野心家のヴァイオリン

三浦 武

ヴァイオリンを「女とコンビ」だとした小林秀雄は、さらにその文脈で「ヴィトーとかモリーニなんて、みんなストラディヴァリウスですよ。もうストラディヴァリウスの素直な音を、女みたいに出しているんですよ、これがいいんですね」と言っている。ここは「ストラディヴァリウスの素直な音」を「女」に譬えているとみるべきところで、そうだとすれば、ヴァイオリンの名器のもう一派グァルネリウスは「男」にも譬えるべき「屈折した音」ということになるのかも知れない。「屈折」はともかく、確かに男性ヴァイオリニストの、ことに技巧に卓越した名人の系譜にはグァルネリウスの奏者が目立つようだ。「グァルネリウスという楽器はとても扱いにくい楽器なんですよ。つまり、個性を出そうとするやつにはいつでも従うんです。だけれども、うまく弾こうとするやつには、あまりにかたいんですよ。……あれは野心家にはもってこいの楽器なんです」。ストラディヴァリウスが女流の系譜に不可欠だとするなら、グァルネリウスはどこまでも個性的な野心家の系譜を支えてきた、そういう楽器だといえば、私などにも合点のいくところがある。

 

フィリップ・ニューマンて何者ですか―本誌連載「ブラームスの勇気」の杉本圭司氏からの電話であった。ナニモノという言い方だから単に素性を問うのではない。その人物(むろんヴァイオリニストだ)を知って、たぶん驚き、誰だ此奴は!という衝撃を質問にかえて言って寄越したのだ。とすれば、杉本氏はフィリップ・ニューマンを聴いたということになる。ではいったいどうやって?(オレだって聴いたことないのに……)。フィリップ・ニューマンは自らno record catalogueと称した、文字通り「伝説」のヴァイオリニストなのである。20世紀の名演奏家でありながら公式録音がない。だから聴きようがないわけだ。もっともヴァイオリニストの系譜を追うマニアックな連中はみんなその名を知っている。それはひとつのエピソードによるのである。

フィリップ・ニューマンはベルギー派の巨匠ウジェーヌ・イザイに教えを乞うべくその邸を訪れた。ところがイザイは既にまつの病床にあって面会は謝絶、廊下での演奏だけが許された。彼はイザイ作の難曲、無伴奏ヴァイオリン第4番を奏した。それを聴いたイザイは言った「すばらしい、けれどフィナーレが少しはやすぎたようだね」……。

その後ニューマンはイザイに代わってエリザベートベルギー王妃のヴァイオリン教師となり、またイザイ・コンクール(後のエリザベート王妃国際音楽コンクール)の開催に尽力するなど、まさにイザイの後継として活躍するのだが、録音はおろか公開演奏すらほとんど行わず、我々はこのエピソードと、それに「ニューマンはまさしくイザイの再来である」というユーディ・メニューヒンの言葉を手掛かりに、その幻影を追い「伝説」を織ってきたのであった。

……実はたった6曲だが録音があるのである。それは死の前年に門弟たちの前で行ったブリュッセルでのライヴだ。もっともプレスされたLPレコードは僅かに300枚という私家版であるから、一般の愛好家にとってはそれもまた一つの「伝説」みたいなものである。

私にしてもno record catalogue氏のそのレコードを、いつかは聴いてみたいと念願するものの手に入る見込みはなく、かえって幻影への思いを強めつつ、嘆き、しかし楽しんでもきたわけだ。ところがそれを杉本氏は聴いたという。「濃厚で強烈で。グァルネリの真髄です」。CDになっているのを見つけたのだそうだ。早速拝借して聴いた。それはまことに濃厚で強烈、グァルネリの真髄というのに異議のない音であった。しかも驚異的とでも形容すべき高度な技巧である。「技巧派」ときけば「無内容」と応ずる向きもあるが、とんでもない話で、圧倒的に優れた音楽的表現を実現するためには圧倒的な技巧が欠かせまい。たしかに収録曲のなかには技巧そのものを伝えるようなプログラムも含まれていたが、実はその演奏こそが、私にはいちばん忘れ難い。タレガ作曲「アルハンブラの思い出」のヴィルトゥオーゾ的編曲版だ。弟子たちに自分が生涯を賭して習得した技術のすべてを伝えようとしているかのような、その会場の空気が蘇る。先生の日ごろの流麗な演奏の底に潜んでいる大いなる秘密を、生徒たちはまざまざと見たことであろう。それはいかにも感動的な光景のように思われた。

杉本氏の見立ての通り、フィリップ・ニューマンのヴァイオリンはグァルネリウスである。1741年のグァルネリ・デル・ジェスで、しかも「ヴュータン」と命名されている。アンリ・ヴュータンはイザイの師だ。シャルル・ド・ベリオを起源とするベルギー派の重鎮であり、ド・ベリオが突然若い歌手と「駆け落ち」してしまったために、10歳かそこらでその後継を務めねばならなかったという、正真正銘の神童である。圧倒的な技巧を持った少年ヴュータンは、シューマンからは「小さなパガニーニ」と呼ばれ、当のパガニーニの前でも演奏してこの悪魔的な巨人に衝撃を与えたと言われる。かかる伝聞と遺された作品(例えば「アルプス一万尺」の旋律の強烈なヴァリエーションがある)から、おそらく歴史上最も偉大なヴァイオリニストの一人であったと推察しても、妄想ということにはならないであろう。そのヴュータンのヴァイオリンがニューマンの楽器なのだ。「民謡の一旋律をヴァイオリンの上に乗せれば足りた」パガニーニの魂がここに系譜をなしているのである。

 

さて、小林秀雄はグァルネリウスの奏者としてブロニスワフ・フーベルマンの名を挙げている。「あれはとっても圧力が要るんです、あの楽器は。それでおもしろいことを言っていたよ。たとえばテノールがうまくなると、声を割るでしょう、て言うんだよ。声を割る―、あれができるのはグァルネリウスだけなんですね。声が割れるんですよ……そういう楽器ですから、あれは野心家にはもってこいの楽器なんです。これを一番うまく使ったのがフーベルマンだったと思うんです。ところが、フーベルマンといわれてもこれは僕が中学時代、あの頃、ヨーロッパを風靡したそうだね、フーベルマンの音というのは。これはグァルネリウスなんです」。

フーベルマンはポーランド系のユダヤ人だ。ポートレートの印象は強靭偏屈傲岸不遜、ひょっとしたら、ベートーヴェンみたいな人だったのではないか。当時、というよりも全歴史を通じてというべきか、ともかく最大の教師であり、国際的なキャリアの緒に就くためには是非とも通過せねばならぬ必須の要件でもあったかのヨゼフ・ヨアヒムの門を敲くべく、弁護士の父親はほとんど全財産をつぎ込むようにして神童をベルリンに送り出したが、当人はヨアヒムからその助手を教師にあてがわれて失望し、まもなくその地を去ってしまった。もっともヨアヒムは、必ずしもこの10歳の少年に冷淡だったわけではなさそうだ。はじめて演奏を聴いたときには歓喜のあまり涙したというし、裕福ではない生徒のために奨学金の世話もしている。しかしながら今、レコードに遺されたフーベルマンの演奏を聴くと、ひょっとしたらヨアヒムとは相性がよくなかったのではないかとも思う。よく知られているようにヨアヒムは、幼時にメンデルスゾーンの薫陶をうけ、シューマンに交わり、後にはブラームスと同盟してリストやワーグナーに対峙したという、所謂古典派の象徴みたいな人である。それに対してフーベルマンは、これはいかにも個性派なのだ。それがベルリン以前からのものなのか、ヨアヒムに決別した結果なのかはわからないが、私にはちょっと類例のない演奏家と思われる。独特の節回しは、むしろ歌謡の伝統に連なるのではないか。その故か、フーベルマンほどその評価や好悪の別れる「巨匠」もまた少ない。決定的な師らしい人を持たなかった独学のヴァイオリニストにとって、その師となったのは聴衆であり、おそらくそのことが、ヨーロッパ全土の熱狂といくらかのしかし無視すべからざる反発、そして音楽の大衆化を促したのではないか。

1734年のグァルネリ・デル・ジェス「ギブソン」を携え、瞠目すべき技巧と抒情性をもって不安な時代の欧州を駆け抜けたフーベルマンの姿は、そのおよそ100年前、故郷のジェノヴァを出て、フランス革命後の欧州各地を遍歴し、比類ない技量でシューベルトやシューマン、そしてショパンをも圧倒しつつ、民衆を昂奮の坩堝に巻き込んだパガニーニの面影に重なる。パガニーニの彷徨は、共同体的な絆を断たれ、誰もが故郷喪失者となる近代という時代の宿命の象徴だ。一丁のグァルネリ「カノン」を道連れに、聴衆の魂を奪うために、そのためだけに旅した。他方フーベルマンの音楽は、忌まわしい分断の時代へと突き進む当時のヨーロッパにあって、その統一を夢想する社会的ロマン主義に繋がっているとみえる。パレスチナにおけるユダヤ人のための管弦楽団の創設は、そのような彼の「功労」の最も重要な一項目である。そしてその真摯なヒューマニズムの音楽哲学は、他ならぬベートーヴェンの「クロイツェル」の録音に早くも現れていたと考えてみたが、さてどんなものだろう。

 

グァルネリウスの似合うヴァイオリニストは、やはり個性的で野心的だ。そして何処か孤独だ。それはジュゼッペ・グァルネリという放蕩無頼の問題児、そしてたぶんその故に、自らのヴァイオリンにイエス・キリストを象徴する十字架のロゴマークを入れなければならなかった「デル・ジェス」の職人の魂に関わる問題でもある。

(了)

 

注  ⑴ 「音楽談義」、1967年。新潮CD『小林秀雄講演』第6巻所収。

⑵ アマーティ一族、ストラディヴァリ一家に続く、イタリア・クレモナのヴァイオリン職人の家系による製作品。そのうち、バルトロメオ・ジュゼッペ・アントーニオ・グァルネリ(1698-1744)の作は、イエス・キリストを示すロゴマークがあることから、「デル・ジェス(イエスの)」と称され、ストラディヴァリウスとともに、ヴァイオリンの最高峰とされる。

⑶ 「ヴァイオリニスト」、新潮社刊『小林秀雄全作品』第19集所収。