「源氏物語」が時に未完の大作と誤解されるのは、かの有名な「浮舟入水のくだり」のためではないだろうか。
薫と匂宮の、二人の男性に契った浮舟は、恋敵同士の争いが烈しくなるにつれ、進退に窮して、死のうと思う。しかし入水を決心するものの、失神したところを僧都に助けられたのをきっかけに、出家して尼として生き始める。やがて、浮舟を忘れられなかった薫が、とうとう彼女の居所をつきとめる。薫は、還俗し元の契りを結ぶよう手紙をしたため、浮舟の弟を使者として届けさせるが、返事はなく手ぶらで帰って来る弟の姿に、どうしていいかわからない。薫は、「誰かが、浮舟を隠しているのだろうか」と疑う。
物語はここで終わる。この結末が当時としては全くの異例であったことは小林秀雄も書いているが、現代の読者にとっても、その特異さはあまり変わらないように思える。
しかし、本居宣長は「源氏物語は完結している」とはっきり断言している。『本居宣長』第十五章で、小林秀雄は次のように言っている。
彼(本居宣長―筆者注)は、「夢浮橋」(「源氏物語」の最終巻)という巻名は、「此物語のすべてにもわたるべき名也」(『玉の小櫛』)と書いている。(中略)「光源氏の君といひし人をはじめ、何も何も、ことごとく、夢に見たりし事のごとくなるを、殊に、はてなる此の巻の、とぢめのやうよ、まことにのこりおほくて、見果てずさめぬる夢のごとくにぞありける」(中略)宣長がここで言う夢とは、夢にして夢にあらざる、作者のよく意識された構想のめでたさであって、読者の勝手な夢ではない。(中略)
式部の夢の間然する所のない統一性というものの上に、彼の「源氏」論は、はっきりと立っていた。此の物語の一見異様に見える結末こそ、作者の夢の必然の帰結に外ならず、夢がここまで純化されれば、もうその先はない。夢は果てたのである。
<新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集p.166>
紫式部の「夢」とは、どのようなものだったのだろうか。書くうちに、物語のほうから、結末を要求するような「夢」とは。
「紫文要領」で宣長が浮舟のことを書いた箇所は「本居宣長」にも引用されている。
「薫のかたの哀をしれば、匂宮のあはれをしらぬ也。匂宮の哀をしれば、薫のあはれをしらぬ也、故に思ひわびたる也。かの蘆屋のをとめも、此の心ばへにて、身を生田の川にしづめて、むなしうなれり、是いづかたの物の哀をも、すてぬといふ物なり。匂宮にあひ奉りしとて、あだなる人とはいふべからず、これも一身を失ひて、両方の物の哀れを全くしる人也」
(薫のもののあはれを知れば、匂宮のもののあはれを知ることができない。逆もしかりである。故に浮舟は思いわずらっていた。かの「蘆屋のをとめ」も、このような心だったために、身を生田の川に沈め亡くなった。これはどちらのもののあはれも捨てないということである。匂宮と契ったからといって、あだっぽい人であると言ってはならず、浮舟は、一身を失って、両方のもののあはれを完全に知る人である)
<同p.165、現代語訳:筆者>
両方のもののあはれを知るとは、少なくとも、感情に流されるままに道徳を忘れ、どちらの男にも逢うということとも、打算でどちらかを選び、どちらかを忘れようと決意することとも違うだろう。浮舟はただ、二十歳を超えているとはいえその幼い心と小さな体で、真剣に二人の男性の心を受け取ろうとした。それゆえに発狂してしまった、宣長はそう言っているように思えるのである。
さて、小林秀雄が「源氏物語」の浮舟の挿話について語り始めるその直前に、次の様な文章がある。
「此物語の他に歌道なし」と言った時に、彼が観じていたものは、成熟した意識のうちに童心が現れるかと思えば、逆に子供らしさのうちに、意外にも大人びたものが見える、そういう『此物語』の姿だったに違いない、と私は思っている。
<同p.165>
「此物語の他に歌道なし」の「此物語」はむろん「源氏物語」のことで、「源氏物語」はその自在な表現力で、物語の道を通して歌の道についても語っている、歌道を知りたければ源氏を読むことである、という宣長の思想を現しているが、ここで私が心を奪われたのは「大人」と「子供」の対比である。
光源氏は「よきことのかぎり」を集めて書いた、魅力的な「大人」である。そのような大人にも、子供のような逡巡があることは「本居宣長」本文にも描かれている。夕顔への執心、藤壺への断ちきれぬ思いなどがそうである。とすれば、「子供」のほうを代表するのは、浮舟ではないだろうか。浮舟は、もののあはれを知る「子供」として創作されたのではないか。「本居宣長」や「源氏物語」本文を読むうちに、私はその思いがしきりにしはじめた。
もののあはれを知る理想的な人間として光源氏を書いたのち、紫式部が書かなければならなかったのは、この世で持ちうるよきものをすべて所持し、誰にでも好かれるような源氏には程遠い、たいした取り柄も持たぬ子供のような女なのではなかったろうか。「よきことのかぎり」を集めて光源氏を創る無双の妙手は、やがて、性格のない浮舟を作り出す技術を発明したように思われる。
「夜中ばかりにや、なりぬらんと、思ふ程に、尼君、咳きおぼほれて、起きにたり。火影に、頭つきは、いと白きに、黒き物を被きて、この君(浮舟)の臥し給へるを、怪しがりて、鼬とかいふなる物が、さる業する、額にてをあてて、怪し、これは、誰ぞと、執念げなる声にて、見おこせたる、更に、たゞいま食ひてんとするとぞ、おぼゆる」−−―「いみじき様にて、生き返り、人になりても、また、ありし、いろいろの憂きことを、思ひ乱れ、むつかしとも、恐ろしとも、物を思ふよ。死なましかばこれよりも、恐ろしげなる、物の中にこそは、あらましか」
これだけの文章でも、熟視するなら、この全く性格を紛失してしまったように見える浮舟を、生き生きと性格附けているのは、式部の文体そのものに他ならぬと合点するだろう。
<同p.169-p.170>
どんなに完璧な大人にも、女々しい心は存在している。それが人間の本性であることを、紫式部は知っていたが、思うに、「源氏物語」を描くうちにいよいよ確信したのではないだろうか。物語を書くということが、彼女が日頃思っていたことを、さらに深く認識させたとしても不思議はない。もし、そうであるならば、「女々しい心だけを持つ人」がどんな風に振る舞うのか、描いてみたくなるのは自然ではないか。創作は常に実験である。Aという人物が存在し、Bという環境に置かれたなら、どういう物語が生まれるか。物語作家は、それを頭の中で練り上げるのではなく、物語を書くという実験によって考えるものではないだろうか。
「女々しい心だけを持つ人」として書かれる浮舟は、必然的に光源氏の死後に登場することになる。この二人の登場人物は、物語の制約上、同時には存在できないからである。もし同時に登場したら、浮舟は、ほとんど「見えない」存在になってしまう。また、光源氏と恋愛をさせるとしても、光源氏と並ぶ貴公子を登場させることはできず、浮舟は窮地に陥ることがないからである。光源氏が太陽なら、浮舟は月といえるかもしれない。太陽が沈み、夜の闇に包まれて、月の光は幻想的になる。そして、情そのものを生々しく表現するなら、浮舟はできるだけ性格の特徴を持たない人物であるほうが、都合が良い。作者の筆だけが、池の上の月光を浮かび上がらせるように描くのが、最も読者に伝わるのではないか。以上は私の想像に過ぎないが、傑作はいつも必然的な形をしているような気がするのである。
浮舟は、二人の男性との恋に否応なく翻弄されながらも、どちらの男性の「あはれ」にも引き寄せられ、現実的な解決をすることができないという役回りである。その、か弱く、はかない女童のような情は、道理をわきまえ、堂々としているように見える「大人」の情と、鏡に写したように同じ姿をしている、と小林は書いている。
紫式部は、深く心をこめて描いた光源氏の晩年を、省略することができた作家である。紫式部の「夢」とは、どのようなものだったかと考えるとき、私の心にまず浮かんだのはそのことであった。光源氏の晩年は、式部の「夢」ではなかった。彼女は「雲隠」という文章のない巻の「巻名」に、光源氏への思いのすべてをこめただろう。この物語の結末も、この類稀なる作家の「省略」によって創られたのではないか。
浮舟は、終盤になると、ただ一人の「もののあはれを知る」人物として、浮舟を愛する薫にさえ理解されぬ心を伴って、深く沈み込んでゆく。浮舟という月を取り巻く闇は、「もののあはれを知る」光のない、現実の闇にも例えられよう。誰にも理解されず、ゆえに誰にも助けられない。不完全でありながら、死ぬことさえできない。彼女は自力で現実を生きていくしかないのである。私たちも皆、そういう運命を背負って生まれて来たのではないか。そのようにも思わせる書きぶりである。
「人の、かくし据ゑたるにやあらむ」
(誰かが、浮舟を隠しているのではないだろうか)
この、想像力に欠けた薫の言葉は、式部の織った「夢」である物語を醒ます、現実という名の「魔」のようである。薫のいる現実の側からは、物語を続ける手立てはなく、その必要もない。「もののあはれ」をなだらかに見せるための物語で、「もののあはれを知る」唯一の登場人物の心が離れてしまったとき、読者は本を閉じて、現実へ戻る他ないのである。もう一度始めから読みたくなるような、深い余情を持て余しながら。
宣長もこの類稀なる物語を何度も読み返し、自身の注釈を書き替えてきた。「玉の小櫛」では物語の終わりに際し、歌を一首残している。
なつかしみ またも来てみむ つみのこす 春野のすみれ けふ暮れぬとも
小林はこう書いている。
――作者とともに見た、宣長の夢の深さが、手に取るようである。
(了)