本田正男さんの「歌の生まれ出づる処」、吉田宏さんの「いかでかものを言はずに笑ふ」を続けて何度も読んだ。そのうちそこに、小林秀雄先生の「美を求める心」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第21集所収)が重なった。
――悲しみの歌を作る詩人は、自分の悲しみを、よく見定める人です。悲しいといってただ泣く人ではない。自分の悲しみに溺れず、負けず、これを見定め、これをはっきりと感じ、これを言葉の姿に整えて見せる人です。……
本田さん、吉田さん、ともに父の死という悲しみを負い、そのことによって図らずも歌が誕生する根源を体験された。本田さんは母堂の言葉から汲み上げられ、吉田さんは自身の歌を顧みて書かれたが、こうして出来たお二人のこの文章も歌である。「美を求める心」には続けてこう言われている。
――悲しみの歌は、詩人が、心の眼で見た悲しみの姿なのです。これを読んで、感動する人は、まるで、自分の悲しみを歌って貰ったような気持ちになるでしょう。悲しい気持ちに誘われるでしょうが、もうその悲しみは、ふだんの生活のなかで悲しみ、心が乱れ、涙を流し、苦しい思いをする、その悲しみとは違うでしょう。悲しみの安らかな、静かな姿を感じるでしょう。そして、詩人は、どういう風に、悲しみに打ち勝つかを合点するでしょう。……
小林先生の文章も、詩である、歌である。先生自身が自分は詩を書いているのだ、歌を詠んでいるのだと言われていた。本田さんも吉田さんも、先生の文章を読んできて、おのずと詩人となって父親の死という悲しみに打ち勝たれたのである。
それを思いながら読み進めていると、今号は期せずして、「美を求める心」を主題とする六重奏になったことに気づいた。
大島一彦さんは、今年が古稀の英文学の研究者だが、小林秀雄愛読者としての経歴も長く、本も書かれている。今号の「『分るとは苦労すること』について」は、その二つの経歴から生まれた絶妙の調べだ。「わかる」ということは、小林先生にとって最大の苦心のしどころであった。「美を求める心」には、たとえばこう言われている。
――歌や詩は、解って了えば、それでお了いというものではないでしょう。では、歌や詩は、わからぬものなのか。そうです。わからぬものなのです。この事をよく考えてみて下さい。ある言葉が、かくかくの意味であるとわかるには、Aという言葉を、Bという言葉に直して、Aという言葉の代りにBという言葉を置き代えてみてもよい。置き代えてみれば合点がゆくという事でしょう。赤人の歌を、他の言葉に直して、歌に置き代えてみる事が出来ますか。それは駄目です。ですから、そういう意味では、歌は、まさにわからぬものなのです。……
そして先生は、次のように言う。
――歌は、意味のわかる言葉ではない。感じられる言葉の姿、形なのです。言葉には、意味もあるが、姿、形というものもある、ということをよく心に留めて下さい。……
小林先生の文章で、「姿、形」は格別重い意味を持っている。その「姿」は、『本居宣長』では「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という宣長の言葉に即して言われるのだが、安田博道さんはこの言葉を、建築家としての実体験と照らし合せることによって、思いがけない角度から立体的に浮かび上がらせてくれた。
「女とヴァイオリン」を寄せられた三浦武さん、連載「ブラームスの勇気」の杉本圭司さんは、音楽の「わかる」人である。ただし、ここで私が言う「わかる」は、特に「小林秀雄の音楽の聴き方がわかる」である。音楽の聴き方、楽しみ方は人それぞれであっていいが、小林先生の文章をより深く、より緻密に味わおうとすれば、たとえばモーツァルトを、ブラームスを、先生はどういうふうに聴いていたか、そこがわからなければ覚束ない。「美を求める心」では、こういうことが言われている。
――見るとか聴くとかという事を、簡単に考えてはいけない。ぼんやりしていても耳には音が聞えて来るし、特に見ようとしなくても、眼の前にあるものは眼に見える。健康な眼や耳を持ってさえいれば、見たり聞いたりすることは、誰にでも出来る易しい事だ。考えるのには努力が要るが、見たり聴いたりすることに、何の努力が要ろうか。そんなふうに、考えがちなものですが、それは間違いです。見ることも聴くことも、考えることと同じように、難かしい、努力を要する仕事なのです。……
努力はしていたが、私は先生の聴き方が「わかった」とまではなかなかいかなかった。それが十年ほど前、杉本さん、三浦さんと出会い、一緒に音楽を聴くようになって、「そうか、こういうことなのか」と初めて合点がいった。いまこのお二人には、「小林秀雄に学ぶ塾」の「選択科目」として「音楽塾」をひらいてもらっているが、三浦さんの「女とヴァイオリン」はまさに「小林秀雄はヴァイオリンをこういうふうに聴いた」であり、杉本さんの「ブラームスの勇気」は、毎回「小林秀雄はブラームスをこう聴いた」なのである。
小林先生が言われた「美」は、「人生」と同義だったとさえ言ってよい。「美を求める心」は、「人生を求める心」でもあった。今号の六篇を何度も読んで、あらためてその感を深くした。
(了)