「源氏物語」を読んでいこう

久保田 美穂

2017年4月より「小林秀雄に学ぶ塾」での学びの機会をいただき、もうすぐ二年が経過しようとしている。これまで、月に一度の講義に参加しながら、塾の派生活動である「源氏物語」の素読会、三か月に一度開催される歌会やほぼ隔月に行われる音楽塾などにも参加させていただいた。

毎月の講義では、塾生が自分なりの質問を立てたものを発表し、塾頭とのやりとりを中心としながら塾生全体でそのテーマについて考えを深めていく。質問に立つ前提として、小林秀雄先生が著した「本居宣長」を読み、自分なりのひっかかりをさぐり、質問という形式の自問自答へ整えなければならない。しかし、この本は、私に、簡単にひっかかりを見せてはくれなかった。それでも、前に述べた派生活動に参加しているうちに、私にとって「源氏物語」こそが「さぐるべきテーマ」ではないかと思うに至った。

2018年8月にようやく質問の場に立つ機会がめぐってきた。質問の趣旨は次のようなものだった。「本居宣長が『源氏物語』を読んだ道筋にたどりつくための読み方を考えてみたい。光源氏が『源氏物語』という、比類ない『夢物語』のなかで演じていたのは、すべての人が持ち合わせ、日常の中で感じる『もののあわれ』をあらわす人物像なのではないだろうか。また、本居宣長が言った『此物語の外に歌道なく、歌道の外に此物語なし』という言葉を考えてみたとき、物語に通底する『調べ』を感知して読んでいくことではないかという感触を得た。このように読んでいくことが、目的に通じる道なのではないだろうか」

質問の場において、塾頭から、今後も「源氏物語」を読んでいく上での、示唆にあふれた数々の教えをいただいた。その際、塾頭より「本居宣長」において、私の質問に密接に関係している六つの箇所を示された。何度も読み返し、とりわけ自分に語りかけてくるように思う箇所を熟視対象として抜粋したい。

 

……宣長が、「よろづの事にふれて、ウゴく人のココロ」と言う時に、考えられていたのは、「ココロ」のウゴきの、そういう自然な過程であった。あえて言ってみれば、素朴な認識力としての想像の力であった。彼は、これを『源氏』に使われている、「あぢはひを知る」という、その同じ意味の言葉で言う。「よろづの事を、心にあぢはふ」のは、「事の心をしる也、物の心をしる也、物の哀をしるなり」と言う。なるほど漠然とした物の言い方だ。しかし、事物を味識する「ココロ」の曖昧な働きのその曖昧さを、働きが生きている刻印と、そのまま受け取る道はあるはずだ。宣長が選んだ道はそれである。「ココロ」が「ウゴ」いて、事物を味識する様を、外から説明によって明瞭化する事はかなわぬとしても、内から生き生きと表現して自証する事は出来るのであって、これは当人にとって少しも曖昧な事ではなかろう。現に、誰もが行っている事だ。殆ど意識せずに、勝手に行っているところだ。そこでは、事物を感知する事が即ち事物を生きることであろうし、又、その意味や価値の表現に、われ知らず駆られているとすれば、見る事とそれを語る事との別もあるまい。

(新潮社刊「小林秀雄全作品」第27集「本居宣長」p.163~p.164)

 

言葉を介しての、私の心に強烈に刻まれた「経験」がある。今回、この文章を綴っていくうちに、私の心の中からその思い出はよみがえってきた。

その記憶は、九歳の頃にさかのぼる。急性腎炎という病に罹った私は同じ病室に入院していた六歳の女の子と仲良くなり、毎日のようにその子と遊んでいた。今、思い返すと、子どもは新しい経験を楽しむ能力が格段に優れているようだ。その「入院生活」を思い返してみても、毎日の新奇な経験を楽しんでいた記憶として残っている。長い修学旅行に参加しているかのような、高揚した気分。未知の発見が毎日あること。私の病には、これといった「治療」がなかったことが、それを可能にしていたのだけれど……日々安静にして規則正しい生活を送ること、それだけが課されていた。私は、その六人部屋のなかで、もっとも軽い病であり、唯一「退院できる見込みのある子ども」であった。その時分には、感知していなかったけれど……。同室の仲良しの女の子は、お人形のように愛くるしい容貌で、栗色の髪の毛が柔らかくカールしていて、顔の周りでふわふわと揺れていた。両親は、ほぼ欠かすことなく、つきっきりで彼女のそばにいた。ある日のこと。その子のベッドで遊んでいて、彼女の髪の毛が私のほほに触れた。その何本かが私の目の中に入った。こすったせいもあり、目から涙がでてきた。申し訳なさそうに、その子は「ごめんね」とくりかえしあやまった。お母さんは、申し訳なさそうに、ハンカチを手渡してくれた。どういうわけか、涙がなかなか止まらなかった。心と裏腹な表現をする自分の体に、やるせなさといらだちを感じていた。

「大丈夫だよ。こんなに柔らかい髪の毛なんだもの。きれいだよね。死んだら、この髪の毛が欲しいくらい……」

私の口から、そんな言葉が発せられた。

途端、室内の雰囲気が変化したことは子供ながらに感じたけれど、その正体は何なのか、すぐにはわからなかった。その日を境にその子の病状は、どんどん悪化していった、ように思っている。もしかしたら、私の記憶のなかで、そのように変容してしまったのかもしれない。母と二人になった場所で、私は尋ねた。どうしてあの日、あんなことを言ったのだろう、と。母は、すげなく答えた。仕方ないよ、言ってしまったものは。元にはもどせないよ、と。自分の置かれた状況がはっきりとわかるにつれ、味方になってくれる人が欲しかったのだと思う。だから、それを聞いて、がっかりした。心細さでいっぱいになった。今思えば、母は私の何倍もいたたまれなかっただろう。その子の病が深刻になっていくのを目にする部屋にいることがつらくなり、別の場所で過ごすように努めた。私が退院するころには、彼女はベッドから起き上がれなくなり、体が縮んだように小さくなっていた。もはや、言葉を発することはできなかった。それは、あっと言う間のことだったと記憶に刻まれている。退院してすぐに、彼女が亡くなった、と聞いた。

 

私が「物語」を読むのはなぜだろう、と考えたとき、第一義には、なまなましく「生きていること」が書かれている、その中に自分の身を置いて、作中の人物と話をしたいからだと思う。それは、だれかと会話している臨場感となんらかわりない。その経験で感じたような思いを物語の人物もしているかもしれない。それは、共感をもって会話していることと差異はないだろう。

人生を変えていくものは、常に自分以外にきっかけがあると思う。私は、その出来事の後、漠然とであったけれど「ことば」というものについて考えたと記憶している。「ことば」をめぐって生きていくことを、くりかえし考えたのだと思う。はたして、ことばとは、何を意味するのだろう。そして人生とは? 今の私にとって二つは、同じもののように思える。あるひとつの言葉が多くの側面と複雑な成り立ちや意味を持ち、影や光を与え得るように、ひとりの人間、ひとつひとつの人生経験も同じではないか。

小林秀雄に学ぶ塾への参加の機会をいただいて、「源氏物語」に出会ったことは、私にとって、ひとつの人生のテーマを示唆されたのだと感じている。本居宣長は「よろづの事を、心にあぢはふ」のは、「事の心をしる也、物の心をしる也、物の哀をしるなり」と言った。「源氏物語」を読んでいこう、と改めて思った。

その中に、あらわされた「よろづの事」をなまなましく感知して味わうのだ。

人生を味わうように読んでいくのだ。

作中の人物ひとり、ひとりと会話するように読んでいくのだ。

(了)