編集後記

坂口 慶樹

今号も、荻野徹さんによる「巻頭劇場」から幕が上がる。いつもの四人組には似つかわしくない沈黙を破ったのは、生成系人工知能(生成系AI)の大規模言語モデル、ChatGPTに対して「青年」が発した質問についてである。かたや「女」は、質問するにはそれなりの覚悟を要するのだと言う。それでは、質問に際し、私たちはどのような態度を取るべきなのか? どうすれば「帰ってきた酔っ払い」にならずに済むのか? 四人の対話に、じっくり耳を傾けてみよう。

 

 

「『本居宣長』自問自答」には、小島奈菜子さんと松宮真紀子さんが寄稿された。

小島さんは、冒頭で「物と心との関係を考えることは、言語について考えることに通じる。言語は心の動きを体であらわすことで生み出される、両者の接点だからだ」と言う。そこで小島さんは、「物」という言葉に注目した。わけても、本文に引かれた荻生徂徠「弁名」にある「物」という一文は必読である。これ以上は、多言無用であろう。

松宮さんは、「本居宣長」という作品には、「何よりも小林秀雄先生の言語観が、本居宣長を語る中で端的に表れ」ており、その核となるのが「ココロよりコトバを先きとする」という考察だと明言する。そのことについて、小林先生の筆がどのように運ばれているのか、松宮さんは、作品全体を俯瞰しながら、熟視すべき先生の言葉を丁寧に的確に選び取ったうえで、論を進めて行く。

 

 

有馬雄祐さんは、本塾の素読会の事務局を担当している。素読対象は、小林秀雄先生も若い頃から熟読していた哲学者ベルグソンの著作である。有馬さんは、こう自問自答している。「どうして、ベルグソンの著作にはそうした難解さが生じるのか。それはベルグソンの哲学の対象が、彼が真の哲学の方法と呼んでいる『直観』によってしか捉えられない、生命や精神だからである」。ベルグソンの言葉と向き合い続けてきたなかで、彼と固い握手を交わし合うには、素読に限ることを痛感した。長年かけて素読を体翫してきた有馬さんならではの、素読論にしてかつベルグソン論を味読いただきたい。

 

 

新型コロナウイルスの猛威も小康状態にあり、地方へ赴くことも増えた。今般の移動中も、この「編集後記」をどうまとめようかと思案を続けたが、うまくまとまらない。ともかくも、夕刻、山口県の防府の街に降り立つと、とある小料理屋に駆け込み、お品書きからピンときた甘鯛の刺身をお願いした。むろん、お供の熱燗も欠かせない。甘鯛は一般に高級魚と言われており、山口県は日本で最大の漁獲高を誇るため地元では口にしやすい魚なのだ。舌に乗せると、体中が独特の自然な旨味と芳香に包まれた。こうなればと、立て続けに塩焼きをお願いし、にぎり一貫で〆た。わけても、にぎりは刺身とは包丁の入れ方が大きく変えられていて、身の柔らかさの一方に感じる歯ごたえの妙味に唸った。

 

東京の自宅に戻り、改めて、今号に寄せられた作品を読み返してみた。

荻野さんの対話劇に登場する「女」は言う。「私たちは『本居宣長』の本文の意味するところに迫ろうと、『自問自答』を組み立てたうえで、小林先生の声を聴こうとするでしょう。古い文の意味を知り、歴史に迫ろうとすることは、それと同じようなことじゃなくて?」。

小島さんは、荻生徂徠の文中にある言葉、「『たとえ』を、さまざまな例を挙げて繰り返し語る徂徠の言い方に慣れていくうちに、彼が伝えんとする『物』が、私のところにやってくるように感じた」と言っている。

松宮さんは、「小林先生は、宣長と同じように言語とその歴史に対して無私な交渉を行った。自らを投じて言語の源流に遡り、模擬体験したのだ」と述べている。

そして、有馬さんは、ベルグソンの考えも踏まえて、こう言っている。「著者の声に耳を傾けながら作品を読む方法が、素読であるわけだが、時間を省かず言葉と向き合うやり方は、意識していなくてはなかなか実践することが難しい」。

 

私たち塾生の自問自答、徂徠が言う「物」、小林先生が宣長に向かわれた態度、そして素読…… これらを貫道するものは、一つのように直観した。いや、まだまだ足りない。それこそ著者の声にもっと耳を傾けて、何度でも読み返してみよう。手前味噌にはなるが、今号にも、そう思わせるに値する作品が並んでいる。

 

ちなみに、先に触れた甘鯛という魚は、関西地方を中心に「グジ」と呼ばれており、小林秀雄先生も大のお気に入りで、徳利を傾けながら、黙々と味わわれたものだった。その詳しい事情は、池田雅延塾頭が書いているエッセイ「随筆 小林秀雄」の「九『原始』について」を、ぜひ参照されたい。

 

 

連載稿のうち、杉本圭司さんの「小林秀雄の『ベエトオヴェン』」は、著者の都合によりやむをえず休載します。ご愛読下さっている皆さんに対し、著者とともに心からお詫びをし、改めて引き続きのご愛読をお願いします。

また、三浦武さんの「ヴァイオリニストの系譜」は、今号が最終回となります。長きにわたりご愛読いただき、ありがとうございました。三浦さんも、たいへんお疲れさまでした。

 

(了)