編集後記

坂口 慶樹

年度があらたまる時機の刊行となる今号は、山の上の家での「自問自答」の提出を控えた四人の男女が織りなす、荻野徹さんによる対話劇で幕を開けた。中江藤樹が、「眼に見える下克上劇から、眼に見えぬ克己劇を創り上げた」という小林秀雄先生の言葉の深意をなんとかして汲み取ろうと、四人の談義は終わりそうにない……

 

 

「『本居宣長』自問自答」には、溝口朋芽さん、黒瀬愛さん、安田博道さんが寄稿された。

溝口さんは、本塾への入門後、数年にわたる「自問自答」の蓄積や、松阪を訪れ「奥津紀おくつき」を正視するなかで直覚してきたことを通じて、「遺言書が宣長の思想の結実である」とは一体どういうことなのか、について思いを巡らせておられる。

黒瀬さんは、初体験となった「自問自答」のなかで、池田雅延塾頭から示唆された言葉を端緒として、「物の哀」を知ること、知らされるということについて、自身の過去の人生経験も自問自答の形で思い出しながら、新たなる一歩を踏み出された。

安田さんは、宣長と小林先生の言葉を丹念に追うなかで、宣長と老子の自然観の違いについて探求を深めておられる。宣長は「似て非なるもの」に言及する、されど「似て非なるものをにくむ」という言い方はしなかったであろう、と推し計る安田さんの言葉をじっくりと味わいたい。

 

 

「歴史と文学」の原弘樹さんは、2017年10月の「自問自答」で立てた主題を端緒として、思い巡らせてきたことを寄稿された。天武天皇が稗田阿礼に命じた「誦習よみならい」という言葉の本意に拘った原さんは「古事記伝」を紐解く。そこで原さんが直覚したものから、私たちの眼前に開けてくるものは何か。

 

 

村上哲さんは、「考えるヒント」のなかで、数学や物理学に親しく馴染んできた者として、科学者の態度について、小林先生が「信ずることと知ること」に引く、柳田國男氏や氏の作品に登場する人々の態度を熟視しつつ論じられている。村上さんが言うところの「人間が本来持っている態度」を何と呼ぼうか。

 

 

冒頭で触れた、荻野さんの対話劇に登場する中江藤樹について、小林先生は、「本居宣長」で言及したことに関して、「宣長を語ろうとして、契沖から更にさか上って藤樹に触れて了ったのも、慶長の頃から始った新学問の運動の、言わば初心とでも言うべきものに触れたかったからである」と書いている。

新年度の「小林秀雄に学ぶ塾」は、「本居宣長」を学んで七年目に入る。小林先生の執筆期間を念頭に十二年半かけて読む計画なので、ちょうど折り返し地点を回ったところである。急登を超え山の上の家の門を初めて叩いたときの自らの初心を思い出し、「本居宣長」という高嶺に向け、さらなる歩を進めて行きたい。

新年度の「自問自答」のテーマは、「道」である。

(了)