編集後記

坂口 慶樹

令和初の刊行を迎えた今号の巻頭随筆には、本誌2018年10・11月号の「人生素読」にも寄稿された、熊本県在住の本田悦朗さんが筆をとられた。長年、小林秀雄先生について学び続けてきておられる中、本誌への感想をいただいたご縁から始まり、今回時機を得て「小林秀雄に学ぶ塾in広島」に参加した感想を綴られた。文面から自ずとにじみ出るお人柄とその実体温を感じていただけたらと思う。

 

 

「『本居宣長』自問自答」には、亀井善太郎さん、小島由紀子さん、本田正男さんが寄稿された。

亀井善太郎さんは、「本居宣長」の「自問自答」を考え続けるなかで、「考え続けること」の深意について思索を深めておられる。小林先生自身が考え続けてきたからこそ読者も考え続けねばならない、と言う亀井さんが、先生の文章に感得した「大きな弧を描いている」、という言葉に注目したい。

小島由紀子さんが、「自問自答」に取り組むなかで、「反省」という小林先生の言葉を通じて観るに至ったのは、奥村土牛の素描を見つめる先生の姿であり、さらには、宣長さんが「古事記」に向き合う姿でもあったようだ。小島さんの文章を読み終わると、先生も繰り返し見たという、画集「土牛素描」にある「西行桜」の素描が無性に見たくなった。

本田正男さんは、小林先生が、「本居宣長」の読者に向けて「思わず引き込まれ、歩き続けずにはいられなくなるような仕掛け」として用意したものとして、宣長の遺言書を捉える。そのうえで、同書において遺言書が登場する第1章と第50章の、ちょうど中間におかれた第26章の文章に注目することで、見えてきたものは何か。

 

 

「人生素読」には、後藤康子さんに寄稿いただいた。後藤さんは、小林先生や宣長さんのように桜を心底愛していた、今は亡きおばあさまが、「如何に死を迎えるべきか」という命題と真剣に向き合ったことを思い出されている。末尾に引かれた、おばあさまが遺されたという二十六音からなる里謡を、その姿を、静かにかみしめたい。

 

 

村上哲さんは、宣長さんの二枚の自画自賛像に向き合い、思い巡らしたことを「美を求める心」に綴られている。直観したのは、宣長さんの遺言書の一部をなす「本居宣長之奥津紀」と記された墓碑の図解もまた彼の自画像ではないか、という問いである。それはさらに、「遺言書」の本文こそが「描線なき自画像」ではないか、という問いへと発展する。

 

 

後藤さんも書かれているように、天候のせいか、今春の桜は花期が長かったので、例年以上に愉しまれた読者も多かったのではなかろうか。奇しくも今号では、小島さん、後藤さん、村上さんの作品が、桜を主題の一つとするものになった。

5月の山の上の家の塾では、村上さんが言及した「しき嶋の やまと心を 人問はば……」という宣長さんの歌との関連で、「さくら」と題する小林先生の文章を池田塾頭が紹介された。その冒頭もまた、亀井さんが言うところの、先生によって描かれた「大きな弧」の一部のように感じたので、改めて紹介しておきたい。

 

「さくら さくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か 匂いぞ出ずる いざや いざや 見に行かん」という誰でも知っている子供の習う琴歌がある。この間、伊豆の田舎で、山の満開の桜を見ていた。そよとの風もない、めずらしい春の日で、私は、飽かず眺めていたが、ふと、この歌が思い出され、これはよい歌だと思った。いろいろ工夫して桜を詠んだところで仕方があるまいという気持ちがした。(中略)

「しき嶋の やまと心を 人問はば 朝日ににほふ 山ざくら花」の歌も誰も知るものだが、これも宣長の琴歌と思えばよいので、やかましく解釈する事はないと思う」

(新潮社刊『小林秀雄全作品』第24集所収)

 

(了)