「徴」(しるし)について

溝口 朋芽

シルシ」という言葉が『本居宣長』に現れるのは、後半第34章からである。ふだんはほとんど馴染のないこの言葉に捉えられ、2年前の池田塾で「徴」について質問をして以来、この言葉に身交むかってきた。

 

「徴」は第34章に3度続けて登場する。

―「神代」とか「神」とかいう言葉は、勿論、古代の人々の生活の中で、生き生きと使われていたもので、それでなければ、広く人々の心に訴えようとした歌人が、これを取上げた筈もない。宣長によれば、この事を、端的に言い直すと、「神代の神は、今こそ目に見え給はね、その代には目に見えたる物なり」となるのである。ここで、明らかに考えられているのは、有る物へのしっかりした関心、具体的な経験の、彼の用語で言えば、「徴」としての言葉が、言葉本来の姿であり力であるという事だ。見えたがままの物を、神と呼ばなければ、それは人ではないとは解るまい。見えたがままの物の「性質情状アルカタチ」は決して明らかにはなるまい。直かに触れて来る物の経験も、裏を返せば、「徴」としての言葉の経験なのである。両者は離せない。どちらが先でも後でもない。…中略…「すべて意も事も、言を以て伝フるものなれば、書はその記せる言辞ぞ主には有ける」とつづく文も、「意」は「心ばへ」、「事」は「しわざ」で、「上ツ代のありさま、人の事態シワザ心ばへ」の「徴」としての言辞は、すべて露わであって、その外には、「何の隠れたる意をも理をも、こめたるものにあらず」という宣長の徹底した態度を語っているのである。

 

このくだりは、初学者の私にはくだくだしいとでも言いたくなるような言葉が続き、何度も読み返すうちに、私は、この「徴」3連発の文体は「変だ」とさえ思うようになった。「徴」という言葉自体なんとも得にくいが、このくだり全体が得にくいのだ。それまで小林先生の思考の中にとどまっていた「徴」という言葉が突然あらわれた(読み手にとっては少なくともそう見える)、それが短い段落の中に3度も……。そこには小林先生自身が宣長さんの文章から読みとったことへの、ある種の“興奮”が感じられるだけだった。

だがそのうち、第34章の3連発に続いて、第35章にも登場する「徴」という言葉をじっと眺めていると、ある種の共通点が見えて来た。どのくだりも、宣長さんの言いたいことが当時、なかなか周囲に理解されず、それでも言い続けている宣長さんの言葉を丹念に辿っていくうちに、小林先生自身が感得した宣長さんの言いたかった意味内容を、なんとか読み手に伝えたいという思いが宣長さんのそれと重なり、思いあまって「徴」という言葉が登場しているのではないか。小林先生の言葉がほとばしっているときに「徴」という言葉があらわれるのではないか、と、そう思うようになった。

 

そもそもこの「徴」という言葉は、第34章に、―「彼(宣長)の用語で言えば、「徴」としての言葉が……」とあるように、宣長の言葉であると小林先生は書いており、『本居宣長補記Ⅱ』の最後では、「徴」の出処が以下のように記されている。

―彼の熟考された表現によれば、水火には水火の「性質情状アルカタチ」があるのだ。彼方に燃えている赤い火だとか、この川の冷たい水とか言う時に、私達は、実在する「性質情状カタチ」に直かに触れる「徴」としての生きた言葉を使っている(『有る物の徴』という言葉の使い方は、『くず花』にある)。

そうなのか、『くず花』を読めば、「徴」についての手がかりが得られるかもしれない、そう思い、『くず花』が収められている『本居宣長全集 第八巻』(筑摩書房)を開けてみた。ここで、驚くべきことが判明する。目を皿のようにして「徴」の文字を探したところ、実際、2か所に「徴」という文字は見つけることができた。その2か所とは、『くず花』上つ巻、下つ巻にそれぞれ1か所ずつである。1か所目の「徴」は、「殊に疑ふべきは、神代巻に星の事をいはざるはいかに」という見出しに続く文章の中にある。「……星の始をいはざるは、返て神代の傳へ事の正實なる徴とすべし、……」。そして、下つ巻にある2か所目は「目に見えたるままにて、其外に何もなき事ぞといはば」という見出しに続き、「……かの陰陽の理といふ物は、無きことなる故に、さらにそれと知るべき徴なし、……」という部分である。この2例は、「証」という言葉で置き換えられる意味での「徴」であると理解できるのだが、私が知りたかった「徴としての言葉」の意味と直接つながるとは思えないものであり、小林先生の言う「有る物の徴」という表現は見あたらなかったのである。念のために、昭和の初めに出た『本居宣長全集』にもあたってみたが、やはり同じであった。

小林先生は果たして、「徴」をどう捉え、使用していたのか。本人が「書いてある」といったその原典に書いてないのであるから、これは何やら面白いことが起こっているのかも知れない、私は興奮ともスリルとも言えるような感覚におそわれた。小林先生得意の仕掛けに、はまってしまったのか。ようやく、私も小林秀雄の世界の入り口に立てたような、少しだけ小林先生に近づけたような心持ちにさえなった。

そして、ふとあることに思いが至った。それは前述した第34章で、小林先生自身に感じられた一種の“興奮”のことである。

 

小林先生は、『くず花』に、「徴」の意味するところを確かに観ていたのであろう。それを性質情状アルカタチとして認識されたのであろう。一度、性質情状アルカタチとして認識したものをあらためて外へ表現する際は、多少見た目が変わったり、内容に少しのずれがあっても不思議はない。小林先生が「『有る物の徴』という言葉の使い方は、『くず花』にある」といった「徴」を、小林先生が思われたように辿ってみたいと考えているうちに、当初は「徴」とは何か、だった私の問いが、次第に、なぜ小林先生は「徴」という言葉を使ったのか、という問いに遷り変わっていった。

その途上で、私は小林先生の文章の、ある種のリズムに気が付いた。先生の書いているときの情熱、温度、真剣さが、そのリズムから伝わってくるのである。同様のことは、第46章の「はち切れる」という表現にも見られる。当初は、宣長は「もののあはれ」という語に自分の考えをはち切れるほどに押しこんで示した、と折口信夫が言った意味合いで紹介しているが、その直後から、その言葉の意味を敷衍するような形でたびたび小林先生は「はち切れる」という言葉を登場させている。そしてその話が登場する前後の文章からも、「徴」の時と同様の、小林先生独特のリズムが感じられるのである。

 

「有る物の徴」という「徴」の使い方は、原典である『くず花』にあたっても見つけられなかったわけであるが、逆にそのことによって、私は小林先生の書きあらわしたこの「徴」から何を受けとればよいのかについて、あらためて考え、目を凝らす機会を与えられたような気がした。

―有る物へのしっかりした関心、具体的な経験の、彼の用語で言えば、「徴」としての言葉が、言葉本来の姿であり力であるという事だ。

という、冒頭でも挙げた第34章の文章にあらためて目を凝らしてみる。そしてさらに第35章の次の一節を読んで、大切なことに思い至る。

―思うというワザをしてくれるのは言葉に他ならない

つまり私たちは、「思う」という“認識”あるいは“経験”を、「言葉」がなければできない、ということだ。ごくごく当たり前だが、また同時に不思議な事実である。

―(言語の秩序は)環境と呼ぶには、あまり私達に近すぎるもの、私達の心に直結している、私達の身体のようなもの、とも言えるだろう。

とも小林先生は述べている。つまり、楽しい、悲しい、暑い、寒いという言葉を知っているからこそ、「思う」こと、「経験する」ことができているとも言えるわけである。これは、私たちが日本語として普段使い慣れている秩序の中に浸りすぎて、ついうっかりして気がつかぬことだ。

さらに小林先生は第36章で次のように続ける。

―心の動揺は、言葉という「あや」、或は「かたち」で、しっかりと捕えられぬうちは、いつまでも得体の知れない不安であろう。言葉によって、限定され、具体化され、客観化されなければ、自分はどんな感情を抱いているのか、知る事も感ずる事も出来ない。

 

ここまで読み進めてきて、ようやく「徴としての言葉」と、裏を返せば「そうでない言葉」がどのようなものなのか、について、その輪郭が見えてきたように思えた。小林先生は「徴としての言葉」を“共有の言語財”という言葉を挙げて次のように述べている。

―私達は、習慣化し固定した共有の言語財のうちにいる他はなく、この財を互いに交換し合っては消費するのが、あんまりわかり切った、たやすい事なので、私達が宰領し保管しているのは、実は、言葉の助けなどを借りぬ理の働きである、とつい考えたがるのであろう。

つまり、具体的な経験から出た言葉、私達の間で習慣化し固定していった「徴」としての言葉があり、一方で、「そうでない言葉」として「理」の働きから出た言葉があるというのである。

 

宣長は、『古事記伝』『くず花』において、「無きことを、理を以て、有げにいひなす」こと、「空論理屈」を極力排斥している。そしてそれを受けた小林先生は「有る物へのしっかりした関心、具体的な経験から出た言葉が、言葉本来の姿であり力である」つまり、それが「徴」としての言葉であると言っているのである。

 

こうして見てくると、「徴」としての言葉についての輪郭がだいぶはっきりしてきた。ここで再度、先ほど挙げた文章を振り返る。

―直かに触れて来る物の経験も、裏を返せば、「徴」としての言葉の経験なのである。両者は離せない。どちらが先でも後でもない。

―思うというワザをしてくれるのは言葉に他ならない

この二つの文を見たとき、同じことを言っていることに気がつく。そして自分が日々何気なく使っている言葉にも「徴」としての言葉とそうでない言葉があるということに気づかされる。宣長さんが、市川匡に対して書いた「くず花」。空論理屈の言葉を駆使してくる市川匡に、終始、「徴」としての言葉で応じている宣長さんの態度を、小林先生は読者である私達に対して、「徴」としての言葉を駆使して伝えようとしたのではないだろうか。そこに私は、小林先生の興奮を感じたのではないだろうか。

 

さて、ひとまずここまで、「徴」という言葉を中心に据えて読み進めてきた。これを、これからも続く『本居宣長』の旅の門出としたい。

(了)