編集後記

坂口 慶樹

弥生朔日、さる3月1日は、小林秀雄先生のご命日であった。

今年も、梅香るなか、ご息女の白洲明子はるこさんの墓参に塾生有志がお供をし、その後、山の上の家にてゆっくりと歓談させて頂いた。

今号では、その貴重な一日について特集を組み、橋本明子さんと松本潔さんに寄稿頂いた。

橋本さんは、「ごく普通の父娘の暮らし」の中にあった、数々の活き活きとしたエピソードを伺いながら、父親としての小林先生が、「生涯、家族を守った」姿を思い浮かべる。そこに、先生の文章の中でもひしひしと感じられる「人として大切にすべきこと」を感得された。

松本さんは、ご自身の実生活や実業家としての実体験も踏まえ、「小林先生の『実行家の精神』と、家族に対する深い責任感と愛情」を体感された。「人形」や「徳利と盃」という先生の作品は、今回、直に触れられた「家庭人としての小林先生」と響き合い、「ご家庭の空気が見えてくる気さえ」したという。

 

 

巻頭随筆には、森康充さんが、医者としての立場で、医者としての宣長さんについて、寄稿された。一見カルテのごとき関連情報の羅列に見える宣長さんの「済世録」について、「単なる帳簿」ではなく、「宣長の生きた証の一つである」という。小林先生の文章を長年愛読されてきた医師としての直観と洞察を味読頂きたい。

 

 

「本居宣長『自問自答』」は、溝口朋芽さんと山内隆治さんに寄稿頂いた。

溝口さんは、「本居宣長」の冒頭にある、謎多き「遺言書」をテーマに選んだ。「源氏物語」の「雲隠の巻」で宣長が出会った「死の観念」は、「古事記」の「神世七代」へと発展し、上古の人が千引岩ちびきいわを置くなかに、「生死を観ずる道」として完了した。その完了する、という行為を言葉にしたものが、くだんの「遺言書」ではないかと思いを馳せる。

 

山内さんの、山の上の家の自問自答は、上田秋成による本居宣長への難詰を、小林先生が「架空の問題」と呼んだことについてであった。その後も思索は続き、「本居宣長」の脱稿後、先生が「変な気持ち」と呼んだ内容に及び、さらに、清々しい「好、信、楽」の道へと続いていく。

 

 

「美を求める心」の飯塚陽子さんは、パリ在住である。カルチェラタンを、「群衆の動いてゆく浪の中に沈み込みつつ」あるように歩き続けながら、詩人ボードレールが、うごめく都市まちについて感じた「感覚的実体」、そして「整調された運動」を直覚する。その横を早足で通り過ぎ去ったのは、小林秀雄先生ではなかったか。

 

風薫る皐月がやってくる。

(了)