような風貌の、本誌『好・信・楽』で、「ブラームスの勇気」を連載されている杉本圭司さんであった。

 

なぜ私は、モーツアルトの音楽及び「モオツアルト」が理解できないのかを問い続け、かれこれ1年ほどその杉本さんの小林秀雄音楽塾へ足を運んでいるが、はっきりとした答えはまだ出ない。

そんな状況の折、つい最近『モオツアルト』の中の「モオツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」の一文が引っかかった。その数行前には、「tristesse(かなしさ)を味わう為に涙を流す必要がある人々には、モオツアルトのtristesseは縁がない様である」ともある。その「tristesse(かなしさ)」とは、どのような「かなしさ」なのか。「悲しさ」なのか「哀しさ」なのか。

この「tristesse(かなしさ)」とは、他の感情が入り込むことすらできない、モーツアルトや小林秀雄が体験した頭いっぱいの「tristesse(かなしさ)」ではないかと思うが、私は、モーツアルトの音楽を聴いていて、楽しくなるどころか息苦しくなる時がある。それは「tristesse(かなしさ)」を真に理解できないことに加え、モーツアルトの音楽が縦横に完璧すぎて、自分の感情を滑り込ませるすきすら与えないからだと思う。それは、以下にも通ずる。

 

小林秀雄は1946年(44歳)の『モオツアルト』の後に、1953年(51歳)『モーツァルトを聞く人へ』、1955年(53歳)『モオツアルトの音楽』という短い文章を書いている。共に「大ていの人がモーツァルトを好きだと言うが、同時に物足らぬとも言う」とあり、その理由として、「均斉のとれた、繊細、優美な、明るい音楽という通念は、モオツアルトを聞く人々を強く支配している。それも仕方のない時の勢いであり、独創と新奇とを追い、野心的な企図が要求する形式の複雑さを誇示する浪漫派音楽を通過した私達には、モオツアルトの音楽は、あまりに単純すぎるものとも聞こえる」と。また、「モオツアルトの音楽には、ベートーヴェンの音楽にあるような反抗や戦いがないということもよく言われるが、そういうものが露骨には現れていないというだけの話で、世間一般の因襲や不自然と戦う革命児たる点では、二人は大変よく似た芸術家であった。ただモオツアルトは、そういう苦しみを努めて隠した。彼の妻は、夫の天才なぞ少しも知らなかった。彼は常に優しい快活な率直な人間として世を渡った。社会的権利なぞ彼の眼中にはなかったが、彼は秘めた自分の天才の苦しみを特権化する事も少しも考えなかったのである。彼の音楽はそういう彼の人柄の正直な表現であると見ていいようである。彼の音楽を聞きわけるにはいわば訓練された無私が要る。聞きわける人には、彼の音楽は突如としてロココの衣装を脱して人間の裸身を現ずるであろう」と。

上記の2点をポイントに今後の検証課題として考え、機会があれば、ここで、経過報告をしたいと思う。

 

音楽と同じくらいに、私の心に響くのが、絵画である。3年前の4月、急に私はニューヨークへ行きたくなり、特に目的もないまま、飛行機に乗っていた。約1週間の旅で、飛行機での移動を除くと4日間の短い滞在だった。予定がないため、行き当たりばったりで、マンハッタンのロックフェラーセンターをランドマークにひとりうろついていた。セントラルパークも近いため、広大な公園を歩いていたら、メトロポリタン美術館、通称“Met”にたどり着いた。Metは、何百万という作品を所蔵し、とても1日で見るのは不可能であるため、“直観”で、館内地図を手に“ゴッホ”の作品がある場所へと向かった。

世間では“ゴッホ”は、“狂気”であることが特に強調された天才画家というイメージが強く、私もそれを疑っていなかった。ところが、ゴッホの作品“アイリス”を目の当たりにして、その思いが覆った。それはまさしく、小林秀雄著『美を求める心』の一節「美は人を沈黙させる」を思い起させる感動体験であり、その時の感動を適切に表現ができないのがたいへんに心もとないが、ゴッホは、花と対話できていたのではないか、また、自分は花であると本当に思い、人間と花であることの境を超えて花と一体化したからこそ、あの絵が描けたのではないかと思った。

小林秀雄の『ゴッホの手紙』にもゴッホの鋭い感受性について述べているが、私には、『本居宣長』の一節「物を以てする学問の方法は、物に習熟して、物と合体する事である。物の内部に入り込んで、その物に固有な性質と一致する事を目指す道だ」ということを実際にゴッホは体現していたのではないかと思われた。であるがゆえに、ゴッホの身をもって感じ尽くされて描き出される作品は、時代や国を超えて人々の心を強く揺さぶるのではないだろうか。

 

閉館時間が迫っていたため、じっくりとは鑑賞できず、また翌日、開館と同時にMetへ入館した。その日は時間があったため、古代エジプト、古代中国、中世ヨーロッパ、日本美術などを見て回り、さすがに食傷気味になってきた最後に、またゴッホの展示室へ向かった。前日、すでにゴッホの絵を見ているからではないが、花の絵を見た途端に、懐かしく、ありのままに全てを包んでくれるような、不思議な安堵を感じた。

そのまた翌日も、私はMetへゴッホの絵に会いに行った。通算3日、ゴッホの作品と対峙し、私はゴッホと親しくなれた気がした。

 

音楽、絵画に続き、古典も私の心を楽しませてくれる。「ゆく河の流れは絶えずして」で始まる鴨長明の「方丈記」の音のリズムの美しさは、作者の呼吸、息遣いまでもが感じられ、声に出して読んだり、文章を薄紙に清書したりするほどに大好きである。

また、歌人・藤原定家の日記「明月記」には、有職故実の公家世界に身を置きながら、無鉄砲で激情型気質の定家が繰り広げる周りとの衝突、喧嘩、挙句には謹慎処分を食らったときの心情がありのままに書かれてあり、“藤原定家”の生々しい実像を身近に感じ、その人間臭さにいたく共感を覚えた。現在も、京都御所北側の今出川通に面したところで和歌の伝承をしておられる定家の子孫の“冷泉家”の至宝展がNHK主催で全国巡回開催された折には、アテンダントを一ヶ月間務めさせていただいた。まさしく役得で、定家独特の文字・肉筆を眺める幸運に与り、あたかも定家と毎日対話しているような感覚であった。

 

「萬葉集」の中では、持統天皇の“春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山”が私の好きな歌の一首である。萬葉びとの天真爛漫なおおらかさが感じられ、ダイナミックな大和三山の情景が心にありありと浮かんでくる。私にとっての古典、和歌は、時空を飛び越え現在と古(いにしえ)を往来しつつ、古びとと対話できるものであり、それは小林秀雄のいう“心眼”という体験がぴったり当てはまる。

小林秀雄は、『学生との対話』の講義「感想―本居宣長をめぐって」後の学生との対話の中で「古典を読むというのは、その場その場の取引です。だから、二度も三度も読めるのです。古典が生きているということは、君が生きているということなのです。ちっとも違いはありません。古典は、どんな君にも応じるんですよ。青年の君にも、壮年の君にも、『万葉集』は応じます」とも語っている。

 

私が“音楽・絵・古典”について述べたのは、AI(人工知能)の台頭により、知識としての学問は行き詰まり、AIにはない「直観」が脚光を浴びる人間学へシフトしていくと強く感じているからである。

AIは、例えば、私がFacebookでどんなことに“いいね!”をしたとか、Twitterでどんなことをツイートしたとかいうデータがある程度集まれば、私のひととなり、趣味、思考が予測でき、身近にいる家族や友達よりも詳しく“私という人間像”を明らかにできるそうである。そんなAIに予測できないものは、論理をもしのぐ“人間の直観とセンス”だとも思う。小林秀雄先生は、時代に先駆けてそれを見抜いていたのではないか。

 

小林秀雄先生がAI時代が来ることを見越して『本居宣長』を執筆されたのかどうかはわからないが、「源氏物語」よりも遡った儒教伝来以前の「古事記」は、「漢心からごころ」を拭い去り、事にふれてうれしかなしと動くという受動的な人の「まごころ」を心得てしか真に読み解くことはできないということを踏まえたならば、「漢心」を拭い去れば、「事の本質」と「人の道」があらわになるとも言える。ここでの「まごころ」とは、現代語で言う “人に対しての誠心誠意な心”とは異なることを知っておかねばならない。

「事の本質」とは、みずからの心にも従わぬ、人としてどうしようもない心の動きを人知や理によって解釈する事ではなく、ありのままに感じ知る事であり、また「人の道」とは答えが返ってきても、返ってこなくても、永遠に問い続ける人間のあり方であり、その核心の「まごころ」こそが、人間を人間たらしめる本質と考えた上で、「生れながらの真心なるぞ、道にはありける」と。

言い換えれば、「まごころ」を情の表れとしての、「物のあわれを知る心」を問い続けることが、「人の道」であり、人にはそれぞれに道があり、人生いかに生きるかのヒントでもあると思う。それを踏まえれば、色どり溢れるきらきらした素晴らしい世界がこの先広がっていくのではないか。そのことを念頭に、私は、小林秀雄氏が音楽・絵・古典・哲学と様々な分野に親しみ、感じたように、自らの“直観”を信じ、それを掘り進め、問い続けたい。

『美を求める心』の中の「優しい感情を持つ人とは、物事をよく感ずる心を持っている人ではありませんか」で結びたい。

(了)