「ぽかん」考 ―作曲家として個展を終えて

桑原 ゆう

いつもこうだ。公演や作品の発表が終わると、ぽかんとしてしまうのである。祭りの後という言葉があるくらいだから、何かをやり遂げたあとの虚脱感は、だれもが経験することなのだろうが、公演の翌日から私をさいなむそれは、ただの「ぽかん」ではない。文字通り、穴であり、奈落のような「ぽかん」である。公演や作品に対しての思い入れが強ければ強いほど、その「ぽかん」は大きく、黒々として、ブラックホールのように内側から私を吸い込もうとする。それに抵抗するのは、なまやさしいことではない。しかし、そんなことにはお構いなしに、次の作品の締め切りは容赦なくやってくるので、なんとか仕事をしようと試みるのだが、どういうわけだか涙が溢れて止まらなくなってしまう。布団にもぐってわんわん泣いているうちに、いつの間にか寝てしまっていたことが何度もある。

この数年、その「ぽかん」に慣れることを心がけてきた。作曲を生業なりわいとする者として「ぽかん」とうまく付き合うことも日常の習慣にしなければいけない。公演数が増え、次から次へと作品を書かなければならない状況で、毎回毎回それにかまってもいられないが、最近は努力の甲斐あって「ぽかん」がブラックホールにまで膨れ上がることは少なくなってきた。「ぽかん」と折り合いをつける術を何通りか身に付け、「ぽかん」にとらわれてしまう時間は徐々に短くなってきていた。ところが、さすがに、今回の個展(「影も溜らず――桑原ゆう個展」 2019年7月19日 於東京オペラシティ リサイタルホール。文末参照)後の「ぽかん」となると、そうは問屋が卸さなかった。個展への思い入れは、私が自覚していたよりずっと深かったようだ。終わった翌日からの落ち込みようといったらなかった。1ヶ月近く経ったいまも、それから完全に抜け出せているかといえば、そうは言い難い。落ち込んだ自分と、未だに向き合い続けている。

この「ぽかん」とは、一体何であろうか。私の場合、作品を書き上げたときにぽかんとすることはないので、作品が音として世に出、人に聴かれたことによるものであろう。そして、毎回「ぽかん」に悩まされることがわかっていて、私はなぜ作品を発表するのだろう。

 

なぜ私は作曲をするのか、それについては、年々少しずつ、自分自身で説明がつくようになってきた。私にとって、作曲は思考の手段だからである。そして、おそらく、私は曲を書くこと自体が好きなのだ(「おそらく」というのは、私は、作曲が、ひいては、音楽が本当に好きなのだろうかと、未だに疑問に感じることが時々あるからである。作品をつくっている最中は、正直なところ、つらくてしょうがないので、もう書くもんかと思ったことなど数え切れない。それにもかかわらず、懲りずにいまも作曲を続けているのは、好きだからとしか言いようがない)。ならば、曲を書くだけじゃだめなのか。終止線を引いたら、そこで出来上がりでよいじゃないか。音にしなくても、そして、人に聴かせなくてもよいのではと思うのだが、作品がそうさせてはくれないのだ。作品は、音になりたい、人に聴かれたいと私に訴えてくる。私が人に聴かせたいかどうかにかかわらず、作品自体が人に聴かれようとする。

本居宣長は、こう言っている、「たへがたきときは、おぼえずしらず、声をささげて、あらかなしや、なふなふと、長くよばはりて、むねにせまるかなしさをはらす、其時の詞は、をのづから、ほどよくアヤありて、其声長くうたふに似たる事ある物也。これすなはち歌のかたち也。ただの詞とは、必異なる物にして、かくのごとく、物のあはれに、たへぬところより、ほころび出て、をのずから文ある辞が、歌の根本にして、真の歌也」(小林秀雄「本居宣長」、新潮社刊「小林秀雄全作品」第27集、259頁、3行目)。

また、小林秀雄先生はこう言っている、「今は伝わらないが、『宣命譜』という古書があった事が知られている。恐らく、儀式をととのえて、詔書をる際の、その『ヨミアゲざま、音声の巨細長短昂低曲節などを、しるべしたる物』と思われるが、宣命という『ワザ』は、余程やかましいものであった。――『神又人の聞て、心にしめてカマくべく、其詞にアヤをなして、美麗ウルハシく作れるもの』であったと言う」(同第28集、46頁、15行目)

「古事記」の時代から、神と人との間で「アヤ」が取り交わされ、音楽のすべては「アヤをなす」事の延長にあり、「アヤ」という表現性の、音声としての面が発展したところに音楽が起った。つまり、古代人がどうにか祈りを聴いてもらいたい、神々の注意を引きつけたいと考え、祈りの言葉の読み上げ方を工夫した、その延長に音楽があるのだとすると、音楽というのは元来、だれかに聴かせることを前提としている。よって、私の作品も、だれかに聴かれるために生まれてくる。私は作曲家として、その本性を無視することはできない。

 

作曲家は、作者としての責任を取ろうとする。作品を世に出すからには、できるだけ良い音楽として聴いてもらいたい。だから、その御膳立てをし、より良い環境をつくってやり、磨きあげ、送り出してやる。

私の場合は、自作自演はほぼないので、作品を音として実現してくれる奏者とのコミュニケーションの在り方を考えるのは、最も重要なことだ。限られた時間のなかで、公演本番により良い演奏が実現できるよう、最善を尽くす。まず、作品の音楽性をできるだけ精しく伝える、且つ、気持ちよく読める楽譜をつくることにつとめる。楽譜というのは、私からの奏者への手紙のようなものである。必要な要素を、ふさわしい方法で、適切に楽譜に書き表すことができたら、音の情報以上のものを譜づらが語ってくれるようにさえなる。その上で、リハーサルがうまく行くようにつとめる。奏者の様子、演奏の完成度などを見極めつつ、楽譜では伝えきれなかった部分を、注意深く、言葉で補っていく。時には、強く発言しなければならないこともあるが、作品に筋が通っていれば、リハーサルを重ねていくなかで、奏者に納得してもらうことができる。奏者自身に作品の魅力を発見してもらえるように先導し、演奏し甲斐を感じてもらえたら、もう、こっちのものである。

個展のような場であれば、公演全体のテーマ、選曲、曲順、会場、配布物の内容とデザインなど、公演にかかわるすべての要素を、作品をより良く聴かせるために取り扱うことになる。今回の個展は、私の人となりを見せることを第一の目的とした。作品が、その一作品だけで成立していることはまずない。作品を書いているうちに新しい問題が浮上してきたら、次の作品でそれに取り組む。前作で扱ったアイデアのとある一部分に、さらに集中的に取り組んだり、同じアイデアを違う楽器編成で実現したらどうなるかを試したりすることもある。すべての作品は、その周辺の作品と相互に関係して生まれてくる。だから、私のこれまでの創作を俯瞰的に見てもらった上で、それぞれの作品を聴いてもらうのが、個々の作品の心を伝えるのに最善の方法だと思った。そのために今回は、トークイベントを行ったり、多くの方のご協力を得て、プログラムというよりは読み物のような冊子を配布することにした。選曲は、曲想や楽器編成に多様性を持たせるよう気を配った。個展は同じ作曲家の作品を並べるので、聴衆に「全部同じ曲のように聴こえた」という感想を抱かせてしまいやすい。すべての作品が互いに響き合い、引き立てあいながら、それぞれがより面白く聴こえるよう、選曲、曲順の決定には時間をかけた。

これらのような、作品をより良く聴かせるための工夫のすべてが、本居宣長の言う「アヤ」のうちに含まれるのではあるまいか。「何も音声のアヤだけに限らない、眼の表情であれ、身振りであれ、態度であれ、内の心の動きを外に現わそうとする身体のワザの、多かれ少なかれ意識的に制御されたアヤは、すべて広い意味での言語と呼べる事を思うなら、初めにアヤがあったのであり、初めに意味があったのではないという言い方も、無理なく出来るわけであり、少くとも、先ず意味を合点してからしゃべり出すという事は、非常に考えにくくなるだろう」(同、48頁、4行目)とも小林先生は言っている。

 

ここまで、作品をより良く聴かせることについて書いてきたが、実は、それとは矛盾して、作品本来の力だけでもって、人になにかを感じさせるべきなのではという考えが、ふと頭をもたげ、私のなかで葛藤が起こることがある。そのとき思い出すのは、池田雅延塾頭の話である。小林先生の「本居宣長」の校正過程で、先生は担当編集者だった塾頭にこう言ったという。編集者は読者の代表だ、しかも僕の文章を最初に読んでくれる読者だ、そういう読者である君が、僕の文章で理解できないと思うような箇所は、一般読者にはもっとわかってもらえない、読者にわかってもらうためにはできるかぎりの工夫をする、だからどんな小さなことでも言ってくれ……。作品の心を的確に読者に届けるためであれば、いくらでも工夫を凝らし、そこに著者の自我など決して持ち出さないという、小林先生のお考えが身に沁みる。

とはいえやはり、作者が自らのことや作品について語るのは、最終的に作品に立ち還ってもらうためなのだ。どれだけ語ったところで、作品の本質は変わらないのだから、受け取り手が作品に戻ってくることを信じて、サービス精神旺盛にふるまえばよいのだろう。それがいま生きている作者のすべきことであり、それはいずれ、未来の受け取り手へのメッセージにもなる。

 

思いつくままに書き連ねてきてしまったが、話を元に戻したい。あの「ぽかん」の正体とは、一体何であろうか。

私が自らの作品に対して抱く気持ちは、子を想う親のそれと似ているのかもしれない。作品が音となって人に聴かれるときの気持ちは、手塩にかけて育てた子が巣立っていくときの親のそれと近いのではあるまいか。作品をできるだけ良い音楽として聴衆に受け取ってもらえるよう、私はありとあらゆる手を尽くす。しかしながら、結局のところ、音楽作品は聴衆ひとりひとりのなかで完成するものである。その最終段階において、私は何もできない。私がどれだけ手を尽くしたところで、受け取り手の問題意識のなかで、作品はかたちとなり、完成する。そして、完成したあとも、どんどん成長していく。作品が音になったとき、私はそれをしみじみと実感して、途方にくれ、かなしく感じてしまうのだろう。

作品は、独自性を持った生き物のようである。私の作品は私の分身ではないのだ。私の作品ではあるが、私に属さず、私の思い通りにはならない。音になる以前、つまり書いている過程で、すでに私の意図をも超えて、成長していくことさえある。作品とはきっと、そういうものだ。

実のところ、私はずっと、自分の作品に確固とした自信が持てずにいる。念のために言っておくと、自信が持てないというのは、作品に価値がないと思っているということではない。「ベエトオヴェンは、(中略)自分の意志と才能との力で新しく創り出すところは、又万人の新しい宝であるという不抜の自信を抱いていたという事です」(「表現について」、同第18集、32頁、13行目)と小林先生が書かれている、このくらいの自信は、私も抱いている。しかし同時に、作品に対して、一種の諦めのような気持ちも抱いているのだ。こうやって考えてみると、それにも合点がいくような気がする。だって、作者はいつも、作品に置き去りにされてしまうのだから。

これからも私は「ぽかん」と向き合いながら、作者としての責任を果たすためだけに、作品を磨き続けるのだろう。いつの日か、「ぽかん」を感じずにすむときが来るのだろうか。

 

 

●影も溜らず — 淡座リサイタルシリーズVol.1 桑原ゆう個展

 

日時/2019年7月19日(金)19:00開演(18:30開場)

会場/東京オペラシティ リサイタルホール(東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワーB1F)

作曲・構成/桑原ゆう

演奏/水戸博之(指揮)、梶川真歩(フルート)、本多啓佑(オーボエ)、西村薫(クラリネット)、中田小弥香(ファゴット)、嵯峨郁恵(ホルン)、籠谷春香(トランペット)、村田厚生(トロンボーン)、大田智美(アコーディオン)、鈴木真希子(ハープ)、大須賀かおり(ピアノ)、中山航介(打楽器)、三瀬俊吾(ヴァイオリン/淡座メンバー)、松岡麻衣子(ヴァイオリン)、笠川恵(ヴィオラ)、竹本聖子(チェロ/淡座メンバー)、佐藤洋嗣(コントラバス)、本條秀慈郎(三味線/淡座メンバー)

主催・企画/一般社団法人淡座

宣伝美術/川村祐介

協賛/株式会社エボラブルアジア、日本ビジネスシステムズ株式会社

後援/株式会社システムアリカ アートジョイ、東京芸術大学同声会

 

プログラム/全曲、桑原ゆう作曲作品

・ピグマリオン(2003)木管五重奏のための

・だんだらの陀羅尼(2018)6人の奏者(fl/picc, cl/bcl, 三味線, vc, perc, pf)のための【日本初演】

・ラットリング・ダークネス(2015/17-18)トロンボーン独奏のための【改訂日本初演】

・月すべりⅡ(2014/19)ハープ独奏のための【改訂世界初演】

・影も溜らず(2017)ヴァイオリン独奏と8人の奏者(fl, cl/bcl, tb, perc, vn, va, vc, cb)のための【日本初演】

・柄と地、絵と余白、あるいは表と裏(2018)三味線独奏と7人の奏者(fl/afl, cl/bcl, perc, pf, vn, va, vc)のための【日本初演】

・にほふ(2012-13/18-19)16人の奏者(1.1.1.1-1.1.1.0-1perc-1pf-1hp-1acc-2.1.1.1)のための 【世界初演】

 

 

●桑原ゆう個展プレイベント――自作語りとミニライブ

 

日時/2019年7月13日(土)18:00開演(17:30開場)

会場/JBSトレーニングセンター(東京都港区西新橋2-3-1マークライト虎ノ門9F)

出演/桑原ゆう(トーク)、三瀬俊吾(ヴァイオリン)、竹本聖子(チェロ)、本條秀慈郎(三味線)

(了)