今号も、荻野徹さんの「巻頭劇場」から幕を開ける。お題は、学問に向かう態度についてである。「本居宣長」という作品の主要なテーマに、人間にとって「言葉とは何か」「歴史とは何か」「道とは何か」という問いがあり、今回は、「言葉」と「歴史」を話題として、読者が向かうべき態度について深掘りされる。回が進むにつれて男女四人の対話の内容も深化している、我々「小林秀雄に学ぶ塾」の塾生も遅れを取ってはなるまい……
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「『本居宣長』自問自答」には、亀井善太郎、北村豊、安田博道、松広一良。溝口朋芽、鈴木美紀の六氏が寄稿された。
亀井善太郎さんは、小林秀雄先生による「神々の名こそ、上古の人々には、一番親しい生きた思想だった」という言葉に注目する。そこには、古人が神に直かに触れているという直観や、その内容を「内部から明らめようとする努力」があり、亀井さんは、そういう直観を明らめようと努力する行為が、ごく身近なところにあったことを思い出した。
北村豊さんは、小林先生が「『古事記』の『神代一之巻』は、神の名しか伝えていない。『古事記』の筆者が、それで充分とした」と言っている、その仔細について、本文を辿りながら思いを馳せている。「本居宣長補記 Ⅱ」にある、伊勢二所大神宮の祭神に関する宣長の考証について、先生が語っている言葉にも耳を傾けてみた。その仔細が体感できた。
安田博道さんは、第40章から42章、そして49章で使われている「信じる」という言葉に着目し、用例検討を行っている。宣長と上田秋成、各々が使う「信ずる」という言葉の源泉の違いが見えてくる。さらには、使用数にも目を向けてみると、読者の読みやすさを慮る小林先生の「仕掛け」のようなものも、浮かび上がってきた。
松広一良さんが立てた問いは、画期的な古代日本語研究と狂信的な排外的国家主義という宣長の二重性について、巷間言われている、所謂「宣長問題」に関し、小林先生がそのような二重性を否定した理由についてである。本文を辿って行くと、その背景には、宣長の「源氏物語」体験があったことが見えてきた。
そんな宣長の「源氏」体験について、小林先生は「本質的な新しさ」と表現しているが、溝口朋芽さんが本稿で追究したのは、その体験がどのように新しかったのか、という自問である。ヒントは、宣長に歌の道を示した先達、契沖から「そっくりそのまま宣長の手に渡った」、「定家卿云、可翫詞花言葉」という言葉にあった。
鈴木美紀さんは、第40章で展開される、宣長と、「常見の人」であることをやめない秋成との論争を通じて浮かび上がる、「古学の眼を以て見る」という宣長の言葉にスポットライトを当てている。朝焼けの輝きに包まれ、ヒマラヤに昇る太陽に向かう登山家のリアルな映像を通じて、日神と申す御号を口にする古人の心持ちにも、思いを馳せてみた。
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今号でも、石川則夫さんに「特別寄稿」いただいた。前稿「続・小林秀雄と柳田国男」(本誌2020年秋号掲載)では、「本居宣長」の完成にむけた数年間に、柳田国男氏の学問が小林先生の文章に流れ込む、その動きの追跡に挑まれた。今回からは、その動きがどのような姿=文体を取って現れるのかが主題となる。まずは、柳田氏の「先祖の話」から聞こえてくる声に耳を傾けつつ、石川さんの先導に身を委ねてみたい。
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晩春から初夏へ。水仙から桜、ツツジや藤、山吹へと、ほのかに感じられる花の香も移りゆくなか、本誌は2021(令和3)年春号刊行の運びとなった。私達「小林秀雄に学ぶ塾」の塾生は、新型コロナウイルス感染症への対応に、気を抜けないきびしい状況が続いているなかでも、決してとどまることなく、学びの歩みを続けている。今号では、「『本居宣長』自問自答」において、六輪の学びの花が、大きく開いた。
「詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば、功はなし。……不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル也。又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇なき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也。されば才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし」(うひ山ぶみ)
新年度も、宣長さんの、この言葉を胸に抱きながら、九巡目となる「本居宣長」の自問自答に挑み続けて行きたい。どのような花を咲かせられるのか、読者の皆さんの変わらぬご指導とご鞭撻を、切にお願いする次第である。
(了)