読むこと、書くことにより、見えてくるもの

冨部 久

「本居宣長」を全編通して読んだのはこれで五度目くらいだろうか。そして、かなりの時間と労力を費やしてやっと辿り着いた第五十章の最後の一文はこう書かれている。

 

ここまで読んで貰えた読者には、もう一ぺん、此の、彼の最後の自問自答が、(機会があれば、全文が)、読んで欲しい、その用意はした、とさえ、言いたいように思われる。

 

ここで言われている彼の最後の自問自答とは、第一章に出てくる、生前に書かれた本居宣長の遺言書であるが、注意すべきは「自問自答を」ではなく、「自問自答が」と言われている格助詞の使い分けである。文意としては「を」でも「が」でも通じるが、「を」は「本を読む」「仕事を終える」のように単に動作の対象を表す格助詞であり、「が」は「リンゴが食べたい」「君が好きだ」のように希望や好悪の対象となるものを他と区別して強調する格助詞である。ということは、小林氏は単に「宣長の遺言書を」もういちど読んでほしいと言っているのではなく、他のものは後回しにしてもよいから宣長の遺言書だけはもういちど読んでほしい、そう言っているのである。

この、「自問自答を」ではなく「自問自答が」と言った小林氏の意図を汲もうと第一章から再び読み始めると、もうおなじみとなった小林氏が折口信夫宅を訪問するエピソードの中の、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と折口氏が言った言葉が頭の中で今まで以上に引っ掛かった。

「本居宣長」においては、大雑把に言って、和歌、「源氏物語」、そして「古事記」、古学が宣長の学問の対象になっているが、折口氏は宣長の「古事記伝」を読み上げて強い関心を示していた小林氏に対し、「古事記伝」よりも「源氏物語」研究の重要性を説くのである。そして、小林氏は、このエピソードをわざわざ第一章の最初に持ってきたのである。何故か?

本居宣長が長らく誰も読めなかった「古事記」を解読することができ、さらに「古事記伝」を完成させることができた大きな理由の一つとしては、小林氏はこう書いている。

 

彼は、「源氏」を熟読する事によって、わが物とした教え、「すべて人は、ミヤビの趣をしらでは有ㇽべからず」という教えに準じて、「古事記」をわが物にした。(新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集 76頁8行目~)

 

このことを踏まえ、宣長にとっての「源氏物語」の重要性を、十年余りの長い連載となる「本居宣長」において、小林氏は第一章を書く時に既に念頭に置かれていて、これを最初に言わなければならないと思われていたからではないかという考えが湧き起こった。これは、全文を読んだあと、まだ頭の中に「古事記」を読み解く上での「源氏物語」の熟読の重要性という事が頭に残っていたからこそ、直観できたことだった。

なお、小林氏が折口氏を訪れたのは、昭和二十六年頃ではないかという、折口氏の弟子で当時その場に居合わせた岡野弘彦氏の証言があるが、このあたりの、そして、その前後の事情については、池田雅延塾頭が二〇一七年九月号の「好・信・楽」に「折口信夫の示唆」というタイトルで遥かに詳しくまた深く考察されている。

そして、この第一章を読んで、池田塾頭が以前に話された言葉も思い出した。それは、茂木健一郎塾頭補佐が、池田塾頭に、「モーツアルト」でも、ベルグソン論である「感想」でも、「本居宣長」でも、小林氏が冒頭に身近な話を持って来られるのは、読者を本論に導くために入りやすい環境を作ろうとしてのことなのでしょうかという趣旨の質問をされた時のことだった。すると、池田塾頭は即座に、「そうではなく、あれは結論です」と言われた。意外な返答に驚いたが、この時はその言葉の真意を十分納得できないでいた。要するに、全文の繋がりを十分理解していなかったため、冒頭の身近な話が結論だという考えには全く思い至らなかったからである。今回は、本文の内容がある程度頭の中に残っているうちに、第一章を再度読んでみたからこそ、池田塾頭の、小林氏は最初に結論を話されるということを実感し、また納得できたのであった。小林氏自身が言われているように、「自分の著作は一度読んだだけでは分からないから、何度も読んでみる必要がある」ということの証であろう。

さらに全集を紐解いていると、小林氏の若い時の著作にも、結論を先に持ってくるということの大事さを匂わせる言葉が見つかった。

 

よく冠履顚倒かんりてんとうの論文を読まされる。しまいの一行を真っ先に書いてくれれば、読者の労は省けるものを。一行で書ける処を十行に延ばす才能をもった人は、どんな結論が出来て来るかわからない思案の切なさを知らぬ俐巧(りこう)ものである。冷静に思案するは易い、感動し乍ら思案するは難い。(同第2集 168頁9行目~、「批評家失格」)

 

俺の様な人間にも語りたい一つの事と聞いて欲しい一人の友は入用なのだという事を信じたまえ。―これは俺の手紙の結論だ。真っ先きに結論を書いて了ったが、人はよくこれを俺の詐術さじゅつだと言って非難する……(同第4集 63頁3行目~、「Xへの手紙」)

 

ただ、ここで注意しなければいけないのは、小林氏の言う「結論」は、通常の論文などで見られる、序論・本論・結論の「結論」ではないということである。小林氏は戦後間もない頃に行われた「コメディ・リテレール」という座談会でこう言っている。

 

文章が死んでいるのは既に解っていることを紙に写すからだ。解らないことが紙の上で解って来るような文章が書ければ、文章は生きて来るんじゃないだろうか。批評家は、文章は、思想なり意見なりを伝える手段に過ぎないという甘い考え方から容易に逃れられないのだ。批評だって芸術なのだ。そこに美がなくてはならぬ。そろばんを弾くように書いた批評文なぞ、もう沢山だ。退屈で退屈でやり切れぬ。(同第15集 29頁12行目~)

 

つまりは、結論が解らないから、それを解ろうとして、まずは自分自身が納得出来る結論を探し求めて書くということになるのだろう。しかし、それは単に内向きのものだとすれば、批評にはならない、そこに芸術としての美しさ、自分だけでなく、他人も美しいと思う文章が書けていないと批評にはならないと小林氏は言っている。

とすると、小林氏の批評の冒頭におかれる結論とはどういうものだろうか。

それは小林氏が直感でその批評対象の最も大事な、言わばこれが肝だと思う部分、輪郭は曖昧でもその奥で主調低音が鳴っているような部分ではないだろうか。それを冒頭に置き、その中の曖昧な部分を、書くことによって突き止めていくということをされてきたのではあるまいか。

そういった小林氏の思考の軌跡を丹念に追いながら、自分は散文を書いているのではない、詩を書いているのだという小林氏の文章、その芸術としての美しさを同時に味わうということを、今後も続けて行きたいと切に願っている。

 

(了)