今号から、編集長という立場で、本誌の制作に携わることになりました。本誌は、「小林秀雄に学ぶ塾」の同人誌です。微力ではありますが、塾の名に恥じぬよう、小林秀雄先生が「還暦」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第24集所収)で言われている「細心な行動家であり、ひたすらこちら側の努力に対する向う側にある材料の抵抗の強さ、測り難さに苦労している人」、そんな筆者一人ひとりとともに、精魂込めて、時間をかけて、一号一号、世に送り出していく所存です。読者諸賢の倍旧のご指導とご鞭撻を切にお願い申し上げます。
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さて、今号も荻野徹さんによる「巻頭劇場」から幕を開けよう。いつもの四人の男女によるおしゃべりが始まった。テーマは、小林秀雄先生も、本居宣長も、一生を通じての中心命題として向き合った「人生いかに生きるべきか」である。それは、言葉というもの、生々しい感情と分かちがたい経験というものと、切り離してしまうことはできない……
アンパンマン・マーチも聞こえて来た。
「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも……」
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今号には「事局観想」という部屋を設け、安達直樹さんが「コロナ禍下で読むカミュの『ペスト』――小林秀雄『ペスト』Ⅰ・Ⅱとともに」と題する論考を寄稿された。安達さんは二つの言葉に眼を付けた。一つは、小林先生が言っている「人生が作られている根本条件」としての「不条理」、換言すれば「空想か忘却によってしか出口のない現実の人間の状態」である、二つめは「具体的な経験を抽象的に扱うことに慣れてしまった私たち」が陥る陥穽としての「抽象」である。そこには、先生が終生通じて大切にされてきたものがあった。タイトルの通り、「ペスト」Ⅰ・Ⅱとともに、熟読玩味いただきたい。
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「『本居宣長』自問自答」には、越尾淳さん、庄宏樹さん、泉誠一さんが寄稿された。
越尾さんは、「本居宣長」について、一種のミステリー小説を読むような、どぎどきした気持ちにさせられる、と言う。今回の自問自答に誘われたのは、「(賀茂)真淵と宣長という師弟の分かれ道という大きな謎」である。本文を追っていくと、師たる真淵の訃報に接し、「不堪哀惜」とだけ認めた宣長の、胸中深くへと誘われていく。
庄さんが初めて「本居宣長」を手にして印象に残ったのが、荻生徂徠の「学問は歴史に極まり候」という言葉である。庄さんは、「徂徠先生答問書」を紐解き、徂徠の言う「事実」という言葉の含みを体感した。学問が歴史に極まると信じていたのは、徂徠が生涯かけて誠実に向き合い続けた孔子もまたそうであった。庄さんによれば、その孔子自らが体験したことを、徂徠もまた自ら追体験しようと試みていた。その徂徠の深意とは……?
泉さんは、「本居宣長」の刊行時、小林先生が本の帯で言っていた「宣長の述作から、私は、宣長の思想の形体、或は構造を抽き出さうとは思はない。実際に存在したのは、自分はこのやうに考えるといふ、宣長の肉声だけである」という意味が、当初はわからなかったと言う。しかし、「之ヲ思ヒ之ヲ思ヒ、之ヲ思ツテ通ゼン」と七転八倒していると、小学生の時の自然観察の体験がまざまざと蘇ってきた。それこそ「之ヲ通ゼント」した鬼神が、ついに立ち現われた瞬間だったのではなかったか。
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石川則夫さんには、2021年秋号に続き「『本居宣長』の<時間論>へ Ⅳ」を寄稿いただいた。石川さんは、今後の論考を進めていくうえで「再読を迫られた西村貞二の記述の中に、看過することの出来ない言葉、小林秀雄の発言を見出した」と言っている。それを端的に言えば、「文体がグルグル始めから終わりまで廻っているようなのがいい」という言葉である。石川さんは「回り道かもしれない」と書いているが、熟読必須の回り道だと直観した。
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本塾生の後藤康子さんが、三月三日に急逝されました。諸般の状況のため、きちんとしたお弔いの場に参列することが叶わず、うまく言葉にならない、もどかしい感情を抱えたまま、時間だけが過ぎて行きました。しかし、ようやく本塾で、音楽を愛する仲間と、素読を続けてきている仲間とともに、リモートではあるものの後藤さんの思い出を、感じ、語り合うことができました。
音楽も、素読も、後藤さんには、中心メンバーとなって活動を引っ張っていただきました。後藤康子さん、あなたが「源氏物語」を音読するときの、紫式部の謙抑な気質を思わせる端正な肉声は、私たちの身体の中に生き続けています……
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三浦武さんの連載「ヴァイオリニストの系譜――パガニニの亡霊を追って」は、三浦さんの都合によりやむをえず休載します。ご愛読下さっている皆さんに対し、三浦さんとともに心からお詫びをし、次号からまた引き続いてのご愛読をお願いします。
(了)
ご 挨 拶
前編集長 池田 雅延
本誌『好・信・楽』は、今号から編集長の任を坂口慶樹兄に継いでもらうこととしました。
実質的にはもう何号も前から坂口兄が編集長を務めてくれていて、令和3(2021)年秋号の創刊30号記念号も坂口兄の采配によって生れた誌面でしたが、本年2月、本誌の母体である「小林秀雄に学ぶ塾」が茂木健一郎さんによって開かれてから10周年を迎えたのを機として新たな10年、20年に向かって再びスタートを切ったのです。
10年と言えば、「小林秀雄に学ぶ塾」の「『本居宣長』精読12年」も本年4月、10年目に入り、マラソンに譬えれば32キロ地点にかかったかというあたりです。本誌編集長の任を坂口兄に託したあとの小生は、これからの3年という歳月、本誌の「『本居宣長』自問自答」にますます力篇を送り込むべく微力を尽くします。
坂口兄にならって小生も、小林先生の「還暦」から引き、あらためての自戒とします、先生は坂口兄が引いた文の後にこう言われています。
――成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。何かが熟して生れて来なければ、人間は何も生む事は出来ない。……
坂口編集長ともども、本誌にいっそうのご助力を賜りますようお願いします。
(了)