春号の幕開けは、荻野徹さんの「巻頭劇場」からである。いつもの四人が話題にしているのは、本居宣長が「徂徠学の急所があると認め」て印写している孔子の言葉である。三百篇もの詩を、たんに暗誦することは「詩」を学ぶことではない、『詩』は言語の教えである、という考えが、(坂口注;荻生)徂徠の言葉を引きながら精しく述べられている件だ。たとえ難解ではあっても、ここに「本居宣長」の急所あり、と直観したかのように、四人の対話は急速に深まっていく。
*
「『本居宣長』自問自答」には、本多哲也さんと橋本明子さんが寄稿された。
本多さんが熟視したのは、宣長の文章から感じられる「うまく表現できないもどかしさ」についてである。いや、より正確に言えば、その「もどかしさ」に小林先生がいかに向き合ったのか、についてだ。先生が記している本文を丁寧に追っていくと、そこに「先生にとっての訓詁の根幹」が見えてきた。「もどかしさ」に向き合う先生の姿が見えてきた。
橋本さんは、第四十三章にある、宣長にとって「古事記」という「御典を読むとは、わが心を読むという事であった」という小林先生の言葉を熟視している。宣長は、三十五年間、その「御典」と毎日向き合った。彼は晩年、その心構えについて「うひ山ぶみ」に詳しく記している。しかしその言葉は、宣長の「感想」として片づけてしまえるほど、軽い言葉ではないことに、橋本さんは気付かされた。さらには、人口に膾炙している、あの、宣長が詠んだ歌の深意にも触れることができた。
*
今号から、本多哲也さんによる「先人の懐に入り込む——小林秀雄と丸山眞男をめぐって」と題した新連載が始まった。連載寄稿のきっかけとなった小林先生の言葉がある――「私としては、ただ徂徠という人の懐にもっと入り込む道もあるかと考えている」(「哲学」、新潮社刊「小林秀雄全作品」第24集所収)。この言葉を胸中に抱きつつ、本多さんはこれから、徂徠や宣長は言うまでもなく、丸山眞男氏や小林先生の懐にどのように入り込んでいくのか、興味が尽きない。乞うご期待の新連載である。
*
私たち「小林秀雄に学ぶ塾」では、小林先生が「本居宣長」の執筆に少なくとも十二年六ヶ月をかけたことに倣い、一年に全五十章の通読を十二回繰り返すという、螺旋的な学びの階段を少しずつ登ってきた。毎年、「本居宣長」のなかの熟視対象箇所を定めると、そこに何度も向き合い、所定の字数を前提に、池田雅延塾頭を介した小林先生への質問と自答を考え、整え、担当月に発表に立つ。さらには、池田塾頭からの助言を踏まえて、本誌への寄稿のための文章として磨き上げる、そんなサイクルを何度も繰り返してきたのだ。本年度は、いよいよその最後の一段を登る。
質問の事前検討や本誌寄稿のための磨き上げには相応の時間もかかるし、簡単には行かない。初学者であればなおさらだ。そんななか、本塾に途中参加した私自身にとって、力強い支えとなってきた、宣長が晩年に残した言葉がある。
「詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば、功はなし。又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生まれつきたることなれば、力に及びがたし。されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也。又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、また暇のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也。されば才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし」(「うひ山ぶみ」)
晩学で、実生活上の時間的余裕もそう多くは持てない身として、どれだけ助けられたことか知れない。もちろん、この文章の深意については、小林先生が「本居宣長補記Ⅰ」で詳しく記されている通りである。とにかくこの一年も、「倦ずおこたらずして、はげみつとむる」ことを肝に銘じ、いよいよ胸突き八丁となる最後の一段を登ることとしたい。
はたしてその先には、どのような光景が眼前に広がっているのであろうか。
*
杉本圭司さんの「小林秀雄の『ベエトオヴェン』」は、著者の都合により、やむをえず休載します。ご愛読下さっている皆さんに対し、著者とともに心からお詫びをし、改めて引き続きのご愛読をお願いします。
(了)