小林秀雄著『本居宣長』を読んでいて、直観の強さとしか言いようのないものを感じるのは、私だけではないだろう。その一方で、紡がれていく文章には、弛むことのない分析の力が、紙背で張りつめている。
もちろんこれは、『本居宣長』が分析的な文体を持っている、ということではない。ただ、一度つかんだ直観を確かなものとするうえで、分析的手法は避けがたい。だからこそ、その手法に引きずられ、逆に直観が曖昧になることは避けなければならない。そのような、いうなれば直観の糸を緩ませない辛抱強い力が、『本居宣長』を支えている。そしてそれは、古書の読解に実証的手法をとりながら、ついに古典の愛読者としての直観から目をそらさなかった、本居宣長その人の歩んできた道だった。
――贋物に欺かれない事と、真物を信ずる事とは、おのずから別事であろう。どちらが学者にとって大事か。先ずどちらの態度を、学者として取るのが賢いことか、君はどう思う、と秋成に問うのである。この、見たところ簡単な疑問の底が、非常に深い事を、宣長はよく知っていた。(「本居宣長」第五十章、新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集p.180)
――十枚の色紙のうち、一枚は真物であるのを知りながら、何故、それを選び、取り上げないか。言うまでもなく、選ぶには、その証拠が不充分だからであろう。それだけの話なら、特に文句を附ける筋ではない。彼が難ずるのは、この当たり前な事も、当世の学者等の手にかかると妙な具合になる、その気質に染められ、歪められずにはいないという事だ。(中略)真偽は物の表裏であろうが、真を得んとする心と、偽を避けんとする心とでは、その働きは全く逆になるだろう。それが、彼等には見えていない、と宣長は言うのである。彼等が固執する態度からすると、大事なのは、真ではなく、むしろその証拠だと言ってよい。真が在るかないかは、証拠次第である。証拠が不充分な偽を真とするくらいなら、何も信じないでいる方が、学者として「かしこき事」と思い込んでいる。(同、第28集p.182)
証拠がなければ真ではない、一見もっともなこの言い分も、真剣に探求を続けるなら、非常に怪しい話となる。
本居宣長と上田秋成の論戦、いや、論戦というより対比といった方がいいような、全く心ばえの違う二人のすれ違いは、『本居宣長』の終盤に向けてたびたび取り上げられているが、ここは、科学的論証や史実などという曖昧な言葉遣いが蔓延っている現代において、非常につまずきやすい部分ではなかろうか。
例えば、秋成は「ゾンガラスと云ふ千里鏡で見たれば、日は炎々たり、月は沸々たり」(同、第28集p.91)といって、古伝が日や月を人体にときなすのをとりあげ、古伝をあるがままに信ずべしという宣長を非難する。一見もっともな意見と見えるかもしれないが、「月は沸々たり」は、現代から見れば明らかにおかしいとわかるであろうし、「日は炎々たり」すら、正確を期すのであれば少々注意が必要になる。もちろんそれは現代からの意見であり、時代の制約を考えねばなるまいが、時代を言い出すならば、現代の説もまた、いずれ難ぜられる未来を思わねばならない。また、今度は逆様に、人体を、日や月を見る時と同様、千里鏡を通すように見てみれば、眼鼻や手足とて、なかなか人体とは見えてこないだろう。ひいては、まず人を人と見なければ、その人の体を人体とは見がたいことに思い至るはずだ。
続ければキリがない以上細かい言挙げはこれくらいにしておくが、分析的論難とはそういうことだ。当然ながら、傍証を集め偽を避けんとする手法も、学者のとる手段の一つではあろう。そんなことは宣長も承知していた。何より、宣長自身こそ、非常に優れた実証家であった。
正確な論証や事実の探求を拒む理由などどこにもない。だが、まず真と信ずるところがなくば、何ができるというのか。もう一歩踏み込むならば、秋成の論難すら、つまるところ秋成が真と信じたところ、それも、古学への興味とはおよそ縁のないところから出た話であり、その真を正確に証するものすら、どこにもない。ただ、秋成の知る範囲で偽ではないと思われるだけの話だ。それを、秋成は真の証拠と思ってしまっている。古伝のような未開の人間の思い込みによる未熟な観念に惑わされぬ、冷静で正確な認識と思ってしまっている。秋成の意見ではなく、秋成のこの態度こそ、宣長の難ずる点だった。受け入れるにせよ反対するにせよ、これに付き合うということは、秋成の態度にそって論ずるということになる。秋成は言葉をはぐらかすような宣長の態度に怒ったが、宣長からすれば、秋成のほうこそ、頭から言葉をはぐらかしに来たと見えただろう。
証拠がなければ真ではない、そんな乱暴な話はあるまい。真は真だ。それでも証拠の存在に問題を置くとするならば、まず、我々の検証能力がどこまで届きうるか、その原理的限界を考えねばなるまい。
はたして、証拠を集めれば真を得られるのか。はっきり言って、人間にそんなことは不可能だ。一見そのようなことが可能なのは、少なくともすでにいくつか候補を予感し、たまたま、一つ以外を退けることが出来た、あるいは、そう出来るように候補が誂えられていたからに過ぎない。
逆様に言えば、得られた直観が本当に正しいと証することもまた、できはしない。そこに、分析の力、すなわち、偽りを避けんとする辛抱強い力が必要となる。それは、直観そのものの偽を問うということだけではなく、むしろ、得られた直観をより精しくするためにこそ、必要な手順だろう。
ここで私が思い浮かべるのは、仏師の振るうノミのようなものだ。まず素材の中に仏の姿を予感していなければ、それを彫り出すことはできまい。そして、彫り進めるほどに、仏の姿はより鮮明になってゆく。しかし、仏の体にノミが振るわれてはならない。ノミを振るうとは、そこに仏の体がないことを確かめるということだろう。
もちろん、分析の結果、直観の間違いを確かめるということもある。そして、特段の理由でもなければ、間違いと確かめたことにわざわざ言及する必要もない以上、分析には、いうなれば、自らの足跡を消していくような働きがある。それゆえ、辛抱強く分析を続けられた仕事からは、むしろ分析の色は抜けていき、いよいよ直観の姿が露わになっていくものだ。この辛抱を要する道行きに、昔も今もあるものではない。
さらに言えば、直観が正しいことを証せない以上、分析の手が、自ずから止まるということはない。分析の終わり、それは、自らの手の限界を悟った時だ。これ以上進むことのできない頂に立った時、人は分析の手を止めざるを得まい。
それは、直観の正しさが証されたということではない。もはや自分はこう考えるよりほかにない、ただそのことを確かめるということだ。
さて、今回、直観について書いてきたが、ここでいう直観は、カント的な、純粋に先天的能力としての『直観』というより、言葉の厳密性など意図しない人々が、日々の生活のなかで互いに通じ合うことを信じて使用するところの直観、あえてその意味を問うのであれば、案出されたものではない、わかるからわかる、見えるから見えるとしか言いようのない、そういう直観として受け止めてもらいたい。それを純粋なところまで突き詰めれば、一つの根源としてカント的『直観』まで行きつくであろうが、そのように窮まった所から考えてしまえば、話がより込み入ると思い、こうして注釈を置くことにした。
余談になるが、このような直観と分析について考えた時、推理小説というものについて、個人的に面白く感じるところがある。推理小説は、まさに解かれるために用意された謎ではあるが、その推理がどれほど精巧でも、いや、その推理が精巧なものであるほど、その話は荒唐無稽にならざるを得ない。推理小説に命を吹き込むのは、推理の正しさというよりも、むしろ、探偵の着想だ。初動がどれだけ地道な調査であっても、探偵が直観を得たところから、推理小説が始まる、そう言ってもいいだろう。どれだけ整合的説明が与えられても、それらの情報から探偵が真相を見つける時、そこには余人の立ち入り難い飛躍がある。でなければ、探偵などいらないはずだ。
新たな発見におけるこの種の飛躍は、数学や物理の世界でも常にある。もちろん、発見に至る実験や理論の積み重ねは必要だ。しかし、その瞬間、そこにいれば、誰もが発見者になれた、そんな呑気な考え方に、私は賛同できない。歴史の必然とは、必然が歴史を作ったということではないだろう。歴史に流された人が発見者になったのではない。歴史を背負って立った人が、発見者となるのだ。
『本居宣長』は、宣長に流れ込んだ学脈や当時の学風を細かに追っていくが、そこに描かれているのは、流れの中に配置された本居宣長という役割ではなく、そのような歴史を背負って立つ、本居宣長という人の姿だ。
(了)