「一番好きなのは、どこ?」

荻野 徹

いつものような『本居宣長』をネタにおしゃべりをする四人の男女。今日は、どの辺が話題だろう。

 

元気のいい娘(以下「娘」)『本居宣長』のなかで、どこが一番好き?

江戸紫が似合う女(以下「女」)好きかどうかっていわれても困るけれど、初めて通読し   たとき一番心に残ったのは、第四十九章の最後の方、「そういう次第で、宣長が『上古言伝へのみなりし代の心』を言う時、私達が、子供の時期を経てきたように、歴史にも、子供の世があったという通念から、彼は全く自由であった」という一文から始まる数節かな(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集188頁)

凡庸な男(以下「男」)大河ドラマが大団円に近づいきてたときみたいに、読んでいて、力が入るというか、緊張してしまうところだね。

女 いや、そんな大それたことじゃないの。まだ、何もわからなかったし。とにかく、投げ出さずに、文字を追うのが精いっぱいで、論旨を追うなんて段階ではなかったわ。

娘 じゃあ、どうしてそこが、印象に残ったの?

女 お恥ずかしい、というか、申し訳ない話だけど、いわゆる原始人を想像しちゃったのね。

男 いわゆる原始人?

女 ええ。子供向けの図鑑とか学習漫画とかにあったじゃない。毛皮を腰に巻いて、ひげもじゃで、石斧みたいなのを手にした、ザ・原始人。

生意気な青年(以下「青年」)あああれね。ちょっと粗野だけど純朴で、みたいなステレオタイプのやつ。

女 うん、それでね、その原始人のおじさんが子供と手をつないで、夕陽を見てるのよ。

男 なんだって?

女 そういうイメージがわいてきたの、読んでいて。

娘 それって「……自分等を捕らえて離さぬ、輝く太陽にも、青い海にも、高い山にも宿っている力、自分等の意志から、全く独立しているとしか思えない、計り知りえぬ威力に向かい……」(同)という辺りかなあ。

女 そうそう。青息吐息でページをめくり続けてきて、何にも頭に残らなかったんだけど、なぜかそこで、パっと、何かが見えたような気がしたのね。

青年 見えてきたって、理解のきっかけというか、ヒントが得られたとでもいうのですか?

女 いえいえ、全く。文章の意味とか、そんなレベルじゃないのよ。小林秀雄先生のお考えとかとは全く関係なく、なにか、イメージが湧いてきたの。

男 お得意の「妄想」かな。

女 ええ、まさにそう。上古の人々が、長い時の流れのどこかで、言葉を獲得していく。そこだけ見ると未開の原始人なんだけど、「どんな昔でも、大人は大人であった」(同)。つまり、上古の人たちは、文明の利器に囲まれ、人工的な環境に保護されている私達とちがって、大自然の猛威に生身の体で向き合っていたわけでしょう。五感の働きもはるかに鋭敏だったはずだし、周囲の状態を観察して、これから起きることを予期する力なんかも、はるかに強かったと思うの。命がけなんだから。「自分等は余程利口になった積りでいる今日の人々」(同)なんかには、及びもつかぬことだわ。

男 講釈師見てきたようななんとやら、だね。結局は妄想の域を出ないよね。

青年 あっ、そこなんだけど。

娘 なにか手がかりがあるの?

青年 最近、ゴリラ学者の講演を聞いてね。

娘 ゴリラ?

青年 うん。ゴリラも人間も、一千万年くらいさかのぼれば共通の祖先がいて、そこから枝分かれしたわけ。だから、共通する特徴もあるし、もちろん違いもある。ヒトはヒトとして進化し、ついに言葉を獲得する。

男 それがどうかしたのかい?

青年 ゴリラの生態を観察してほかの霊長類と比較したり、ゴリラと別れた後の人類の進化の過程を調べたりすると、いろんなことが分かって来るらしいんだ。

娘 たとえば?

青年 うん。たとえば、「現代人の脳の大きさはゴリラの三倍ある。では、いつ脳が大きくなり始めたかというと二百万年前である。しかも現代人並みの脳の大きさになったのは四十万年前で、言葉の登場よりずっと前だ」(注1)っていうんだ。

男 脳が大きいからこそ、言葉を使えるわけでしょう、万物の霊長たる所以だよ。

青年 でもね、人間が言葉を獲得したのは、七~十万年前ということらしいんだけど、「ホモサピエンスは二十~三十万年前に登場し、それ以前に脳は現代人並みの大きさになっている」(注2)というんだな。そして、霊長類の場合、「集団のサイズが大きい種ほど、脳の新皮質比(脳に占める新皮質の旧皮質に対する割合)が大きい」ことが分かっていて「日常的につき合う仲間の数が増えるとそれを記憶する脳の容量が増える」(注3)というわけ。言葉が登場する遥か前の二十~三十万年前に、百五十人くらいの集団ができあがっていたというんだな。

女 ああ、そうか。言葉が誕生する前にも、社会生活のようなものがあって、何らかのコミュニケーションが行われていたということね。

娘 身振りや手振り、足踏み、踊りのようなしぐさ、色んな音色の声を出すとかかなあ。なにか、楽しそうね。

男 誰かさんの妄想に出てきた原始人の親子の間にも、そういう、言語以前の身体的なコミュニケーションがあったのかもしれないね。

娘 言葉以前の身体的なコミュニケーション?

女 そういえば、人々が赤ちゃんに話しかけるときの言葉遣いには、文化圏を超えた共通性があるって話を聞いたことがある。

青年 対乳児発話とかいうやつかな。むくつけきオッサンでも、赤ちゃんには、ゆっくりとしたテンポで、抑揚がある高めの声で話すよね。

男 それで赤ちゃんがニッコリしてくれると、オッサンも満更でもない、ってことだね。

娘 そうやって、気持ちを伝えあう。まだ、言葉にはなっていないけど、人間どうしのコミュニケーションの原点がそこにあるわね。

女 言葉の、原型というか芽吹く前の種というか。そこに、言葉を生み出す原動力が宿っている感じね。

娘 ひょっとして、言霊?

男 それは飛躍。妄想も甚だしい。それはともかく、ちょっとホッコリする話だよね。

青年 でも、ショッキングな話もある。一万二千年前くらい前と比べると、現代人の脳は十~三十パーセント縮んでいるという説があるんだって。

娘 どういうこと?

青年 「人間が言葉の獲得に至った理由の一つは、脳の中の記憶を外に出すためだったのではないか」(注4)というんだ。

女 なるほど。赤ちゃんをあやすみたいな、その場面に応じて行われる身体的なコミュニケーションと違って、言葉というのは、なんていうか、一種の記号だから、データとして処理しやすくなる。脳の機能を外部のデバイスで代替しちゃうのね。

娘 あっ、それってやばいかも。スマホなくすと、自分の予定も、決済情報も、友達の連絡先も分かんない。好きな曲も聴けないし、気になる動画も見らんなくて、どうやって生きていけばいいか分かんない。

青年 他人ごとじゃないな。「今後、脳が不要になる時代が来るかもしれない」(注5)なんてことまでいうんだ。

女 でもそれは、書き言葉のことじゃないかしら。

青年 確かに、話し言葉であれば、「同じ言葉でも、それを発する人、受け取る人、互いの関係、置かれている状況、さらには声の大きさ、高さ、抑揚、手振り、身振り、態度によって意味は微妙に変わる。それが文字になった時には、相手はいない。発信者の意図と受信者の解釈にはずれがあり、それを即座に修正することはできない」(注6)からね。

女 そうでしょう。

青年 でもね、比喩の働きなんかは、話し言葉でも、十分に発揮されるよね。誰かのことを、オオカミのように残忍な、といえば、その人の行動を事細かに説明するより、はるかに簡単に済む。一瞬のうちに、強烈なイメージを喚起できる。敵愾てきがい心をあおって、一緒に戦う同志的連帯感まで湧いてくるかもしれない。

女 いまのは随分剣呑けんのんな喩えだけど、太陽のように輝くとか、海のように青いとか、山のように気高いとか、比喩の働きによって物事の捉え方や、感じ方、その伝達の仕方をより豊かに、よりきめ細かくしてくれるわね。

青年 そうなんだ。そしてその前段階の物事に名前を付けるということ自体に、重要な意味があるよ。サルだって、空を見上げれば何かがまぶしいとか、目の前に水の流れがあって進めないみたいなことは分かるかもしれないけど、それらに、お日様とか川とか名付けることで、その時その場で目にした光景の記憶にとどまらない、色んな意味を持つようになるよね。

女 単に気持ちを通わせるというだけじゃなくて、「世界を切り取って要素に分け、意味を付与して物語にし、それを仲間と共有する」(注7)というところにまで行くわけね。

青年 そういう意味で、たとえ無文字であっても、言葉を獲得したということの意味は大きいよね。

娘 身体的なコミュニケーションだけの世界から言葉が誕生していく過程は、実に神秘的よね。

女 だからこそ、宣長さんは、(輝く太陽、青い海、高い山などの)「計り知りえぬ威力に向かいどういう態度を取り、どう行動したらいいか、『その性質アル情状カタチ』を見究めようとした大人達の努力に、注目していた」(前掲書188頁)のね。

娘 それに続く、「これは言霊の働きを俟たなければ、出来ないことであった。そしてこの働きも亦(また)、空や山や海の、遥か見知らぬ彼方(かなた)から、彼等の許にやって来たと考える他はないのであった。神々は、彼等を信じ、その驚くべき心を、彼らに通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろう。そういう声が、彼等に聞こえて来たという事は、言ってみれば、自然全体のうちに、自分等は居るのだし、自分等全体の中に自然が在る、これほど確かなことはないと感じて生きて行く、その味わいだったであろう」(前掲書189頁)という文章も、とても美しいね。

男 でも、難解だよ。

女 そうね、私も書かれた文章の意味というか、論理的な内容を理解できているわけではないわ。

青年 そもそも、人間が言葉の象徴作用を獲得したプロセスなんて、それを言葉で表現しようとすること自体、無理があるんじゃないの?

女 そうかもしれないわね。でも、このあたりの文章、声に出して読みたいほどだわ。そして、音楽を聴くように文章のリズムと響きに感じ入っているうち、何かが頭の中に下りて来て、イメージを映し出してくれるような気がするの。

男 それが、原始人親子のイメージってわけ?

女 図柄が陳腐で、センスがないのは認めるわ。でも。

男 でも、何?

女 小林先生は、文章の力で色んなイメージを喚起することによって、普通では表現できな いこと、伝達できないことを、読者の心の中に再現してくださってているような気がするわ。

男 おやおや、大きく出たね。『本居宣長』の理解が進んだってわけ?。<マル、トル>

女 あら、そんなつもりはないわ。せっかくの美しく力強い文章なのに、月並みのイメージしか浮かんでこないのは、お恥ずかしいかぎり。でも、好きなんだわ、この一節が。

娘 初めからそういえばよかったのに。

女 そうね。難しいことを理解できたわけではないけれど、この一節に出会えたことで、この本全体がとても好きになったわ。それで、あなたは?

娘 なあに?

女 一番好きなのは、どこ?

 

四人のおしゃべりは、とりとめもなく続いていくのであった。

(了)

 

注1 山極壽一『森の声、ゴリラの目』(小学館新書)77頁

注2 前掲(注1)85頁 

注3 前掲(注1)77頁n

注4、注5 山極壽一『共感革命』(河出新書)13頁

注6 前掲(注1)94頁

注7 前掲(注1)86頁