編集後記

坂口 慶樹

猛暑きびしい中、読者の皆さんに心よりお見舞い申し上げます。

 

さて今号も、荻野徹さんによる「巻頭劇場」から幕を開ける。山の上の家の塾の塾生の間でもよく見かける光景だが、いつも四人は、「『本居宣長』のなかで、どの部分が一番好きか?」という話題で盛り上がっている。江戸紫の女によれば、その場面になると思わず原始人を想像してしまうそうだ。なぜ原始人なのか? 四人の話は、言語以前の身体的な意思疎通のありようにまで話が及ぶ。それは、私たち一人ひとりが出生時から経験してきたことでもある……

 

 

本塾における、『本居宣長』精読十二年計画も、いよいよ最終年度に入っている。「『本居宣長』自問自答」には、泉誠一さん、森本ゆかりさん、そして小島奈菜子さんが寄稿された。

泉さんは、小林秀雄先生が語っている「一人の宣長さんが現れて来るまで一生懸命に宣長さんの文章を読めば、きっと一人になって現れて来るに違いない……、そのいきさつが僕の本に書いてある」という言葉に注目した。小林先生が批評の極意と考えていた「述べて作らず」の心構えで組み立てられた泉さんの文章は、本塾で長きにわたり「自問自答」を続けて来たがゆえの、大いなる成果の一つであろう。

森本さんは、「池田塾頭を通して聴く、小林秀雄氏の言葉が、これまでに経験したことのないほど、心に強く響き、ここでの学びは私の人生の軸となると直観しました」と述懐している。入塾以前には、小林先生の作品は一度も読んだことがなく、文学とは縁のない人生を送ってきた。今や、塾での質問にも連続して取り組んでいる森本さんが目下挑んでいるのは、自らの価値観は捨てて無私に著者と向き合う態度をいかにして自得するかという道である。

小島奈菜子さんは、「物質である体に、なぜ心があるのか」という物と心との関係は、言語における「音声(形)になぜ意味が宿るのか」という形と意味との関係と同じ構造にあると言う。後者の関係について小島さんは、「本居宣長」で触れられている古人らの命名行為に着目した。それは「自己認識と言語表現とが一体を成した、精神の働き」である。そこで、「言葉の力の源泉」と言われている「興」の功と「観」の功はどのように発動するのか。小島さんが紡ぐ言葉に、じっくりと耳を傾けたい。

 

 

さる六月末、郷里の熊本市の旧城下町、新町にある書店が閉店した。創業は明治七年(一八七四)、熊本で最古級の書店であった。建物は、東京丸の内の赤煉瓦れんがオフィス街で有名な保岡勝也氏の設計による二階建てで、国の登録有形文化財にも指定されている。当時、旧陸軍第十二師団軍医部長として小倉に赴任していた森鴎外も常連で、「書肆しょしの主人長崎次郎を訪ふ」(「小倉日記」)と綴っていた。私の実家からも近く、子どもの頃からなじみのある本屋でもあったため、閉店と聞いて大きなショックを受けた。いや、単なるなじみだからではない。それは、私が今や片時も本が手放せない、大の本好きになった出来事と大きく関わっている。

中学時代に通っていた塾があった。熱血講師のM先生から、夏季の課題として吉川英治「三国志」の文庫全八巻を完読するよう課された。今なら「大人買い」と称して八巻まとめて買うところだが、そこは中学生だった。一巻読み上げる毎に、新町の市電の電停前の書店に自転車を走らせた。一冊ごとに覚えた達成感に加え、風格ある書店で文庫本を買うこと自体が、当時の中学生の私には、大人びた「むしゃ(武者)んよか」(熊本弁で「格好いい」)ことだったのだろう。内容が身についたかは別にして、見る見るうちに読み上げていった。だからどうだ、という程のことでもないが、大部の本を読み進めることが、その後の人生で大きな苦痛にならなかったのは、M先生と長崎次郎書店さんのおかげだと、今になって痛感している。

ちなみに私は、山の上の家の塾に入るにあたり、「小林秀雄全作品」全二十八巻、別冊も含めて三十二巻の完読を、自らに課した。そのときも、けっして「大人買い」することなく、一巻読み上げるたびに書店に走るスタイルを貫いたことも、中学時代の経験が底の底にあったような気がしてならない。

ただ、本当の大人となってしまったからには、読むスピードだけで満足していてはいけない。今年こそ、精読、熟読の一年なのである。

 

 

杉本圭司さんの「小林秀雄の『ベエトオヴェン』」は、著者の都合により、やむをえず休載します。ご愛読下さっている皆さんに著者とともに心からお詫びを申し上げ、改めて引き続きのご愛読をお願いします。

(了)