音楽を目撃する

杉本 圭司

矢部達哉様。

先日、東京都交響楽団のコンサートにお誘いくださった時、「我々人間のやることですから確約はしませんが、きっと心に残るコンサートになるのではないかと想像します」と珍しく予告されましたね。その予告通りの、「心に残るコンサート」であったと同時に、コンサートという時空を超えて、音楽のもっとも初源的な発生の瞬間に立ち会えたかのような深大な感動を覚えました。

不覚ながら、フランソワ=グザヴィエ・ロト氏の指揮を聴くのも観るのも今回が初めてでしたが、冒頭、ラモーの組曲に乗って氏の体が宙に舞い始めた途端、指揮台の上に眼が釘付けになりました。いつもはコンマス席でヴァイオリンを奏でる矢部さんの身体の美しい動きを追っていることが多いのですが、昨夜ばかりは、その矢部さんの隣りで舞い続けるロト氏から眼を離すことができませんでした。

僕らの身体は、赤ん坊の頃には世界に対して完璧に開かれているはずなのに、成長するに従って肉体的にも観念的にも次第に閉じ、強張って行くもののようです。ダンサーでも役者でも、真に一流の舞台人でないと、その身体の閉塞と硬直から完全には抜け切ることができないものですが、ロト氏の身体は、老練な能のシテの如く見事なまでに解放され、爪先から指先に至るまで淀みなく通う気の流れの一筋一筋を、眼で追うことができるようにさえ思われました。いや、確かに僕は、それをいたのだと思います。

それは、指揮者としてのバトンテクニックの巧拙の問題でも、単に音楽に合わせて体がよく動くという話でもありません。指揮台の上で繰り広げられたあの「舞い」は、一切の作為を脱した純心無垢な運動であり、ほとんど重力というものを感じさせない、人間の動きというよりは水辺を舞うウスバカゲロウのようでありました。そしてそのカゲロウ氏が、時折水面に波紋を落としながら自在に浮遊する様を眺めていると、ふと、踊りというものは、人間が生まれる遥か以前から存在したのだという考えが閃きました。それはまた、おそらく音楽というものが、人間が奏でる遥か以前から存在したという事実と同断であるに違いありません。

昨夜僕は、ロト氏の指揮をただ視覚的な踊りとして観て楽しんでいたというわけではありませんでした。その「舞い」にまざまざと表れているものが、そのままオーケストラが奏でる音楽として十全に鳴る様を、確かにと思ったのです。聴くことと観ることとが同じ経験であるような、音楽のもっとも初源的な発生の瞬間。そのことは、二曲目のルベルの音楽の最中、リズミカルな舞曲の楽句を奏でながらオーボエ奏者が突如立ち上がった瞬間に確信となりました。すると、今度は左右に配置されたヴァイオリン群が立奏する。続いてファゴット奏者たちが立ち上がり、拍子に合わせてまた座る――。言わばそれは、指揮者ロトをプリンシパルとする東京都交響楽団というコール・ド・バレエに遭遇したような驚きで、しかも今目撃しているのは、間違いなく音楽であると確信した時、というこの戦慄を、三十年以上も昔、すでに決定的に経験していたことを思い出したのです。

 

 

幼少の頃から、僕は音楽が好きでした。そして音楽の世界の住人になりたいという熱烈な憧れを抱いていました。けれどもそれは子供の儚い夢、音楽家とは三歳の頃からヴァイオリンを奏でる人間のことだと信じていた僕は、三陸海岸沿いのとある片隅で、レコードとラジオを最上の友とする少年でした。

ところがある時期から、どんな名曲を聴いても名演奏に触れても、トランジスタとコイルが生み出す音楽には満たされなくなった。音楽を嫌いになったわけではありません。むしろそれまで以上に強く音楽を求めるようになっていたのですが、それをレコードやラジオは決して満たしてはくれなかったのです。おそらくこの欲求不満は、優れた生演奏に接することで解消されるだろうと思われた。ところが実際にコンサートに行ってみても、不満は一向に解消されません。何が不満だったのかは自分にもわかりませんでしたが、いつも何か決定的な欠落の感覚だけが残りました。

それが大学に入った年でした、東京に出てきてバレエというものを初めて観た。なぜ観に行こうと思ったのか、あるいはたまたま人から貰ったチケットだったのか、今となっては思い出すことができないが、場所は確か新宿の文化センターでした。前半の群舞の音楽が、スティーブ・ライヒの「ドラミング」だったことだけを鮮明に記憶しています。

パーカッションによるあのミニマルな音楽と、それを見事に身体の運動に還元した群舞が始まると、となりました。妙な言い方をするようですが、そうとしか言えない感覚が襲ったのです。僕は舞台上で繰り広げられる踊りを観ているのではありませんでした。それは疑いもなく音楽の感動であった。しかも普段音楽を聴いているときには決して得られない感動で、非常な充足感と開放感を伴ったものでした。そして終演後、それまで満たされることのなかった自分の中にある決定的な欠落の感覚が、完全に消え去っていることに気づいたのです。

その後も、僕は行きました。その年の秋、モーリス・ベジャールがやって来た。それは演目も出演者も会場も音楽も、はっきりと思い出すことができる。「マルロー、あるいは神々の変貌」、今は亡きジョルジュ・ドンがライオンのような立て髪を振り乱し、昨夜と同じ上野の文化会館で踊っていました。音楽は、ベートーヴェンの第七シンフォニーであった。それまで何度聴いたか知れないこの曲を、ワーグナーが「舞踏の聖化」と呼んだこの交響曲を、僕は生まれて初めて聴き、理解したと感じました。

あの包摂的な音楽の陶酔、全面的な理解の感覚は一体何であったのか。それは、音楽にただ人間の身体という視覚情報が加わったということではなかったはずです。あるいはもともと音楽が踊りとともに発生したことを考えれば、感動は至極当たり前の、自然な事の成り行きだったのでしょうか。では、ベートーヴェンのシンフォニーを理解するのに、舞台上の行為は必須であるか。おそらく、ワーグナーはそう確信したに違いありません。少なくとも僕は、この十九世紀浪漫主義芸術の大野心家が、「形象化された音楽の行為」と呼んだところのものは、これだったに違いないと思い込みました。

カール・ベッカーは、ワーグナーが自らの舞台芸術を指して言ったこの有名な言葉を引きながら、ワーグナーにとって音は役者であり、和声はその演技だと説いていますが、それよりも、この作曲家は「音楽を目撃した人」だと言った方がいいのではないか。「舞踏の聖化」とは、第七シンフォニーの舞曲的リズムとダイナミズムの驚くべき精緻と独創をただ賛美した言葉ではなかったはずです。ベートーヴェンの交響曲という純器楽音楽が、「舞踏」という名の神となって降臨し、眼前で踊る様を、確かに彼は見たのに違いありません。そして自分もまた、この「目撃する音楽」を作ってみたいという欲望に取り憑かれたのです。音楽そのものを生み出すことも奏でることもできないが、舞台という形式でなら、自分も音楽の世界の住人になれるかもしれない、そう思った。

それから約十年間、僕は舞台の創作を続け、しかし今度は自分の「音楽」に満たされなくなり、その世界から飛び出しました。それからはや二十年の月日が流れ、音楽への絶対的に満たされぬ飢渇の感情だけがまた残りました。

 

 

三十年前、新宿文化センターの暗闇で初めて経験したあの戦慄を、昨夜のコンサートは図らずも思い出させてくれました。あるいはそれは、以来自分の中に眠っていた、音楽に対するもっとも初源的な憧憬の再生だったのかもしれません。無論それは僕の勝手な空想に過ぎないが、その音楽会の最初のプログラムとして、ラモーの「優雅なインドの国々」という近代以前の舞踊組曲が選ばれていたのは、いかにもふさわしいと僕には思われました。続くルベルのバレエ音楽「四大元素」では、その初源で究極の音楽は、実は生命が誕生する以前から存在していたのだということに気付かされました。そして後半、近代バレエ音楽の最高傑作の一つである「ダフニスとクロエ」が開始されると、そんなウスバカゲロウの舞いや、波紋に揺らぐ水の戯れや、夜明けの曙光が放つ祈りを、「舞い」や「戯れ」や「祈り」と認識するのは、畢竟僕ら人間のみに与えられた掛け替えのない精神の力なのだという事実に今更のように打ちのめされ、その威力と豊穣に圧倒される思いがしました。ラヴェルという人は、まったく何という耳を持ち、この世界にどれほどの「音楽」を聞き分け、見分けていた人なのでしょう。描写音楽というものを皆が誤解しています。あれは自然を描写しているのでも模倣しているのでもない、自然という音楽の産みの親に自らなろうとする作曲家の強烈な創造意思の表れに他なりません。

やがてその終盤、有名な夜明けのシーンで歌われるあの甘美な旋律が、矢部達哉率いる東京都交響楽団の素晴らしい弦楽群によって朗々と歌われるに及び、このコンサートにおいて、はじめて、人間の意思による人間の歌を聞いたように感じました。それは、ベートーヴェンの第九シンフォニーの終楽章で、バリトンが突如歌い出す時の感動にどこか似ていました。ただしその歌は、ダフニスとクロエが舞う古代ギリシアの純朴な歌でも、シラーとベートーヴェンが信じた喜びの歌でもない、近代というものを通過してしまった人間の、嘆きと祈りの歌であり、現代の僕らの胸を切々と打つ旋律でありました。

演奏会の感想として、あるいは称賛が過ぎると思われるかもしれません。しかし批評を書く者にとって、眼の前にいる芸術家を掛け値なしに称賛できるということほど幸福なことはないのです。昨夜のロト氏と東京都交響楽団は、その幸福を確かに授けてくださいました。そして作曲家の創造の意思に肉薄し、これを再生しようとする誠実と熱情によって、「ラヴェルの寿命を延ばした」(これは矢部さんの言葉ですが)とはっきり断言することができます。

 

(了)