今号も、荻野徹さんによる「巻頭劇場」から幕を開ける。いつもの四人の対話は、「政治家がつく嘘」の話題から始まる。昨今のSNSの猛威とも関連して対話も急に熱を帯びる。今回は、はたしてどこから、「本居宣長」を精読中の、この四人ならではの話題に転じるのか…… そういう会話の流れや展開の妙もまた、読者諸賢に愉しみ、味わっていただきたい、荻野さんの対話劇の醍醐味である。
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「『本居宣長』自問自答」には、鈴木順子さん、森本ゆかりさん、本多哲也さんが寄稿された。
鈴木さんは、小林秀雄先生が「宣長の学びの成長と精神を、躍動感のある言葉で説明している」と言う。「躍動感のある言葉」とは、具体的に「彼(宣長)の学問の内的必然の律動」そして「書物という対象のうちに、己れを捨ててのめり込む精神の弾力性」という言葉である。これらの言葉と向き合うなかで、鈴木さんの眼には「宣長の言葉を、全身全霊で受け止めている」小林先生の姿が映じているようだ。
森本さんは、このように述懐している。「自分の生き方と向き合い、私の身の回りで起こる出来事や人間関係の問題など、これは私の人生にとって、どのような意味があるのかを見つめるためには、小林氏の言われている歴史を見る眼が必要なのではないかと感じました」。質問にいたる池田雅延塾頭との対話を通じて、「『人間によって生きられた歴史を見る』という言葉の深さ」を体感されたようである。
本多さんの自問は、宣長が「古言のふり」を直知したことについて小林先生が書いている、「実証の終るところに、内証が熟した」とはどういうことか? である。本多さんは、そこで小林先生が言っている「実証」とは、私たちが現代的な通念で受け取りがちな「科学的とか客観的といった語」とは意味合いが異なることに注意を促したうえで論を進める。それでは一体どうすれば、内証は熟すのか?
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今号では、石川則夫さんが、2023年夏号以来となる特別連載を寄稿された。副題は「徂徠の面影」である。もちろん「本居宣長」においても、荻生徂徠に関する話題の登場頻度は高く、いわゆる急所の一つだと思われる。本塾生の「自問自答」においても熟視対象として頻繁に取り上げられている。塾生はもちろん、徂徠への関心が高い読者諸賢にも、一読をお勧めしたい。
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先だって開かれた、池田雅延塾頭が講師を務める「新潮日本古典集成で読む 『萬葉』秀歌百首」の新年一回目の講義では、「萬葉集」巻第一にある次の二首を味わった。
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
(八、額田王)
海神の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ
(一五、中大兄)
古代朝廷が朝鮮対策の拠点としていた百済が、唐の力を借りた新羅に攻められ、援軍を求めてきたことを受け、斉明七年(六六一)正月六日、六十八歳の女帝を総帥に仰ぐ大和朝廷の軍団は、難波津を出航した。この二首はその航路上で詠まれたものと言われている。
「萬葉集釈注」(集英社)の著者である伊藤博氏は、後者の十五番歌は「萬葉集」中の「傑作中の傑作」と明言している。さらに「その味わいを現代語訳に置きかえるのは容易ではない」と前置きしたうえで、歌意は「おお、海神のたなびかしたまう豊旗雲に、今しも入日がさしている、今宵の月世界は、まさしくさややかであるぞ」と記されている。一つ前の十四番歌が、航路上から眼前に広がる「印南国原」、すなわち明石から加古川にかけての平原について詠まれた歌であることから、その付近で遭遇したのだろうか、西の空に赤くたなびく夕雲の姿に、向後の航路の無事を予祝する心持ちを託したのであろう。
前者の八番歌は、老女帝斉明の疲労を癒しつつ船団装備の充実の時間として、伊予の熟田津(松山市道後温泉あたり)に七十日ほど停泊し、三月末に出帆する際に詠まれた歌である。伊藤氏によれば「船出の刹那を待ち続け、ついにその時を得た宮廷集団のこころのはずみの上に発せられたこの歌には、息をのんで勢ぞろいする宮廷集団を、一声のもとに動かす王者の貫禄がみなぎっている」。まさしく額田王は、天皇になり代わって歌を詠む「御言持ち歌人」として、この重大な場面で歌を詠み上げ、「月も出た、潮の流れも最高だ。さあ、今こそ漕ぎ出そうぞ」と口火を切ったのである。
さて、わが塾の使命である「『本居宣長』精読十二年計画」も、いよいよ仕上げの時期を迎えている。しかしながら、私たちの学びは、これで歩みを止めるわけではない。小林秀雄先生に人生の生き方を学ぶ塾「私塾レコダ l’ecoda」での学びや各自の独習に、終わりはない。
「今は漕ぎ出でな!」という額田王の第一声の叫びをわが胸中におさめ、本年もまた学び続けて行こうぞ、そんな思いで、年のはじめのこの編集後記を書いている。
(了)
(追記)諸般の事情により、2025年春号は休刊します。2025年夏号より再開する予定です。