言葉から人間を知るということ

橋岡 千代

私たちは、誰かの言葉が心にしみて生きる勇気をもらったりすることもあれば、そんな気はなくても出てしまった言葉で人を傷つけたりすることもある。言葉は美しくもなるし恐ろしくもなる。また、素晴らしい詩や小説に出会うと、自分の枠から抜け出た世界へ連れて行かれたり、日記や手紙を書くと心が整理されて落ち着いたりするという、心の切り替えを促す手がかりにもなる。人は普段、言葉に埋もれて生きているせいか、それ自体が人間にとってどのように大切なものなのか、その意味を考えることには無頓着である。そして、考えようにもその働きはなかなか見定められるものではない。

小林秀雄先生の『本居宣長』には、この立ち止まってもなかなか正体がつかめない言葉への見通しが幾筋もの光のように放たれている。

 

入塾して間もない昨年の春、池田塾頭から、小林先生は『本居宣長』を執筆される際、折口信夫氏に「本居宣長は源氏ですよ」と助言されたというお話を伺った。自然と私は、その意味を追うように、この殿堂のような作品を読み進めて行ったのである。

しかし、「『源氏物語』の味読による宣長の開眼」は、そう易々とは景色を現さない。読む人は、引用された宣長の原文を咬みしめ、前へ戻りつ先にあずけられつしながら、丁寧な小林先生の語り口をじっと見つめることで、全容が浮かび上がってくる仕掛けを知るのである。そこには、必ず見入ってしまう花や木のある寄り道があり、その香りに誘われて、ついもとの道を忘れてしまうほどだ。私はこの、宣長の森をくるくると冒険しながら、「言語表現の問題」という謎めいた不思議な木に遭遇してしまった……。

 

本居宣長と言えば、「物のあわれ論」が有名であるが、小林先生はこれを、宣長にとっては、歌人たちが当たり前に扱ってきた言葉ではなく、日常語として使われようとも、その含蓄する意味合いの豊かさに驚くべき力を持つ表現性であったと言う。そしてそれをまず、「物のあわれ」と「物のあわれを知る」とに区別して、「物のあわれを知る」とはどういうことかに読者の関心を誘う。

 

そもそも「物のあわれ」とは何か。宣長に聞いてみると、「阿波礼といふ言葉は、さまざまいひかたはかはりたれ共、其意は、みな同じ事にて、見る物、きく事、なすわざにふれて、こころの深く感ずることをいふ也。俗には、たゞ悲哀ひあいをのみ、あはれと心得たれ共、さにあらず、すべてうれし共、おかし共、たのし共、かなしとも、こひし共、情に感ずる事は、みな阿波礼也。されば、おもしろき事、おかしき事などをも、あはれといへることおほし」(「石上いそのかみ私淑ささめこと」巻一)と言っている。現代の感覚では、「あわれ」と聞けば、物悲しいとか、情趣を催す言葉のイメージしかなかったけれど、この、喜びも悲しみも、最初はすべて「あわれ」であったという言葉の成り立ちの中に身を置くと、人間の「心」のスケール感を省みざるを得ない。便利さや効率のおかげで、一見いつも平常心を備えているかのような現代人からすると、衣食住や生死が、今よりはるかに思うままでなかった古代の人の心の景色は、もっともっとダイナミックだったのだろう。

しかし、宣長は続ける。「うれしきこと、おもしろき事などには、感ずること深からず、たゞかなしき事、うきこと、恋しきことなど、すべて心に思ふにかなはぬすぢには、感ずること、こよなく深きわざなるが故」(「玉のをぐし」二の巻)と。「あわれ」はこうして何時の間にか、特に悲哀の意に使われるようになっていった。人は、願いが叶うと、すんなり次の行動に移して、それまでの切実な願いは忘れてしまうが、叶わない場合は、そこに深さ浅さはあるけれども、悲しみや苦痛に立ち止まって、自分の心を見つめてしまう性質があるというのだ。

 

さて、宣長によれば、「歌」とは、この「あわれ」をはらすために生れた最初の「物」であるという。しかしそれはどうも、私たちが思っている歌のような、心の動きによって、何かを表現したい感情から作られたものとは違うというのだ。もっと原初的な叫びのかたちであり、頭で考えて発話する言葉よりも先に発生したものであるらしい。

「たへがたきときは、おぼえずしらず、声をさゝげて、あらかなしや、なふなふと、長くよばゝりて、むねにせまるかなしさをはらす、其時の詞は、をのづから、ほどよくあやありて、其声長くうたふに似たる事ある物也。これすなはち歌のかたち也。たゞの詞とは、かならずコトなる物にして、その自然の詞のあや、声の長きところに、そこゐなきあはれの深さは、あらはるゝ也。かくのごとく、物のあはれに、たへぬところより、ほころび出て、をのづからあやある辞が、歌の根本にして、真の歌也」(「石上私淑言」巻一)

身近な例でいえば、私は、「たゞの詞」(橋岡注:日常の発話)の表現を知らない赤ん坊の泣き声を想像する。赤ん坊の欲望の表し方は、その種類によってトーンが違う。眠くてたまらない時は、激しく始まり、だんだん弱くなって眠りにつくが、その自分の声のリズムに慰められながら安心して寝入っていくように見える。この、泣くというリズミカルな「かたち」が歌の始まりに似ているのではないだろうか。

そしてその歌より重要なことは、この「カタチ」なのだと宣長は言う。それは赤ん坊が、泣くというリズムによって「安定する」、こういう妙技が、人間の性情の中に組み込まれているからだろう。小林先生も、「歌とは、先ず何をいても、『かたち』なのだ。或は『あや』とも『姿』とも呼ばれている瞭然りょうぜんたる表現性なのだ。歌は、そういう『物』として誕生したという宣長の考えは、まことにはっきりしているのである」と付け加えられている。それ故に、人々が古来、深い悲しみや願いからやる方なしに発した嘆きは、歌となり、礼、楽、舞踏などに発展し、「カタチ」に基づく表現性として、それらは今日でも芸術という創造の道に広がっているのだろう。

 

ところで、宣長には「和歌の功徳」という考え方がある。

「『心ニオモフ事』は、これを『ホドヨクイイツゞクル』ことによって死に、歌となって生れ変る。歌の功徳は、勿論もちろん歌の誕生と一緒であるから、『心ニオモフ事』のうちに在るはずはない」。この考え方を受けて先生は、「もし、『心ニオモフ事ヲ、ホドヨクイイツゞクル』詠歌の手続きが、正常に踏まれ、詠歌が成功するなら、誕生したその歌の姿は、『マコトノ思フ事ヲ、アリノマゝニヨムト云モノニナル也』と宣長が言っている事になる」と言う。

私は、この「和歌の功徳」のくだりがとても好きだ。これまで、心が動いた経験から出る感情は、ずっと心の糧として無くならないものだと信じていた。それを、自分の思考でどうにか表現したものが歌なり文章なりになり、きっかけとしての心の動きも、「カタチ」となった言葉も、すべて一つの「私自身」と思い込んでいた。しかし宣長は、それを人間の内面の機能として、意外な、しかし本質的な心の働きとしてこちらの認識を新たにする。「実の心」と「歌の実」は直に連続していない別物だと。小林先生は、それを「『言辞ノ道』がはらんでいる謎めいた性質」であり、「詠歌の『最極無上』とする所は、自足した言語表現の世界を創り出すところにある」と言っている。私は自分の思い込みが清々しくくつがえされ、この辺りから、「物のあわれを知る」の「知る」に目を向けよと言う小林先生の声がしっかり聞こえてくるのだった。

 

歌は、まず「カタチ」、あるいは「あや」や「姿」として誕生したとすれば、「歌とは、意識が出会う最初の『物』だ」と先生は言うが、その「意識」とは何か。先生は、「何事も、思うにまかす筋にある時、心は、外に向かって広い意味での行為を追うが、内に顧みて心を得ようとはしない。意識は『すべて心にかなはぬ筋』に現れるとさえ言えよう」と言っている。これは先ほどからの「物のあわれ」の出現と同じで、意識もここで関わるということである。

私には、意識とは、心が哀しみを感じたとき、自分の経験から知る様々な色の哀しみの中から一瞬にそれを察するもので、それによって、少しずつ深い「認識」へ降りていくような、その「認識」の入り口にある道案内のイメージがある。謂わば直観に似たものかもしれない……だがこれでは戯言のようなので、物慣れない自作だが、かつて詠んだ歌を例に挙げてみる。

 

雨宿り いかづち鳴りて 巻く雲の 色に染まれり 恋心はや

 

二人で駆けこんだ路辺の軒下、雷鳴が轟いて、「意識」が現れる。不意の夕立で恋心が意識され、雨雲の広がりや稲妻によって空がみるみる変化する様に、もどかしく、整理のつかない不安を覚え、すっかり濡れた髪をあきらめる時間は、その心をより深くかみしめる認識の時間だ。

 

小林先生はこのように言う。「堪え難い悲しみを、行動や分別のうちに忘れる便法を、歌道は知らない。悲しみを、そっくり受納れて、これを『なげく』という一と筋、悲しみを感ずるその感じ方の工夫という一と筋を行く。誰の実情も、訓練され、馴致じゅんちされなければ、その人のはっきりした所有物にはならない。わが物として、その『かたち』を『つくづくと見る』事が出来る対象とはならない」。はちきれそうな悶々とした思いは、単なる錯乱であり、「自分」ではない。それが歌に成ることによって、そこではっきり「恋」という我が心を所有するのである。

 

「物のあわれを知る」の「知る」とは、この、歌の極意にある「認識」であると言えよう。そしてまた、不安定な心を「カタチ」として安定させていくこの「認識」は、歌に限ったことではない。「私達の身体の生きた組織は、混乱した動きには堪えられぬように出来上っているのだから、無秩序な叫び声が、無秩序なままに、放って置かれる事はない。私達が、思わず知らず『長息』をするのも、内部に感じられる混乱を整調しようとして、極めて自然に取る私達の動作であろう。 ―中略― 言葉は、決して頭脳というような局所の考案によって、生れ出たものではない。この宣長の言語観の基礎にある考えは、銘記して置いた方がよい」と先生は言う。それは、私たちが、日常の中で様々な困難に遭遇しても、悲哀の呻きに分裂することなく安定を保とうとする「認識」、生きる上での必須の肉体の機能のことであると私は思う。

 

宣長の森で出会ったものは、「源氏物語」や和歌の御簾の向こうにくっきり見える、「言葉は肉体機能である」とでも言っているような宣長と小林先生の大きな影であり、自分自身の影でもあった。小林先生は、宣長を「人間通」と表現されているが、それは、言葉から人間を知ろうとして得た宣長の確信に基づくのだろう……いずれそう見定めたいと願いつつ、私は、まだまだ先を急げない森の深さに圧倒されるばかりである。

(了)