『本居宣長』本文には「しるし」という言葉が全編を通して登場する。小林秀雄先生が「しるし」という言葉を使われているところには、私が本作品を読み進める上での大事な気づきを、これまで幾度も与えられた。第二十四章に登場する「明瞭な人間性の印し」と書かれた箇所を、今年の山の上の家の塾での質問で取り上げた経緯があり、今一度この機会に辿ってみたい。
第二十四章の後半では、宣長が『源氏物語』をどう捉えたかについて、あらためて述べられている。
……歌を味わうというような事は、末の問題だと語る声が、「源氏」から、はっきりと聞えて来た、と宣長は言う。(中略)「源氏」には、歌学者を、歌の世界から、歌が出て来る本の世界に連れ戻すと言っていい、抗し難い力がある。(中略)「源氏」の作者は、歌を詠むだけではなく、歌を詠む人について語りもするのだが、この物語の語り手としての力量は、歌の詠み手としての力量を遥かに凌ぎ、これを包む、と宣長は見た。(中略)「源氏」に歌の姿を見ず、「大かた人の情のあるやう」を見たと、宣長の「源氏」経験が言うなら、言葉通り受取ればよい。
この文中にでてくる「大かた人の情のあるやう」という表現に注目したい。この「情」と書いて「こころ」とよむ時の宣長の考えについて、小林先生は第十五章で触れ、読者に注意を促している。
……宣長が、「情」と書き「こころ」と読ませる時、「心性」のうちの一領域としての「情」が考えられていたわけではない。彼の「情」についての思索は、歌や物語のうちから「あはれ」と言う言葉を拾い上げる事で始まったのだが、この事が、彼の「情」と呼ぶ分裂を知らない直観を形成した。(中略)自分の不安定な「情」のうちに動揺したり、人々の言動から、人の「情」の不安定を推知したりしている普通の世界の他に、「人の情のあるやう」を、一挙に、まざまざと直知させる世界の在る事が、彼に啓示されたのだ。
この「まざまざと直知させる世界」が宣長の捉えた『源氏物語』であった。作者の紫式部は、どのようにこの「まざまざと直知させる世界」を書きえたのかが次に語られる。
……心理が生きられ意味附けられる、ただ人間であるという理由さえあれば、直ちに現れて来る事物と情との緊密な交渉が行われている世界である。内観による、その意識化が、遂に、「世にふる人の有様」という人生図を、式部の心眼に描き出した……
具体的には『玉のをぐし』二の巻、において、宣長は次のように書いている。紫式部のことを「みづから、すぐれて深く、物のあはれをしれる心」の持ち主であるとした上で、
……「世ノ中にありとある事のありさま、よき人あしき人の、心しわざを、見るにつけ、きくにつけ、ふるるにつけて、そのこころをよく見しりて、感ずることの多かるが、心のうちに、むすぼほれて、しのびこめては、やみがたきふしぶしを、その作りたる人のうへによせて、くはしく、こまかに書顕はして、おのが、よしともあしとも思ふすぢ、いはまほしき事どもをも、其人に思はせ、いはせて、いぶせき心をもらしたる物にして、よの中の、物のあはれのかぎりは、此物語に、のこることなし」
紫式部は「物語る」という手段で、人の情の「意識化」をはかった。宣長にとっての「物の哀れを知る」という行為が、紫式部によって「物語」として成立しているのを目の当たりにし、「彼の心のうちで、作者(紫式部)の天才が目覚める」ということが起こった、とある。宣長は『源氏物語』を「めでたき器物」と見さだめた。「めでたさ」を別の言い方で、「人の情のあるやうを書るさま」、「くもりなき鏡にうつして、むかひたらむがごとくにて」とも書いている。第二十四章後半で小林先生は、宣長の『源氏物語』の読み筋をたどりながら、「文学という特殊な表現の世界から出て、一般人の普通の言語表現の世界」に話を移していく。
……生活経験が意識化されるという事は、それが言語に捕えられるという事であり、そうして、現実の経験が、言語に表現されて、明瞭化するなら、この事は、おのずから伝達の企図を含み、その意味は相手に理解されるだろう。(中略)言語という便利な道具を、有効に生活する為に、どう使うかは後の事で、先ず何を措いても、生まの現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする、それほど明瞭な人間性の印しはなかろうし、その有用無用を問うよりも、先ずそれだけで、私達にとっては充分な、又根本的な人生経験であろう。
ここで、本稿の冒頭に挙げた「明瞭な人間性の印し」が登場する。ここまで読み進めてきた私たち読者は、こう言いかえることができるのではないだろうか。「生まの現実が意味を帯びた言葉に変じて、語られたり、聞かれたりする」ことこそ、「人の情のあるやう」をそのままあらわしていて、そのことを「明瞭な人間性の印し」と小林先生は表現したのではないか。では明瞭な人間性とは何か……第十三章で小林先生はこれと近いもので「生きた情の働き」と言う表現をしているが、宣長が人間の根本にある情の働きを、『源氏物語』を通して見つめ続けたことが、この表現からも非常に強く伝わってくる。
……「宣長に言わせれば、ただ「心にこめがたい」という理由で、人生が語られると、「大かた人の情のあるやう」が見えて来る、そういう具合に語られると言うのである。人生が生きられ、味わわれる私達の経験の世界が、即ち在るがままの人生として語られる物語の世界でもあるのだ。
小林先生はこのように書かれたあと、「宣長は、経験という言葉を使わなかった」として、宣長の物言いをふたたび紹介している。
……「よろづの事を、心にあぢはへて、そのよろづの事の心を、わが心にわきまへしる、是事の心をしる也(中略)わきまへしりて、其しなにしたがひて、感ずる所が、物のあはれ也」(中略)そうすると、「物のあはれ」は、この世に生きる経験の、本来の「ありやう」のうちに現れると言う事になりはしないか。
この「ありやう」とは何かについて、直前で「曖昧な、主観的な生活経験の世界」と説明されているのだが、これだけでは、少々意味が取りづらい。そこで第十五章に目を戻すと、一箇所、「刻印」(これも、しるし、の字が共通している)という表現が出て来るところがあり、宣長がどのように「ありやう」という言葉を捉えていたのか、が見えてくる。
……事物を味識する「情」の曖昧な働きのその曖昧さを、働きが生きている刻印と、そのまま受取る道はある筈だ。宣長が選んだ道はそれである。「情」が「感」いて、事物を味識する様を、外から説明によって明瞭化する事は適わぬとしても、内から生き生きと表現して自証する事は出来るのであって、これは当人にとって少しも曖昧な事ではなかろう。
“そのまま受取る”という言葉が直前の「刻印」という言葉に呼応し、まさに「ありやう」を表現していると感じた。前掲の文章で、小林先生が、「『情』と呼ぶ分裂を知らない直観」という表現をしている箇所を挙げたが、その言葉をここでまた想起してみる。“そのまま”“ありやう”“分裂を知らない”という言葉をつくづくながめるならば、おのずと宣長の考えていたことがこれらの言葉となったことに思いが至る。「情」の曖昧な働きは、曖昧ではあるが、情という、人間の持つ直観そのものは、確かにそこに存在している、ということなのだ。一人一人の内部に起こることは、誰もが「殆ど意識せずに、勝手に行っているところだ」とある。その無意識下で行われるさまこそが、「人の情のあるやう」そのもの、ということであろうか。少なくとも、その“内容”ではなく、その“ありよう”のことを宣長は見ていたのだということがよく伝わってくる。そして人間にはさらに「想像力」という、小林先生の言うところの「素朴な認識力」が備わっているという。『源氏物語』を宣長が「そらごとながらそらごとにあらず」と言ったのは「人の情のあるやう」を式部が「想像力」と表現のめでたさによって物語の中で完成させたところにある、宣長はそう言っているのである。
第二十四章の最後にある、
……「事」の世界は、又「言」の世界でもあったのである。
ここで小林先生が言っているのは、第十五章に書かれている次の文章と呼応していることに気がつく。
……事物を感知する事が即ち事物を生きる事であろうし、又、その意味や価値の表現に、われ知らず駆られているとすれば、見る事とそれを語る事との別もあるまい。
そうであれば、「見る事の世界は、また、それを人の情のあるやうそのままに、語る事=言の世界でもあった」と置き換えることができるのではないだろうか。ここまで考えを進めてくると、『本居宣長』の後半第三十四章で「徴」が登場するくだりに、そのまままっすぐ考えをすすめてよい、と小林先生が言ってくれているように思えてきた。この件はまた別の機会にとっておくことにしたい。
(了)