編集後記

池田 雅延

今月、巻頭に「宣長の年譜を編む」を寄せて下さった吉田悦之さんは、三重県松阪市にある本居宣長記念館の館長である。新潮社で小林秀雄先生の本を造るにあたり、私もずいぶんお世話になったが、五年前、「小林秀雄に学ぶ塾」で小林先生の「本居宣長」を読み始めるや須郷信二さんは吉田さんを訪ねて教えを乞い、まもなく塾仲間を誘って松阪への「修学旅行」を催した。

この修学旅行が、今では年中行事になっている。その年その年、頃合を見計らって松阪を訪ね、皆で宣長さんの奥つ城(墓)へお参りし、記念館の収蔵庫を見学させてもらって吉田さんのお話に耳を傾ける。詳しくは、本誌の創刊号(2017年6月号)に「松阪、本居宣長記念館、花満開」と題して、また第二号(同7月号)に「『トータルの宣長体験』とは」と題して、須郷さんが書いている。

その須郷さんの上記二篇もこの機会にぜひ再読していただきたいが、今回こうして「宣長の年譜を編む」を読ませてもらうと、宣長記念館の収蔵庫で、また展示室で、私たちに語りかけて下さる吉田さんの声と口調がそのまま聞こえてくる。毎日親身になって宣長のことを考え続けられている吉田さんの声である。

 

 

吉田さんは、文中にある「宣長十講」の他に、宣長記念館で「古事記伝」の素読会ももたれている。その素読会に参加した経験が、須郷さんに「直毘霊」の音読を思いつかせ、この音読によって、須郷さんはこれまで頭であれこれ言われてきたいわゆる「宣長問題」を飛び越えた。その素地には、母堂が毎朝唱えられていた祝詞のりとがあった。今号掲載の「信ずることと、祈ること」に、その記憶と経験が記された。「古事記」を訓むにあたって、そこに書かれている言葉の語意・文意よりも、古代の人たちの話し言葉と、それを口にする彼らの心を得ようとした宣長もおそらくはこうであっただろうと思われ、声の力とはこれほどのものなのだとあらためて教えられた気がした。

 

 

私たちの塾でも、素読会をもっている。月に一度集まり、前半はベルグソンの「物質と記憶」を読む、後半は日本の古典を読む。「物質と記憶」は二度目に入り、日本の古典は「古事記」を読み上げて、いまは「源氏物語」に入っている。この素読会が、昨年、吉田宏さんの発意で広島でも始まった。

こちらの吉田さんは、広島から鎌倉の塾へ毎回欠かさず来ているが、この吉田さんに言われて二年ほど前から、広島でも塾をひらくようになった。その経緯をやはり本誌の創刊号に吉田さんが書いている。広島の素読会も、吉田さんがリーダーとなって、小林先生の「美を求める心」を繰り返し読むという形で始められた。今号に掲載した吉田美佐さんの「自分の中に入れるということ」、鬼原祐也さんの「『美を求める心』を走る」は、どちらもその「素読会in広島」から生まれた体験記である。

 

 

須郷さんの「信ずることと、祈ること」の部屋に掲げた「手ぶり言とひ聞き見るごとし」は、本居宣長が「古事記伝」を書き上げ、そのよろこびの会で披露した歌「古事ふることの ふみをらよめば いにしへの てぶりこととひ 聞見るごとし」の下二句を借りたものである。むろん須郷さんの文にも引かれているが、今月は坂口慶樹さんも「『興』のはたらき・『観』のちから」にこの歌を引いている。

お二人の文を読み通してみると、日ごろ私たちが勤しんでいる「本居宣長」への自問自答は、まさに小林先生の、そして宣長の、「てぶりこととひ」を「聞き見るごと」くになるための努力であると気づかされる。そこを坂口さんは、こう書いている、―小林先生は、十二年六ヶ月という歳月をかけて、宣長の作品を眺めた、私達、塾生も、そういう小林先生の姿を、同じ時間をかけて眺めようとしている……。

すなわち、本誌に設けている「『本居宣長』自問自答」は、小林先生の、また宣長の、「てぶりこととひ」を「聞き見るごと」くならんがために、先生が「本居宣長」第九章に書いている意味での「心法」を練る部屋なのである。今月は、そこに坂口さんと溝口朋芽さんが坐り、坂口さんは、孔子から出て荻生徂徠が強調した詩の「興の功・観の功」に耳を澄ませ、溝口さんは、宣長から出て小林先生が熟考した「シルシとしての言葉」に思いをひそめた。

(了)