女とヴァイオリン

三浦 武

小林秀雄は作家五味康祐との対談(1)で、ヴァイオリンは「女とコンビというような楽器」だと言っている。これはどういう意味だろう。他に、名人を聴かせろよと所望する小林秀雄にダヴィッド・オイストラフのレコードを聴かせたら上機嫌になったという話もある(2)。こっちはよくわかる。小林秀雄は「職人」というものを尊重したと伝えられているが、オイストラフはまさに職人的名ヴァイオリニストだからだ。しかしヴァイオリニストに「職人気質」の女流というのがいただろうか。女とヴァイオリニストが「コンビ」だとはどういうことであるか。

もとより女流がつまらないというのではない。私自身、クラシック音楽との忘れ難い邂逅は、それこそ「女とヴァイオリン」だったのだから。ジネット・ヌヴーによる一撃。「私はふるえたり涙が出たりした」。これはユーディ・メニューヒンが始めて日本で演奏を披露したその翌日、新聞紙上に早々と掲載された小林秀雄の感想(3)の口真似だけれど、しかし確かに私はふるえたり涙が出たりしたのだった。それははじめて蓄音機でレコードを聴かされたときのことだ。ローリングストーンズしか聴かなかった男が、その日を境にクラシックのヴァイオリン曲を、それこそ貪るように聴き始めたのだから、それはやはり、ジネット・ヌヴーという女流ヴァイオリニストによって私の人生にうち下ろされた、強烈な一撃だったのである。ラヴェルの小品だったが、そんなことはどうでもよかった。ピアノの、その誘うような序奏のあと、唐突に鳴り渡ったヴァイオリンの響き……それは本当に突然だった。私は吃驚してしまった。畳敷きの貧しい部屋は隅々までその、嘆きのような歌うようなヴァイオリンの音色に瞬時に満たされたのだった。聴かせてくれた友人は「ストラディヴァリウスだ」と言った。なるほど、これがあのストラディヴァリウスか。私はヴァイオリンという楽器に説得されたように思ったものだ。(4)

 

クレモナのアンドレア・アマーティとブレシアのガスパロ・ダ・サロ。ヴァイオリンという楽器の二つの「源流」である。そのうちブレシアの系譜は17世紀にジョヴァンニ・パオロ・マッジーニという名工を産み、そして絶えた。絶えはしたがその響きは、現代ヴァイオリンの祖ともいうべきヨゼフ・ヨアヒムの、その後継としてベルリンに招聘されたアンリ・マルトーのいくつかの音源によって確かめることができる。マルトーのヴァイオリンはモーツァルトがマリア・テレジアから貰ったというマッジーニだ。他方アマーティの工房はその孫ニコロ・アマーティの門下からストラディヴァリウスとグァルネリウスの二つの流派を輩出することになる。アントニオ・ストラディヴァリ、そしてグァルネリ・デル・ジェス。周知のようにこれらの名を措いて今日に至る名ヴァイオリニストの系譜を語ることはできない。

それら名器の相貌は私などにもちょっと違って見える。完璧な均斉と調和がストラドなら、デル・ジェスはやや歪んだような危機的な均衡だ。そもそも伝わるところの人物像からして著しい対照をなしている。アントニオ・ストラディヴァリはアマーティ門下の俊才で一徹まじめな職人気質、独立後は大きな工房を構え、長寿を全うするその直前まで仕事に精を出して、散逸したり失われたりしたものも少なくないだろうに五百挺を越えるヴァイオリンを今日に遺した。そこにはおそらく、アマーティの甘美な音色に豊麗な響きを付与することで達成された「理想」の境地がある。他方グァルネリ・デル・ジェスことジョゼッペ・グァルネリは、殺人の罪で投獄されたりもした放蕩無頼の厄介者だ。もっとも監獄の中に材料道具を持ち込んで仕事を続け、生涯ヴァイオリンだけをしかも一人で製作し続けたらしいから、むらっけはあるがひとたび集中すると物凄い仕事をやってのけるというような、所謂天才肌の、魅力的なヤツだったにちがいない。

 

小林秀雄はグァルネリウスを「野心家にはもってこいの楽器」と評した。これも五味康祐との対談のなかでの発言である。そこではブロニスワフ・フーベルマンという名が挙げられているが、なるほど、フーベルマンも含めてグァルネリの使徒には、聴けばきっとその人だとわかるような独特の音色をもつ奏者が多いように思う。

さて小林秀雄がストラディヴァリウスについて語る言葉はいちだんと力強く、しかもちょっと難解だ。「……やっぱりストラディヴァリウスという楽器に従うよりほかしょうがない。これに悠々と従って悔いないという名ヴァイオリニストはいないんです」。ストラディヴァリウスには誰もが服さなければいけない。しかし名ヴァイオリニストにはそれができない。「解釈がどうの、何のかんの」、「あんなナチュラルな楽器は、そんな人工的なものには抵抗しますからだめなんですよ。素直にストラディヴァリのこさえたとおりの音をもっと出そうというふうに弾かなければ、ヴァイオリンというものは成り立たないんです」……。

ここにはストラディヴァリウスというヴァイオリンについて、何かしら決定的な了解が語られている。それは、聴衆はもちろん演奏家にも優越する何かなのだ。17世紀後半に出現した名工の手になるその美しく小さな楽器は、ヴァイオリン音楽の歴史そのものの完全な凝縮である。ヴァイオリン音楽の本領は、すなわちそこに籠められてある「音」そのものなのだ。それを解き放つにあたっては如何なる思想も観念も、邪魔にこそなれ、何ら足しにはならない。

1951年、メニューヒン来日。小林秀雄は「ああ、何んという音だ。私はどんなに渇えていたかをはっきり知った」と書いた。「タルティニのトリルが鳴り出すと、私はもうすべての言葉を忘れて了った。バッハだろうが、フランクだろうが、それはもうどうでもよい事であった。さような音楽的観念は、何処やらへけし飛んで、私はふるえたり涙が出たりした」とも。いたずらな観念への傾斜は、音楽経験の頽廃に連なる。名ヴァイオリニストは、あるいは男というものは、ひょっとしたら、「解釈がどうの、何のかんの」と頭のほうから企てようとして台無しにしてしまっているということがあるかも知れぬ。近代という偏狭な理性の時代に埋没したならば、あるいはすべてを対象化して問わずにいられない思いあがった精神性と刺し違える覚悟なしには、もはや真の音楽的感動など得られないのではないか。

優れたものに対しては自己を滅却してそれに融合するかの如く従ってこそ、はじめてそれが了解され、また「私」もよりよく活かされるということがあるにちがいない。「大体、ヴァイオリンというものはそういうものなんですよ。女とコンビというような楽器なんです」。肉体を離れた空しい言葉が己の中に渦巻いているような野郎が一番だめなのだ。そういう手合いに蔑まれているような女の方にこそ健全に保たれている心があるとは、日常、よく教えられるところである。技術も腕力も存分に備えた男はどうしてもその力にものを言わせてしまうのではないか。力に劣る女は徹頭徹尾自分を相手に添わせ合わせて、かえって人をも自分をも活かしきるのではないか。それゆえに小林秀雄は、女とヴァイオリンは「コンビ」だと言ったのである。

その「女」のうち、わけても小林秀雄が称揚したのは、イタリアのジョコンダ・デ・ヴィートであった。アルカンジェロ・コレッリに始まり、ニコロ・パガニーニで頂点に昇りつめたイタリアのヴァイオリニストの系譜に、その後のしばらくの静寂を経て名を連ねた、まだ十幾つの少女。南イタリアの葡萄農園に生まれ、叔父さんにヴァイオリンを習った。ローマでの16歳のデビューは、この楽器の世界では珍しい事ではないが、翌年には音楽院の教授になっている。けれども国際的な活動とレコーディングはずっと後になってからだ。

ジョコンダ・デ・ヴィートは「イタリアの音楽家」なのである。豊かで温かなその響きと音色は、ちょっと比較しうる奏者が見当たらないようだ。そして歌。歌謡性と抒情性の高次の統合。それは空間に満ち溢れ、聴くものはその中に包み込まれてしまうから、それに対峙して何のかんのと言う気にもならない。ヴァイオリンのベルカントなどと称えられるが、そしてそれに反対するつもりはないが、ベルカントとはちょっと違うつつましさ謙虚さがある。アマチュアのヴァイオリニストだったムッソリーニが激賞し、ストラディヴァリウスを贈りたいと申し出たときには「男性からあまり高価な贈り物を貰ってはならないという価値観を母から教えられている」と言って辞退した。バッハとベートーヴェンそれにブラームスを特に重要なレパートリーと考え、古典派を全うし、52歳で「自分の能力の頂点に達した」として引退、再び楽器を手にしなかった。録音も30曲ほどしかなく、伝説のヴァイオリニストみたいなってしまったが、その音は今でも確かに鳴っている。

 

先ほど引用したメニューヒン来日の際の小林秀雄の感想はこんなふうに締めくくられていた。「メニューヒン氏は、こんな子供らしい感想が新聞紙上に現れるのを見て、さぞ驚くであろう。しかし、私は、あなたのような天才ではないが、子供ではないのだ。現代の狂気と不幸とをよく理解している大人である。私はあなたに感謝する」。大地や肉体との紐帯を断った知や観念というものは、いったい何処を浮遊するのか。他者への信頼を放棄した魂は、いったい何処に向かうのか。そんな現代の狂気と不幸に翻弄されつつある今の私にも、かつて貧しい六畳間を満たしたようなストラディヴァリウスの音色は、間違いのない救済なのである。

(了)

 

注 (1) 「音楽談義」、1967年。新潮CD『小林秀雄講演』第6巻所収。

(2) 吉田秀和「演奏家で満足です」、新潮文庫『この人を見よ』所収。

(3) 「メニューヒンを聴いて」、新潮社刊『小林秀雄全作品』第19集所収。

(4) ジネット・ヌヴーのヴァイオリンは、アントニオ・ストラディヴァリの息子オノボーノの作、飛行機事故で主人とともに喪われた。