ヴァイオリニストの系譜―パガニニの亡霊を追って

三浦 武

その九 パッセージ

 

ストラディヴァリのヴァイオリンを独奏者の楽器として自立させたのは、ボローニャのヴァイオリニスト、アルカンジェロ・コレッリである。コレッリのおかげでヴァイオリンは自由になったが、百年後のヴァイオリニストは、信仰や伝統や、さまざまな共同性との絆を断たれ、独り彷徨する孤独を引き受けることにもなった。後のヴァイオリニストの栄光も哀しみも、みなこの近代的な孤絶に由来する、そのように私には思われる。

 

パガニニという宗教も哲学も信じない放蕩者は、ヴァイオリンに独特な歌を歌わせる果敢無い芸しか信じてはいなかった。

(小林秀雄「ヴァイオリニスト」)

 

「果敢無い芸」である。「音楽という目的は、弓が絃に触れて初めて実在し、又忽ち消える」、その一回性の、孤独な、奇跡のような芸術、その象徴が、すなわちニコロ・パガニーニなのだ。そして「パガニニの亡霊」こそが、今日に至る所謂ヴァイオリン音楽の一つの核をなしている。そのような自覚が、二十世紀前半までのヴァイオリニストたちにはあっただろう。私などは、そんな彼らがやってのけた再現不可能な達成の、せめてその痕跡に出会えたら……そんなことを思いながら、古いレコードを漁ってきたにすぎない。これは矛盾だが、失われた過去への追憶には、やはり何かしらの手がかりが必要なのである。

 

この連載のタイトルを「ヴァイオリニストの系譜」としたとき、私の頭にあったのは、パガニーニの後継たらんとして消えていった多くの、または名を遺し得た幾人かのヴァイオリニストの名前である。

そのうち、音源によって確かめ得る最も古い名前は、1831年ハンガリーに生れ、ライプチヒでメンデルスゾーンに師事し、やがてベルリン音楽大学の創設にかかわったヨーゼフ・ヨアヒムである。ベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトを復活させ、ブラームスのコンチェルトを完成に導き、最晩年にバッハの無伴奏2曲をレコーディングしたこの古典派こそ、現代に連なるヴァイオリニストの偉大な礎石である。

次に挙がる名前は、「ツィゴイネルワイゼン」のパブロ・サラサーテだろう。スペインのバスクからパリにやって来たこの男は、ヨアヒムより13歳年少の1844年生れ、ひたむきにパガニーニの後を追い続けた、いわば民族派の巨人である。そしてこのサラサーテを宵の最後のきらめきとして、19世紀のサロン音楽は頽廃の裡に幕を閉じたのであった。

ヨアヒムが黎明なら、サラサーテは蒼然たる暮色なのである。しかしながらヴァイオリンという楽器は、ヨアヒムによって権威を与えられた「近代的な」クラシック音楽の向こう側で、クラシック本来の民族音楽としての記憶を、あのプリミティヴな姿態の裡に辛うじて繋ぎとめてきたのである。もとよりヨアヒムにしても、畏友ブラームスが自分の故国のジプシー音楽に取材し編曲したハンガリー舞曲集をヴァイオリン用に編曲し、冒頭2曲を録音している。あの「ツィゴイネルワイゼン」もジプシーの旋律に由来していることを思うなら、サラサーテもヨアヒムも、その魂胆はかわらない。やはり彼らの出自は、かつて村の辻で歌や踊りの伴奏をしていた伝統的なヴァイオリニストの系譜にあるのだ。彼らは大地に立っている。

大地との紐帯を断って、空虚な技巧に溺れ、ひと時の盛名の後に忘れられていった幾多のヴァイオリニストは、パガニーニの後継たらんとして、その形骸しか見ていなかった。真の近代的ヴァイオリニストは、パガニーニの孤独を、信仰を失った人間という生きものの、救済のない無常を見ていたはずである。その果てに現れてくる芸術至上主義にこそ、ほんとうの芸術があるのではないか。

 

「パガニニの亡霊」を追いながら「ヴァイオリニストの系譜」をたどるうち、私はいつかそういう考えにとらわれはじめていた。これは観念の遊戯であるか。まあそうである。そうではあるのだけれど、そのような思いを確認しつつ、「民謡の一旋律をヴァイオリンの上に乗せれば」それで足りるというようなパガニーニの何処か朗らかな変奏曲を古いレコードであらためて聴いてみると、これまで経験しなかったような、ほとんど救済のような感動を覚えたのであった。もとより、1945年のベルリンフィルのブラームスから始めたこの連載に通底する主題ではあるのだけれど、ここにきてその手応えが変わってきた。たとえば、私をこの世界に導いてくれたという意味で、私には最も重要なヴァイオリニストであるジネット・ヌヴーだが、彼女については、私の全霊の感謝を捧げつつ、1938年のベルリン・デビューのレコード、それだけを手許に遺せればいいのではないか、そんなふうに思い始めているようなのだ。

これは困った。恩人に対してあまりに非礼と言われねばならない。しかし、むろん、ヌヴ―を捨てたわけではない。そんなことはできない。私の音楽的感性は、彼女の演奏の記憶を身体化しつつ持続しているだろう。しかし、そのように変容を遂げつつある自分を、今はまだちょっと持て余しながら、ヴァイオリニストの系譜を眺め直さねばならなくなったことだけが確かなのである。

 

そんなわけで、この連載も、なかなか困難な局面にさしかかってきたらしい。次のテーマもまだ定まらない。いましばらく考えあぐむ時間をいただいて、いよいよ本論へ、そんな感じがしている。

(了)

 

(注)

本文中の引用はすべて、小林秀雄「ヴァイオリニスト」(1952年)から。

ストラディヴァリ……Antonio Stradivari 1644-1737

アルカンジェロ・コレッリ……Arcangelo Corelli 1653-1713

ニコロ・パガニーニ……Nicolo Paganini 1782-1840

ヨーゼフ・ヨアヒム……Joseph Joachim 1831-1907

パブロ・サラサーテ……Pablo Sarasate 1844-1908

ジネット・ヌヴー……Ginette Neveu 1919-1949