観るということ

橋岡 千代

買い物の途中で、花鳥画の美しいポスターが目につき、その美術館に入ってみた。日本を含め東洋の古い絵が並んでおり、小動物や植物の命がいきいきとしている楽しい展覧会であった。

そこへ一点、二羽の雀がはなもちのように一本のわびた竹の枝にうずくまっている。なんだろうとその地味な墨絵の細部を眺めていたら、霧の中にすっと伸びて消えかかる竹の枝が、妖艶な細い女性の指先のようで、思わず見惚れた。するとますます特別な枝になってきた。

真ん中のくっついた雀に目を移すと、一見寒そうに体を膨らませて寄り添う二羽の姿は、単純ではなかった。黒く縁どられた目は何かを狙っているわけではないが、野生の鋭さをたたえ、くちばしは鋭くとがっている。奥の雀は毛づくろいをしており、手前の雀は一番いい状態で枝に体重を乗せている。それぞれの雀は、いつもこうしているのだろう、こういうふうに竹の枝を住処にしているのだろう。

下方では細かい雨を吸った笹が一枚ずつぴんと張り、濃淡をほどよく散らした墨色には清涼感がある。改めて退いて眺めると、一幅の景色に満ちた雨の湿度がこれほど美しいものかと感心させられた。その雨を二羽の雀の生えそろった柔らかい坊主頭が溌溂はつらつはじき、したたかな生命力を放っている。私はしばらくの間、秋の一村に立っている気分であった……。

 

村雨むらさめの秋ぞさびしさまさりける 竹につがひしぬれ雀かな

 

あのとき、不意にこんな歌が口をついて出たのだったが、そのうちいつしか、竹の小枝に雀が乗っているだけのことが、何か途轍とてつもない一大事よりももっと深いものをこちらに伝えてくるのはなぜだろうと考え始めていた。不思議な画家だ……彼の絵はどの絵を観ても間違いなくその自然の奥に連れて行かれる。私は、絵の傍らに添えられていた「伝牧谿もっけい」という文字をじっと眺めた。

 

牧谿は、宋代の中国の画僧である。だが、どういう人物なのか伝記も少なく、作品はほとんど日本にしか残っていない。室町時代、足利将軍家に愛され、長谷川等伯など後の日本画家に与えた影響は大きい。今日に至っても人気の高いこの画僧の、何がこうも私たち日本人の心をとらえるのか。

彼の描く自然は、私たちが知りすぎるほどよく知っている自然である、その姿が、懐かしい生命力を持って優美に描かれる。これを目にして私たちは、自分では整理のつかない混沌とした自我の中から自ずと求めているものに出会わされる……牧谿は、私にとって、そういう謎めいた画家である。

 

そんなことを思いながら牧谿の雀に見入っていた私の脳裏に、ふと小林秀雄先生が言われていた「観」が浮んだ。先生は「私の人生観」という演題で講演依頼を受けて「人生観」の「観」にまつわることを話され、それが「私の人生観」(新潮社刊『小林秀雄全作品』第17集所収)に収められているが、その中に、「観は、日本の優れた芸術家達の行為のうちを貫道しているのであり、私達は、彼等の表現するところに、それを感得しているという事は疑えぬ」とし、文学ではたとえば西行だと言って歌を引かれている。その文章をここに写してみる。

 

―西行の歌に託された仏教思想を云々うんぬんすれば、そのうちで観という言葉は死ぬが、例えば、「春風の花を散らすとみる夢はさめても胸の騒ぐなりけり」と歌われて、私達の胸中にも何ものかが騒ぐならば、西行の空観は、私達のうちに生きているわけでしょう。まるで虚空から花が降って来る様な歌だ。厭人えんじんも厭世もありはしない。この悲しみは生命にあふれています。この歌を美しいと感ずる限り、私達は、めいめいの美的経験のうちに、空即是色くうそくぜしき(*1)の教えを感得しているわけではないか。美しいと感ずる限りだ、感じなければえんなき衆生しゅじょう(*2)である、まことに不思議な事であります。前にもお話しした通り、空観とは、真理に関する方法ではなく、真如を得る道なのである、現実を様々に限定する様々な理解をむなしくして、はじめて、現実そのものと共感共鳴する事が出来るとする修練なのである。かくの如きものが、やがてわが国の芸術家の修練に通じ、貫道して自分に至ったと芭蕉は言うのだが、今日に至っても、貫道しているものはやはり貫道しているでありましょう。仏教によって養われた自然や人生に対する観照的態度、審美的態度は、意外に深く私達の心に滲透しているのであって、丁度雑踏ざっとうする群衆の中でふと孤独を感ずる様に、現代の環境のあわただしさの中で、ふと我に還るといった様な時に、私はよく、成る程と合点するのです。まるで遠い過去から通信を受けた様に感じます。決して私の趣味などではない。私はそうは思わぬ。正直に生きている日本人には、みんな経験がある筈だと思っています。人間は伝統から離れて決して生きる事は出来ぬものだからであります。ただ何故私達は、生きる為に、そんな奇妙な具合に伝統とめぐり会わねばならぬか、それだけが問題だ。これはたしかに、日本独特の悲劇であって、かような悲劇を見て見ぬ振りをする文化主義者など、合理的道化に過ぎぬ。何故なら伝統のない処に文化はないからです。……

 

観法は、日本では天平時代に始まり、鎌倉の新興仏教で途絶えたあとに宋の禅宗とともに再び伝わった。牧谿はその源流の画僧である。家に帰るなり先生の文章を何度も読み返した。

ここにその文章をそのまま引用したのは、先生は生前、「批評は引用に尽きるのだ。この文章の急所はここだと直観し、まちがいないと確信できたら、そこを過不足なく引く。それができたら批評家の言い分など一言だって必要ないのだ」と仰っていたと池田塾頭にうかがっていたからだが、牧谿の雀に、西行の桜に、同質の「芸術家に貫道するもの」が、先生の言葉を書き写すことで、より鮮明に自分の中に現れるような気がしたのである。

 

だが、先生が、「この歌を美しいと感ずる限り、私達はめいめいの美的経験の内に、空即是色の教えを感得しているわけではないか。美しいと感ずる限りだ」とこちら側が感じることの重要さを繰り返しているのはどういうことか。

「観る」ということは、無心に生命を見つめることだとすれば……たとえば一輪の花を写生しようとしたとする。私たちは花びらに走る細かな脈や、透けそうな薄さを目で追っていくうちに、自分が蟻になったような気分になって、雄蕊についた黄色い花粉がこぼれんばかりで圧倒されたり、透明な雌蕊の液体が危険なものに見えたり、そのうち微細な生き物の潤いや呼吸に包まれて、その完璧な配列から目が離せなくなる。それは、雨雲の動きであったり、せせらぎの流れであったりするかもしれないが、すべてこの世の命は完璧につくられていると感じる瞬間、自分自身の中にもそのかけがえのない、命のありがたさが宿る、それが「観る」ことではないだろうか。

お釈迦様はその昔、自分の息子が父親殺しを企むという、韋提希いだいけ夫人の苦しみを取り除くために、荘厳な極楽浄土を観る説法をした。それは、西に沈む太陽を見て、夕日の円さをじっと観続ける、次に無色透明の清らかな水を観る……というように自然を観想する方法である。心にあらゆる形を観想するということは、あらゆる命の尊さで心を満たすと言うことで、そういう観方を会得しなければ西方浄土は現れないことを諭されたのだろう。「観る」ということは、生命の美を知るという一つの手続きだ。命以外に何を美しいというのか……わからないながら私はそう考えた。

 

牧谿の墨絵には、優美でいながら野生の命のほとばしりがある。西行の「騒ぐ」と歌った桜には、消えて行くべき命の麗しさがある。彼らの詩魂は「観」によって鍛えられ、絵や歌となって私たちを驚かすのだが、図らずも自分自身に出会ったようにつかまれたこの心にも同じ「観」が流れているにちがいない。そのことを小林先生は「伝統」と書かれているのだろう。私は思いがけず、雀や桜という私自身に出会えたことで、長年曇り空であった心に晴れ間ができたような気分になっている。

 

(*1)空即是色……「般若心経」の中の言葉。「空」であることによってはじめて万物が成り立つということ。

(*2)縁なき衆生……仏縁のないもの。転じて、救い難い者。

(了)