昨年、『脳科学者の母が、認知症になる』という本を上梓した(河出書房新社刊、2018年10月)。
2015年秋に、私の母がアルツハイマー型認知症と診断された。私は脳科学を学び始めて約16年である。しかし私は、ずっと一緒に暮らしてきた母が脳の病気になることを止められなかったし、その病気を治すこともできないでいる。なんのために学問をしてきたのだろう、と考え続ける3年間だった。
私は脳科学を始めた当初から、いつか学問と、自分の人生の切実な問題とが一致したらいいと願ってきた。研究室に入りたてで、20代前半の人生に迷っていた私に、師の茂木健一郎さんが突然、「おまえにはこれだ」と言って、小林秀雄さんの講演『現代思想について』(新潮CD「小林秀雄講演」第4巻)を渡してくださった。聴いてみて、「学問は、自分の人生の中でどうしたらいいのだろう、と思っていることを、自分で考えることなのだ」と確信した。その時までは、冷静で、非個人的になって初めて、科学はできるのだと思い込んできたけれど、やはり、自分が生きて死んでいくことや、自分の感情と、まったく切り離せない学問があるのだ、と感動したのだ。
「こっちの方が本当だ」「私も、茂木さんや、小林さんみたいに、自分の人生の切実な問題について文章をいつか書きたい!」そういう思いを抱いて16年が経ち、その思いがはじめて、私が脳科学者になったのに母が脳の病気になる、という人生一の不幸で叶うことになったのである。
アルツハイマー病は、どんな病気か。記憶の中枢である海馬に最初に問題があらわれ、「現在のことが覚えられなくなる」という病気である。だから、毎日の出来事を正しく語ることはできなくなる。同じことを何度も聞いてくる。また、記憶が定着しないから、たとえば、味噌汁を作ろうと思って、水をコンロに掛けて、大根を切っていると、大根を切っているうちに、味噌汁を作ろうとしていたことを忘れてしまう、というふうに、実行機能障害も起こる。料理など自分が今まで簡単にやっていたことが、できなくなるのである。また、自分が何をやりたかったのか、自分は何のために今その行動をしているのか、それが突然わからなくなることは、本人に強い不安を感じさせ、鬱なども引き起こすことになる。
なんでもできたはずの母が、なんにもやろうとしなくなる。簡単にやっていたはずのことで失敗する。最初、私は、「え? なんでそんなことができないの?」と素直に驚いてしまっていた。海馬に問題があると記憶が定着しないということは知っていても、日常の中の具体的な母の症状は、そんな知識を超越していた。驚き、傷つき、否定して、母の異変を確信してから、受け入れて病院に行けるようになるまで、私の場合約10ヶ月の時間がかかった。
この10ヶ月は、私の人生の中で最もキツい期間だった。3年が経った今、母の症状は随分進んでいるが、今よりもずっとその最初の期間がつらかった。理由の一つは、慣れていなかったから。もう一つは、これからどうなるかの予想がまったくつかなかったから。
この間の私は、とにかく「怖い」と思っていた。アルツハイマー病は進行性の病気で、今のところ治す薬がない。だから、いつか、母は母でなくなってしまうのか、と思って夜も眠れなかった。本当に、色々なことができなくなっていって、私のことまで忘れてしまうのだろうか? それはいつ、どんな形で起こるのだろうか? 今まで小説や、映画にたくさん描かれてきたように、家族のことを忘れて、街を徘徊するようになるのだろうか? もしも全部記憶をなくしてしまったら、それは母が母でなくなるということなのだろうか? と。
未来が真っ暗に見えた中で、私は、何度も小林さんのことを思い出していた。考えようとしなくても、思い出されてきた。小林さんだったら、どうするだろうな、とよく思った。小林さんは、本居宣長にしても、ゴッホにしても、誰かをみるときに、客観的な条件で見ることがない。「何歳の時、どういう学校に行っていた」「どういう職業をやっていた」「どういう人物と一緒にいた」それだけで終わりにならないところをお書きになる。『本居宣長』の中では、たとえば、紫式部が書いた「源氏物語」について、光源氏のモデルを探したり、物語の出来事に対応する現実の出来事を探したりして、物語の不思議を解明した気になっている学者達に向って、「外部に見附かった物語の准拠を、作者の心中に入れてみよ、その性質は一変するだろう」(『小林秀雄全作品』第27集「本居宣長(上)」p.179)と書いている。このような小林さんの文章にずっと触れてきたからこそ、私は、母が病気になって、上のような恐怖の中にいる時に、「料理が上手かったから母なのか」「音楽が好きだったから母なのか」「記憶があるから母なのか」――「そうではないだろう」「能力だけで、母を見ることは間違っているのではないか」「何を見たら母を見たと言えるのか」と自問自答した。
小林さんは、人の本質というのは、母親が子供を見る、そういう風に見えているものだ、とおっしゃる。子供が成長の過程で身に付けていくさまざまな「能力」とは関係のない「その人」があるわけである。そして、そういう「その人」だったら、私も、「母」をちゃんと知っている気がした。その「母」は、アルツハイマー病になっても、一生変わらないものなのだろうか? それを明らかにしたくて、できたのが『脳科学者の母が、認知症になる』である。
結局私は、医者ではないし、また薬を作るために脳の分子的な世界を研究しているわけでもないので、「治す」とか「メカニズムの解明」とかについては無力だった。しかし私は、母という一人の人物を具体的に一番よく知っている娘であり、「感情」と「自意識」を研究してきた脳科学者だからこそ、「その人らしさとは何か」という問題を探ることができる。自分が一番恐ろしいと思っている問題について、自分の持っているもの全てを使って、勇気を出して向き合えばいいのだ、と思った。概念だけの学問でなく、母というかけがえのない人がここにいる。人生で切実な問題を学問する、というのは、こういう勇気のいることだったのだな、と今更ながらわかった。「自分で向き合えばよい」という勇気が持てたのは、池田塾頭に毎年課されてきた自問自答のトレーニングのおかげだ。
私の結論はどうなったか。
アルツハイマー病で失われる能力はたくさんある。母はさまざまなことができなくなった。能力が失われることは、確かに母らしさが減ることであり、悲しいことである。しかし、母は色んなことがわからなくなってしまっているが、わかっているとき、ちゃんと伝わっているときには、これまでと全く同じ「母」の反応が見える。すなわち、「母」はこれまでと同じ「母」である。その結論に至った詳細は、本を読んで頂きたい。
向き合う必要があった問題に、向き合っただけのことなのだが、私と同じように認知症を「恐ろしい」と思っている多くの人に、具体的にアルツハイマー病になるとはどういう感じのすることなのか、人格と記憶とはどういう関係にあるのか、ちゃんと味がするように書いたつもりである。アルツハイマー病の人たちは、記憶の問題のせいで、発言に一貫性がなくなっていく。それゆえに、当人達の内観研究が遅れている。自分のことが表現しにくい人の代弁者に、少しでもなれていたら幸いである。
(了)