厳しい暑さが残る八月、私は山の上の家の塾で質問の機会を頂き、次のように尋ねた。
本居宣長にとって、学問とは己れの生き方を知る事であり、よって宣長は、「源氏物語」の研究者である前に愛読者であり、「研究者の道は、詞花言葉を翫ぶ、この経験の充実を確かめるという一筋に繋がる事を信じた」と、小林秀雄先生は「本居宣長」の第18章で言う。
一方先生は、第19章では、今日の学問形態は「観察や実験の正確と仮説の合法則性とを目指して極端に分化し専門化」しており、これに慣れた私達には「学者であることと創造的な思想家である事とが同じ事であるような宣長の仕事、彼が学問の名の下に行った全的な経験、それを思い描く事が困難」になったと書いている。
ならば、現代の学問形態と宣長の学問様態との相違は、人生の全的経験に重点を置くか否かであり、現代でも人生の全的経験を経た研究成果は、古典と成りうるのだろうか。
もちろん私は、「いつの時代でも、人生の全的経験を経た研究成果は、古典と成りうる」という言葉を期待した。小林先生が「読書週間」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第21集所収)で「あんまり本が多すぎる」と仰り、「二度読むべき本は、ほとんどなくなった」等と言う人のいる現代でも、心を打ち、読み継がれる本はある。学術的な世界でもまた同様、「これは」という研究成果があると思われ、それは古典、すなわち、理論の普遍性が評価され、世代を越えて読まれるものになるのでは、と思った。
ところが、池田塾頭から最初に発せられた言葉は、「残念ながら、現代の学問は、古典として残りません」であった。「小林先生の『読書週間』に即して言えば、現代の学問は、文学、哲学、歴史学なども自然科学同様に細分化、専門化が進んでいる、そのため、学者たちは『人生の全的経験』を基本に置こうにも、そうはさせてもらえなくなっている、文学の研究者ですら、人間への関心や人と交わることの意味を見失いがちである、何のための学問か、学問の目的そのものが忘れ去られている。 ―― 塾頭は、こう説明された。
では、現代でも、人生の全的経験を経た研究成果であれば、古典と成りうるのだろうか。池田塾頭の答えは、また否であった。「それを、大学教授といった職業学者に限って言うならばNOである。なぜなら、職業学者は、今は本が多過ぎて、専門分野どころか専門課題の関連文献・関連論文を読むだけでも時間が足りないという有様で、『全的経験』そのものをさせてもらえない窮状が、年々度を増しているからです」。
午前の学びの後、本居宣長記念館の吉田悦之館長が教えてくださった。宣長は、生涯学問を続けた学者である、しかし学問を生業としなかった、だから良かったのです、と。学問で食べてゆく必要がなかったから、宣長は純粋な関心を保つことができ、独学の場と、他との交わりの場を行き来しながら、時間をかけて学問を味わい楽しみ、深め、広げていくことができた。
詞花を翫ぶ感性の門から入り、知性の限りを尽して、又同じ門から出てくる宣長の姿が、おのずから浮かび上がってくる。出て来た時の彼の自信に満ちた感慨が「物語といふもののおもむきをばたづね」て、「物のあはれといふことに、心のつきたる人のなきは、いかにぞや」という言葉となる。
(「本居宣長」第18章 同第27集p. 199)
そして、後日、池田塾頭もこう言われた。
「専門学者でなく一般人の学問であれば、他人の論文に日々追い回されるという徒労からは解放され、万全ではなくとも『全的経験』を心がけて実行することはできて、その成果が古典となるかもしれない道はひらけている。現に池田はそういう希望を抱いて山の上の家の塾に臨み、『好・信・楽』を編集し、それなら私も私もと、後続の人生塾が相次いで誕生することに期待を寄せている」。
池田塾頭と吉田館長の言葉を反芻するうち、ようやく気付いた。学問や古典の意味を、いかに私が狭めていたか、と。学問とは、学者がすべきもの、学者のみに許されたものなのではなく、生きる人なら誰もがするものなのである。そして古典とは、知識を得たり解釈したりするための机上の書物ではなく、書かれた当時の人間と会話し、彼らが何を考えどう生きていたかを理解するための、往時の人間の声そのものなのである。
人は誰もが心の底で、「人間とは何者か」ということを、意識的に、あるいは無意識のうちに考え続けている。だからこそ、小林先生が11年半の歳月をかけて執筆した「本居宣長」が売れに売れ、一般読者から本質的な書評や感想が寄せられたのだろう。ならば、様々な理由により多くの学者が思考に没頭できない今こそ、一般人である私たちは、細く長く、思考を続ける時なのかもしれない。宣長が言うように、自分の一生のうちに何も結論は出なくてもよいのだ。すべての思考は明日の礎となり、無駄にはならない。
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先日、百歳で亡くなった、ある女性思想史学者を偲ぶ会に出席した。学問において自他に厳しく、高齢者の住む施設で最後まで、施設内外の人々と勉強会を続け、参加者は「社会にとって、人間にとって悪とは何か」について、考えを発表しあったという。偲ぶ会でも、参加者の各々が、恩師から受け取った言葉を、深い感謝と共に披露した。そのうちの一人、元教え子で、40代を前に学者の道を断念した男性が、マイクを手に立った。そして、こう話した ―― あの日、研究室に出向き、「先生の期待に沿えず申し訳ないが、私は学者を辞めます」と伝えたところ、その恩師に「学者でなくても研究はできます。思考を止めてはなりません」と励まされたのだ、と。宣長の真髄を、思わぬところで聞き、言葉が胸に刺さった。
私の日常はささやかで、人生は長いようで短く、何かを成し遂げて終わるものでもないだろう。だからこそ、山の上の家では、捉われから放たれて思考し、塾生の皆さんと素直な心で交わりたい。これからも、時に独りで、時に皆で、「人間とは何者か」について考えたい。また、数は少ないのかもしれないが、現代にも確かに存在している、全的経験をもって真理を追究する学者に出会った時には、心から尊敬したいと思っている。
(了)