編集後記

坂口 慶樹

本誌『好・信・楽』は、今号をもって、創刊一周年を迎えることができました。読者の皆さまはもちろん、これまで寄稿頂いた皆さまに、心から感謝申し上げます。

 

 

「本居宣長『自問自答』」は、駒木崇宏さんと橋岡千代さんに寄稿頂いた。

駒木さんは、小林先生の「本居宣長」の文章や講演での語りに接してみて、自身が抱いていた、国語という教科や文字というものへの嫌悪感に向き合い、それらが解消されていく様を、飾ることなく綴られている。

橋岡さんは、「宣長の森」の中を歩いてきて、「言語表現の問題」という「不思議な木」に出会った。そこで立ち止まり、子育てや詠歌など、実生活上での経験も踏まえ、小林先生がいうところの「意識」、さらには「もののあはれを知るとは何か」という認識論にまで思いを馳せておられる。

お二人の、「自問自答」の歩みは続く…

 

 

3月17日から二日間の日程で、塾生有志が、本居宣長記念館の吉田悦之館長による「宣長十講」の講義「宣長学に魅せられた人々」を聴講すべく、松阪を訪れた。今号では、その二日間について特集を組み、館長によるご講義や記念館でのお話、そして妙楽寺の奥墓を前にして感じたことを、四人の方に寄稿頂いた。

安達直樹さんは、吉田館長が松阪という土地に「宣長の魂」を伝えようとされている姿を見て、小林秀雄先生が「教師」について語った言葉を思い出し、教師と弟子の共鳴が、「倦まずおこたらず」連綿と続いていくことの大切さを感得された。

小島由紀子さんは、館長のお話の一言一句にこころ動かされるとともに、初訪問となる松阪の地で、野辺に咲くすみれのように、いたるところに在る宣長さんの姿を体感され、「必ずまた松阪へ、山桜の奥墓へ」と自らに誓われた。

新田真紀子さんは、此の地で聴く館長のお話ぶりの中に、宣長さんの肉声を聴き取られたようである。そんな今回の体験を、「まるで時間旅行をしているようだった」と表現する。

荻野徹さんは、宣長さんの全人格がほとばしり出るような館長のお話に触れて、小林先生がいう「歴史に正しく質問しようとする」姿を、しかと見て取られている。「広告」という体裁とともに味読頂きたい。

 

 

「人生素読」には、石川則夫さんに、諏訪紀行を寄せて頂いた。小林先生と交流のあった女将さんとのやりとりも含めて、みなとや旅館に宿泊されていた先生の姿が目に浮ぶようである。「諏訪には京都以上の文化がある」という、先生の言葉の持つ奥行きと幅の広さに、直に触れてみたくなった。

 

 

「美を求める心」には、伊勢根付職人である梶浦明日香さんが寄稿された。梶浦さんは、職人の置かれた現状を目の当たりにし、「自分のこととして」自ら職人の世界に飛び込み、歩み出された。その一瞬の気付きこそ、茂木健一郎さんが、巻頭随筆で述べられた「エピファニー」そのものであろう。加えて、一本一本の木に、命を頂いている、その個性と向き合うという気持ちは、まさに小林先生が、職人について語るときに大切にされていたものでもある。

 

 

そんな梶浦さんの原稿を読んでいて、小林先生が「眼高手低」という言葉について書かれた「還暦」という文章を思い出した。

「芸術家は、観念論者でも唯物論者でもない。心の自由を自負してもいないし、物の必然に屈してもいない。彼は、細心な行動家であり、ひたすら、こちら側の努力に対する向う側にある材料の抵抗の強さ、図り難さに苦労している人である。彼の仕事には、たまたま眼高手低の嘆きが伴うというようなものではない。作品が、眼高手低の経験の結実であるとは、彼には自明な事なのである。成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処そこには、どうしても円熟という言葉で現わさねばならぬものがある。何かが熟して来なければ、人間は何も生む事は出来ない」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第24集所収)

 

本誌「好・信・楽」も、塾生一同でこれから少なくとも七年間は続けていく、山の上の家での「『本居宣長』自問自答」の取り組みとともに、「眼高手低」の歩みを進めてまいります。

読者の皆さまの、ご指導とご鞭撻を、引き続きよろしくお願い申し上げます。

(了)