發生の地盤

大江 公樹

私は現在大学院の修士課程で英文学の研究をしてをります。池田雅延塾頭の講座には、6年ほど前から、新宿、神楽坂、江古田と、その時々に行はれてゐる場所で、参加して参りました。この度、『好*信*楽』の巻頭随筆を書かせて頂くといふ、大変名誉な機会を賜りました。浅学菲才の身ではありますが、小林秀雄先生の著作に出会ふまで考へてゐたこと、そして出会つた後に学んだことについて書きたいと思ひます。

 

私は小林さんの文章を読み始める前に、福田恆存さんの文章をよく読んでゐました。浪人生活が始まつた頃、偶々父親の本棚にあつた本を手に取つたことがきつかけでしたが、直ぐに夢中になりました。文学を論じるにせよ、戦争や平和についての問題を論じるにせよ、綺麗事は一切述べず、透徹した論理で以て、孤独を貫きながら闘ふ姿に惹かれたのです。

大学に入ると、とにかく知識を得て、意見を述べることに飢ゑてゐたため、早速読書サークルに入り、そこで出来た友人達と同人誌を創つて、エッセイや評論めいたものを書くやうになりました。政治や社会の事に関心がある友人と、よく議論もしました。書きたいことを書き、言ひたい意見を言ひ、気持ち良く過ごしてゐました。しかしそのうち、書いたり述べたりすることに一種の後ろめたい気持ちが伴ふやうになりました。それは、大学に入つてからも相変はらず愛読してゐた福田さんの言葉が、身につまされて感じられるやうになつてきたからです。福田さんの思想は、意見を言ふ前に、まづ「自分」と向き合はねばならない、といふものです。「一匹と九十九匹と」と題した文章の中では、次のやうに述べてゐます。

 

ひとびとは論爭において二つの思想の接觸面しかみることができない。……この接觸面において出あつた二つの思想は、論爭が深いりすればするほど、おのれの思想たる性格を脱落してゆく。かれらは自分がどこからやつてきたかその發生の地盤をわすれてしまふのである。

 

この文章を初めて読んだ時、私は自分に思ひあたる節があり、背中の方がひんやりとしました。実際に、自分の「發生の地盤」がどこか考へてみると、虚栄心などのエゴイスティックなものに行き当たり、空虚であるやうに感じられてしまひます。この福田さんの言葉が、そのうち段々身に染みて感じられて、自分の背後に、いつも福田さんの見透かした視線があると感じるやうになりました。

もやもやした思ひを抱きつつ、学部を卒業して大学院に入つた頃から(私は文学の大学院に入る前、政治学科の大学院に入つてゐました)、私は小林さんの文章も読み始めるやうになりました。少し話は遡りますが、浪人時代、河合塾文理予備校の仙台校に通つてゐた私は、小林秀雄を長年読み続けてゐる三浦武先生に現代文を教はつてゐました。ある日の休み時間、講師室で三浦先生に質問をする序に、最近福田恆存の本をよく読んでゐる、と言ひました。すると、三浦先生は「さうか、福田恆存も大切だが小林秀雄も読んでおくやうに」と仰いました。その言葉が頭に残り、予備校を出てから数年後に、小林さんの著作を読み始めたのです。同じくその頃から、新潮社で小林さんの著作の編集をなさつた、池田塾頭の講座にも出るやうになりました。

さて、小林さんの著作を読み始めて、たちどころに悩みが解消、とはなりませんでした。といふのも、小林さんが、福田さんと同様、「自分」との向き合ひかたについて非常に厳しい方だ、といふことが分かつたからです。例へば、「文化について」(『小林秀雄全作品』第17集p.89)では次のやうな文章に出会ひました。

 

與へられた對象を、批評精神は、先づ破壞する事から始める。よろしい、對象は消えた。しかし自分は何かの立場に立つて對象を破壞したに過ぎなかつたのではあるまいか、と批評して見給へ。今度はその立場を破壞したくなるだらう。立場が消える。かやうにして批評精神の赴くところ、消えないものはないと悟るだらう。最後には、諸君の最後の據りどころ、諸君自身さへ、諸君の強い批評精神は消して了ふでせう。さういふところまで來て、批評の危險を經驗するのです。…しかし大多数の人が中途半端のところで安心してゐる樣に思はれてなりません。批評は他人には危險かも知れないが、自分自身には少しも危險ではない、さういふ批評を安心してやつてゐる。

 

この文を読んだ時、「發生の地盤」がどこかといふ自分への問ひが、解決されるどころか、寧ろその問ひ方が不徹底であつたことを実感させられました。背後からの視線は、福田さんと小林さんの二人に増えてしまひ、ますます落ち着かなくなります。学部生の頃は気軽に書いてゐた、エッセイや評論めいたものは、殆ど書くことができなくなりました。

自分とどう向き合へば良いのか、ぼんやりとした ヒントが見え始めたのは、昨年のこと、小林さんと岡潔さんとの対談を収めた「人間の建設」(同第25集p.246)に対面した時です。小林さんは、対談の最後の方で、歴史的仮名遣ひを守らうとする福田さんの姿勢について、次のやうに述べてゐました。

 

国語伝統というものは一つの「すがた」だということは、文学者には常識です。この常識の内容は愛情なのです。福田君は愛情から出発しているのです。…愛情を持たずに文化を審議するのは、悪い風潮だと思います。愛情には理性が持てるが、理性には愛情は行使できない。そういうものではないでしょうか。

 

福田さんの魅力の一つは、確固たる理だと思ひます。假名遣ひについて論じた『私の國語教室』でも、福田さんは歴史的假名遣ひが如何に理に適つたものかを説いてをり、私もその理に納得させられて、歴史的仮名遣ひを使ふやうになりました。ただ、読んでゐるとその理が見事であることばかりに目を奪はれ勝ちになることがあります。だからこそ、その理の裡には愛情があるのだ、といふ、福田さんの「發生の地盤」を突いた小林さんの言葉には、はつと気づかされるものがありました。そして、愛情があるといふのは小林さんも同じことで、ゴッホやドストエフスキイについての小林さんの著作を読んでみると、それぞれの画家や作家に対する、深い愛情があることに気付くやうになりました。

最近は、小林さんや福田さんと同じやうな姿勢で愛情を注げるものは、自分にとつて何であらうか、と問ひつつ、お二人の著作を読んでゐます。

(了)