言葉がその身に宿すもの

渋谷 遼典

『本居宣長』十章の終わりに、こういう一文がある。

“私達は、しようと思えば、「海」を埋めて「山」とする事は出来ようが、「海」という一片の言葉すら、思い出して「山」と言う事は出来ないのだ”。

この、一見奇妙なたとえ話に目が留まったのは、「歴史」という言葉の感触を新たにしようと、『宣長』を読み返していたときだった。鎌倉の塾では、『本居宣長』は「言葉」と「歴史」と「道」の“三位一体”によって織り成される作品である、という塾頭のお考えに基づき、それぞれの言葉を一年ごとのキーワードとして取り上げることになっている。昨年の「言葉」に続き、今年主題となったのが「歴史」だった。そこで僕は、「歴史」を道案内のコンパスにしつつ、ふたたび『宣長』山への登頂を試みていた。そうしたら、今まで見過ごしていた小径が、思ったより広い奥行きを持っていることを発見した、というわけだ。

冒頭の一文には、この大著で扱われている「歴史」という言葉を考えるためのヒントがある。そしてそれは、僕らが通念として持っている「歴史」についての考えを、塗り替えてしまうようなものを孕んでいる。

 

小林秀雄は一つの言葉を、いわゆる辞書的意味を超えて使っていることがしばしばある。誰しも日々の暮らしのなかで、蓄積されてひとところに収斂した公共的な言葉の“意味”に、色を付けたり、体重を載せたりして、自分なりに使い熟しているものだが、小林秀雄の場合は、大事な言葉であればあるほど、一語の中に濃密な思索が込められており、うっかりおざなりな“意味”を充てて読み飛ばしていると、とんでもない隘路に迷いこむ恐れがある(ちなみに、池田塾頭はこうして熟成された言葉を取り上げる「小林秀雄の辞書」という講座を開講している。本誌「入塾案内」のページを参照されたい)。

宣長が歌語の中から拾い上げ、『源氏物語』体験を溢れんばかりに盛り付けて使った「もののあはれを知る」という言葉が、『源氏』の読みや身近なものの感じ方に全く新しい回路を拓いたように、小林秀雄の言葉には、何かを認識するときの解像度を上げ、また“当たり前”をとことん掘り下げることによって、自分と対象の輪郭を二つながらにはっきりさせてくれるような効用がある。けれども、そういう言葉の恩恵に浴するには、置かれた文の流れに耳を澄まし、言葉が読む者を自らの内に招き入れてくれるのをじっと待たなくてはならない。

 

冒頭の文章を、少し前の箇所から改めて引いてみよう。

“徂徠に言わせれば、「辞ハ事トナラフ」(「答屈景山書」)、言は世という事と習い熟している。そういう物が遷るのが、彼の考えていた歴史という物なのである。彼の著作で使われている「事実」も「事」も「物」も、今日の学問に準じて使われる経験的事実には結び附かない。思い出すという心法のないところに歴史はない。それは、思い出すという心法が作り上げる像、想像裡に描き出す絵である。各人によって、思い出す上手下手はあるだろう。しかし、気儘勝手に思い出す事は、誰にも出来はしない。私達は、しようと思えば、「海」を埋めて「山」とする事は出来ようが、「海」という一片の言葉すら、思い出して「山」という事は出来ないのだ”。(以下、引用は特に断りのない限り『本居宣長』十章より)

ご覧いただいた通り、この文章は直接には江戸の儒学者・荻生徂徠の学問に触れた箇所で書かれている。徂徠は、『本居宣長』という思想劇においてかなり重要な役回りを務める人物のひとりである。宣長という、『源氏物語』や『古事記』など、日本の古典を学問の主な対象とし、日本人の裡なる“からごころ”を警戒した人物を描くドラマで、『論語』をはじめとする中国の儒書を読み抜いた徂徠が大役を務めるとはいかなることかと、我々素人は考えるが、さにあらず。小林秀雄の言葉を借りれば、宣長は、“徂徠の見解の、言わば最後の一つ手前のものまでは、悉く採ってこれをわが物とした”。二人は、学問の態度において深く通じるものを持っていたのである。それを、宣長に私淑した吉川幸次郎は“言語をもって事実を伝達する手段としてのみ見ず、言語そのものを、人間の事実とする思考”と表現した(「文弱の価値」)。

 

「辞ハ事ト嫺フ」。コトバコトと親しみ連なっている。古語は、古人の生きた体験をその身に刻んでいるのだ。言葉は意味を超えた含みを持っていて、含みから切り離して清潔な記号を得ることは誰にもできない。そういう風に考えるとき、歴史というものは客観的な「事実」の集積である、という根深い思いこみが揺らぐことになる。徂徠の「歴史」は、今日の僕らが歴史という言葉でイメージするものとはずいぶん異なっている。

僕らは、やっぱりどこかで「歴史」というものを他人事として考えているのではないだろうか。つまり、“私”などというものとはまったく関係のない遺跡や遺物、古い歴史書といった「事実」があって、それらを一定の方法で整理し、上手に並べれば、どこかにある「完全な歴史」が再現できる、というように。そういう考えからいくと、いわゆる歴史資料というものは、どこかにある「完全な歴史」へ至るための通路ということになる。文章そのものは「事実」を確定するための道具にすぎず、それが済めばもう用はない、ということに。

しかし、本当にそうだろうか。そもそも歴史を記すものたちは、膨大な歴史資料のなかから、限られた「歴史的事実」を選びだして編纂し、また多くの語彙の中から特定の言葉を選んで書き記す。歴史という映像は、記録者の心を通して屈折した光線によって結ばれている。ほんとうは、外的な法則に従って機械的に「事実」を操作するのではなく、生きた心の働きがなければ歴史というものはないのだ。歴史とは決して単なる事実の集積ではない。歴史を知ろうとするものは、書き残された言葉などの遺物をできるだけ集め、そこから彼らがいかに生きたかを再構成しようとする。そうすると、彼らが生きた経験や、そこから紡がれた思想を、現在の自分の心のうちで甦らせなければならない。『本居宣長』連載中の講演「文学の雑感」(新潮CD「小林秀雄講演」第巻)で、小林秀雄は次のように言っている。

“歴史は決して自然ではない…現代ではこの点の混同が非常に多いのです。僕らは生物として、肉体的には随分自然を背負っています。しかし、眠くなった時に寝たり、食いたい時に食ったりすることは、歴史の主題にはならない。それは自然のことだからです、だから、本当の歴史家は、研究そのものが常に人間の思想、人間の精神に向けられます”。

またこうも言う。

“歴史は決して出来事の連続ではありません。出来事を調べるのは科学です。けれども、歴史家は人間が出来事をどういう風に経験したか、その出来事にどのような意味あいを認めてきたかという、人間の精神なり、思想なりを扱うのです。歴史過程はいつでも精神の過程です。だから、言葉とつながっているのです。言葉のないところに歴史はないのです”。

徂徠の「歴史」とは、まさに「古人の道」、古人がいかに生きたか、生きるべきと考えたかということであり、それは古書に記された言葉に、言葉というものにこそ現われている、と彼は考えた。

“徂徠が学問の上で、実際に当面したものが、「文章」という実体、彼に言わせれば、「文辞」という「事実」、或は「物」であった。彼は言う。「惣而そうじて学問の道は文章の外無之候。古人の道は書籍に有之候。書籍は文章ニ候。よく文章を会得して、書籍の儘済し候而、我意を少も雑え不申候得ば、古人の意は、明に候」(「答問書」下)”。

すべて学問というものは文章に尽きている。「古人の道」は書籍にあり、書籍は文章だ。よく文章を体得して、(しかしあくまで)書籍のままにして、我意を差し挟まなければ、古人の心というものは明らかだ。言葉を重視する徂徠の態度がよく表れた一文である。しかし宣長は、さらに一歩進んでこう言う。

“抑意(ココロ)と事(コト)と言(コトバ)とは、みな相カナへる物にして…すべて意も事も、言を以て伝フるものなれば、フミはその記せる言辞(コトバ)ぞ主には有ける”。(『古事記伝』一之巻、古記典等総論より)

「意」と「事」と「言」とは、みな相称うものだとは、ずいぶん思い切った言い方だ。文章という主観を交えた曖昧なものから、客観的な歴史事実を確定する、というような考えとは、やはり随分違っている。彼らにとって歴史と言葉は決して離すことのできないものだった。「文章という実体」を、実証科学的な方法で物品並みに扱うことはできない。

 

「思い出すという心法のないところに歴史はない」。他人事として、単なる事実の集積としてではいけない、常に現在の自分の心を介して思い出そうとしないところに歴史はない。そのとき甦る像は、しかし「文章という実体」を前にしている以上、決してたんに恣意的なものではない。たとえば「海」という(言葉が指し示す)自然的事実は、人為や経年によって全く別のものになってしまうけれども、「海という言葉」から記されたものを想像しようとする僕らの心の動きは、言葉が持つその実体としての手応えを無視して空想に耽ることはできない。古い言葉、今はもう使われなくなってしまったり、まったく意味が変わってしまったりした、解読の難しい碑文のような言葉を前にして、しかし徂徠や宣長はそれを、決して自分と無縁な対象としては扱わなかった。あくまで、聴き取られるべき古人の声として、こちらから安易な理解を押しつけてはならない、確かな姿を備えた遺言として、受け取ろうとした。その手応えを、合理的観察の対象として歴史を捉えようとしたときにはいとも容易く抜け落ちてしまうそれを、彼らはけっして軽視しなかった。

言葉によって伝達された事実を知ることだけではなく、事実をどのように伝えるかという言葉の姿を、古人の息吹を伝えるものとして重視すること。言葉を、単なる意味伝達の記号としてではなく、「一種の器物の様に」(「ガリア戦記」、新潮社刊『小林秀雄全作品』第14集所収)扱うこと。ここには、歴史と事実と言葉とに亘る、いまも色褪せることのない一つの態度がある。

(了)