言葉の世界で物を見る

小島 奈菜子

過去の出来事の逃れ難い想起や、それに伴う感情の嵐から自分を立て直そうともがいていた私は、『本居宣長』のメインテーマのひとつである言語を主題とした文章に、まさに蒙を啓かれる思いだった。

 

堪え難い心の動揺に、どうして堪えるか。逃げず、ごまかさず、これに堪え抜く、恐らくたった一つの道は、これを直視し、その性質を見極め、これをわが所有と変ずる、そういう道だ。力技でも難業でもない、それが誰の心にも、おのずから開けている「言辞の道」だ、と宣長は考えたのである。悲しみを、悲しみとして受取る、素直な心さえ持っている人なら、全世界が自分一人の悲しみと化するような、深い感情の経験は、誰にもあるだろう。ことばは、「あはれにたへぬところより、ほころび出」る、と言う時に考えられているのは、心の動揺に、これ以上堪えられぬという意識の取る、動揺の自発的な処置であり、この手続きは、詞を手段として行われる、という事である。どうして、そういう事になるか、誰も知らない、「自然の妙」とでも言う他はないのだが、彼は、そういう所与の言語事実を、ただ見るのではなく、私達めいめいが自主的に行っている、言語表現という行為の裡に、進んで這入って行く。

詠歌の行為の裡にいなければ、「排蘆あしわけ小船おぶね」で、言われているように、「詠歌ノ第一義ハ、心ヲシヅメテ妄念ヲヤムルニアリ」と合点するわけにはいかないだろう。心の動揺は、言葉という「あや」、或は「かたち」で、しっかりと捕えられぬうちは、いつまでも得体の知れない不安であろう。言葉によって、限定され、具体化され、客観化されなければ、自分はどんな感情を抱いているのか、知る事も感ずる事も出来ない。「妄念ヲヤムル」という言い方は、そういうところから来ている。「あはれ」を歌うとか語るとかいう事は、「あはれ」の、妄念と呼んでもいいような重荷から、余り直かで、生まな感動から、己れを解き放ち、己れを立て直す事だ。

(第三十六章 『小林秀雄全作品』第28集 p.58 13行目〜)

 

私も言葉を使って考えてはいたが、自力で心を立て直すことは叶わなかった。本来言葉は、私が使っている体のものではなかったのだ。

 

「神代」とか「神」とかいう言葉は、勿論、古代の人々の生活の中で、生き生きと使われていたもので、それでなければ、広く人々の心に訴えようとした歌人が、これを取上げた筈もない。宣長によれば、この事を、端的に言い直すと、「神代の神は、今こそ目に見え給はね、その代には目に見えたる物なり」となるのである。ここで、明らかに考えられているのは、有る物へのしっかりした関心、具体的な経験の、彼の用語で言えば、「シルシ」としての言葉が、言葉本来の姿であり力であるという事だ。見えたがままの物を、神と呼ばなければ、それは人ではないとは解るまい。見えたがままの物の「性質情状アルカタチ」は、決して明らかにはなるまい。直かに触れて来る物の経験も、裏を返せば、「シルシ」としての言葉の経験なのである。両者は離せない。どちらが先きでも後でもない。「古事記伝」の初めにある、「そもそもココロコトコトバとは、みな相称アヒカナへる物にして」云々の文は、其処まで、考え詰められた言葉と見なければならないものだ。

(第三十四章 同p.44 12行目~)

 

古人達が使っていたのは物と一体の言葉であり、私が使っていたような、物を離れていかようにも変転可能な抽象的な言葉ではなかった。以前『好*信*楽』2018年3月号に寄稿した「『徴』という語をめぐって」の中でも書いたことだが、ここで言われている「徴」は、「直接知覚できない物事の徴候、あらわれ」という通常の意味合いではなく、物事を認識しようと努力する行為の結果生み出される「物」を意味している。「意と事と言と」が「相称」ってはじめて、徴としての力を持つ「物」となる。そのとき、言葉の形と意味とは分割されておらず、ひとつの表現行為があるだけだ。和歌における枕詞や、身近なところでは挨拶のように、言葉は人々の間を流通するうちに形を整える役割だけだったり、意味を伝える役割だけが現存したりするが、元来すべての言葉は徴としての力を持っており、古人達はこの、物と言葉が一体の世界に生きていた。彼等は、神という物だけを見ていたのではなく、またそこに自分の心を投影していただけでもない。動揺の源である神々と、古人達自身が神々に対して抱いた親しみや畏れの感情が、言葉の力によって秩序づけられ、それぞれの「性質情状」が表れた「物」として見えていた。神々と同様、自分自身の心も、確かに感じるものの目には見えない。その姿を捉えるには、第三十六章で言われているように「言葉によって、限定され、具体化され、客観化され」ることが必要なのだ。

今の我々の目には見えない神の姿が、古人達の目には見えていたと宣長は言う。先に引いた第三十四章で描かれる宣長の言語観は、荻生徂徠の言語観から引き継がれたものであり、第三十二章で小林秀雄は次のように言う。

 

言語は物の意味を伝える単なる道具ではない。新しい意味を生み出して行く働きである。物の名も、物に附した単なる記号ではない、物の姿を、心に映し出す力である。そういう言語観に基いて、徂徠が、興観の功という言葉を使用しているのは、明らかであり、そういう働きとしての言語を、理解するのには、働きのうちに、入込んでみる他はあるまい。そういう事にかけては、言語を信じ、言語を楽しみ、ただその働きと一体となる事に、自足している、歌うたう者、或は、これに耳を傾ける者に、如くものはなかろう。

(同p.13 14行目〜)

 

古人達は、上記の意味でみな「歌うたう者」であった。歌が「妄念ヲヤムル」ように、神々に出会って動揺する心を鎮めようと努力し、歌を詠むように神々に名を付けた。「天」「照らす」「大」いなる「神」と既存の言葉を連ねて生まれた「天照大御神」という名が、唯一無二の太陽神を意味する新たな「物」となったように。生み出された名が持つ「物の姿を、心に映し出す力」が、古人達の目に神の姿を見せていたのだ。

上記で言及されている「興観の功」のうちの「興」、つまり新しい意味を生み出して行く働きにより必然的に、「天下ノ事」が「皆ナ我レニアツマ」り、万物の認識が進んでいくと、どういう事になるか。

 

正常な意味合で、言語生活というものは、何ヶ国語に通じていようが、語学の才などとはまるで違った営みである。自国の言語伝統という厖大な、而も曖昧極まる力を、そっくりそのまま身に引受けながら、これを重荷と感ずるどころか、これに殆ど気附いていない、それほど国語という共有の財が深く信頼されている、そういうことである。徂徠が「天下」という名で呼んだのは、この世界だ。人々が皆合意の下に、協力して蓄積して来た、この言語によって組織された、意味の世界の事である。この共通の基盤に、保証されているという安心がなくて、自分流に物を言って、新しい意味を打出す自由など、誰にも持てる筈はない。

(同p.14 10行目〜)

 

古人達の努力から生まれた言葉の記憶が、蓄積され、組織されてできる意味の世界、つまり「自国語の言語伝統」が、今度は古人達の言語生活の基盤となって彼等を養う、それが彼等の住んでいる言霊の世界である。冒頭の第三十六章からの引用文中で言われている「心の動揺がわが所有に変ずる」とは、その神と再び出会った時に思い出すことができ、未来の自分を含めた他人と共有し蓄積することができる「物」、つまり言葉の記憶になることだ。「興の功」とともに「観の功」である「物の姿を、心に映し出す力」、つまり物の「性質情状」を心中に喚起する「徴」としての言葉の力が、言霊の世界を作り上げている。

「徴」という語は、『本居宣長補記Ⅱ』(同第28集所収)の締めくくりに現れる時も「性質情状」という語とともにある。

 

彼(本居宣長)の熟考された表現によれば、水火ヒミズには水火の「性質情状アルカタチ」があるのだ。彼方に燃えている赤い火だとか、この川の冷い水とか言う時に、私達は、実在する「性質情状」に直かに触れる「徴」としての生きた言葉を使っている(「有る物の徴」という言葉の使い方は「くず花」にある)。歌人は実在する世界に根を生やした「徴」としての言葉しか使いはしない。

(同p.389 7行目〜)

 

『本居宣長』が刊行された後に行われた江藤淳との対談の中で小林秀雄は、宣長の言う「性質情状アルカタチ」が、ベルグソンの言う「イマージュ」の正訳だと言い切っている。

 

あの人の「物質と記憶」という著作は、あの人の本で一番大事で、一番読まれていない本だと言っていいが、その序文の中で、こういう事が言われている。自分の説くところは、徹底した二元論である。実在論も観念論も学問としては行き過ぎだ、と自分は思う。その点では、自分の哲学は常識の立場に立つと言っていい。常識は、実在論にも観念論にも偏しない、中間の道を歩いている。常識人は、哲学者の論争など知りはしない。観念論や実在論が、存在と現象とを分離する以前の事物を見ているのだ。(中略)

ところで、この「イマージュ」という言葉を「映像」と現代語に訳しても、どうもしっくりしないのだな。宣長も使っている「かたち」という古い言葉の方が、余程しっくりとするのだな。

「古事記伝」になると、訳はもっと正確になります。性質情状と書いて、「アルカタチ」とかなを振ってある。「物」に性質情状アルカタチです。これが「イマージュ」の正訳です。大分前に、ははァ、これだと思った事がある。ベルグソンは、「イマージュ」という言葉で、主観的でもなければ、客観的でもない純粋直接な知覚経験を考えていたのです。

(同p.228 14行目〜)

 

『物質と記憶』第七版の序文にあるベルグソン自身の言葉は、次の一節にある。

 

本書の第一章が示そうとするのは、観念論も実在論も同じくいきすぎた主張であるということ、すなわち物質というものを、それについてわれわれがもっている表象に還元してしまう〔=観念論〕のは誤りだが、しかし物質とは、われわれの中に表象を生み出しつつも当の表象とはまったく本性の異なるものだとする〔=実在論〕のも同様に間違っている、ということである。

(アンリ・ベルクソン『物質と記憶』杉山直樹 訳 講談社学術文庫 p.9 10行目〜)

 

先に挙げた第三十四章(同p.45)にある、「直かに触れて来る物の経験も、裏を返せば、『徴』としての言葉の経験なのである。両者は離せない。どちらが先きでも後でもない」という言葉の裏には、このベルグソンから受け継いだ考えがあるのではないだろうか。古人達の心の徴である『古事記』を通して、宣長も「観念論や実在論が、存在と現象とを分離する以前の事物」を見ていたと言えるのではないだろうか。言葉の世界で物を見る、宣長の言う「言辞コトバの道」が、「実在論にも観念論にも偏しない、中間の道」であり、「主観的でもなければ、客観的でもない」、人間本来の「純粋直接な知覚経験」を、私達の元に甦らせてくれるものではないだろうか。

(了)