人が歌を詠む時

橋本 明子

小林秀雄先生の作品『本居宣長』を、先生が執筆にかけた年月と同じ十二年をかけて読む「山の上の家の塾」。この塾での、私の最後の自問自答は、詠歌という行為の意味を問うものでした。

 

――詠歌とは、どのような行為をいうのでしょうか。本居宣長さんの「これしき事なれば、感ずまじとは思ひても、自然としのびぬ所より感ずる也」という一文を受けて、小林秀雄先生は「『もののあはれをしる』とは、『自然としのびぬ所より感ずる』事だ。『世にあらゆる事にみなそれぞれのもののあはれはある』が、そのどれを選ぶかは、私の自由だというような事はありはしない。私が『あはれ』を求めて、これを得るのではない。むしろ(略)私は全く受身で、無力で、私を超えた力の言うがままになる事だ」と述べています。

 

また、「ことばは、『あはれにたへぬところより、ほころび出』る」ものであり、受け止めようとしても受け止め切れない程のあはれに遭った時に私達は、「めいめいが自主的に行っている、言語表現という行為のうちに、進んで這入はいっていく」のだとも述べています。

 

こうしたことから詠歌とは、生きていれば向こうからやってくる「私を超えた力」、それは堪え難い「あはれ」、これらが何であるかを私達が知る術であり、心を整え生きていくための人の知恵として、与えられている言語表現力の自ずからなる発動であると考えられるでしょうか。

 

この自問自答の熟視対象である第三十六章は、次のように始まります。

 

――「人にキカする所、もつとも歌の本義にして」、「歌は人のきゝてアハレとおもふ所が緊要也」という、「石上私淑言いそのかみささめごと」で、繰返し強調されているところは、歌を詠む者の身に即して言われた意見にもかかわらず、その言い方には、当時の歌人達が、これを正しく受取るのに、非常にむつかしい含みがあった。と言うのは、宣長の言葉は、当時の歌人達の思いも及ばないところで発想されていたからである。

歌とは何かと考えるのに、彼は、「歌といふ物のおこる所」まで行き、その「本の心」をたずねた。そして、その見えたがままの姿を言ったのであるから、これは、無論、巧まれた意見ではない。いや、自分の言うところは、意見でさえない、事実である、それも何の無理もない、「自然の事」だとは、又繰返し断っているところだ。

(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集 56頁)

 

このように宣長さんは、歌は、人が「あはれ」を感じた時に、本人が意図せずとも生まれるものである、と説きました。

私はこれまで、「物のあはれ」と言った時には、主に美についての感慨を想定してきました。しかしこのたび、人の心には哀、悪、邪、愚、という「あはれ」もあることに思いを致した時、宣長さんの言葉が、スッと心に入ってきたのです。なぜ人は歌を詠むのか。美に圧倒された時はもちろんのこと、生きるのが苦しくなる程の哀、悪、邪、愚が押し寄せた時にも、人の言語表現力が意図せず発動され、歌が詠まれてきたのかもしれません。人は、心の形を歌に変え、自分の外に手放すことによって、押し潰されるような苦しさを乗り越えてきたのかもしれません。

この気づきを与えてくれたのは、次の文章でした。

 

――堪え難い心の動揺に、どうして堪えるか。逃げず、ごまかさず、これに堪え抜く、恐らくたった一つの道は、これを直視し、その性質を見極め、これをわが所有と変ずる、そういう道だ。力技でも難業でもない、それが誰の心にも、おのずから開けている「言辞の道」だ、と宣長は考えたのである。悲しみを、悲しみとして受取る、素直な心さえ持っている人なら、全世界が自分一人の悲しみと化するような、深い感情の経験は、誰にもあるだろう。ことばは、「あはれにたへぬところより、ほころび出」る、と言う時に考えられているのは、心の動揺に、これ以上堪えられぬという意識の取る、動揺の自発的な処置であり、この手続きは、詞を手段として行われる、という事である。どうして、そういう事になるか、誰も知らない、「自然の妙」とでも言う他はないのだが、彼は、そういう所与の言語事実を、ただ見るのではなく、私達めいめいが自主的に行っている、言語表現という行為のうちに、進んで這入はいっていく。

(同 第28集 58頁)

 

この塾最後の一年に私が学んだこと、それは「『わが心ながら、わが心にもまかせぬ物』たるところに、その驚くべき正体がある」、このことに尽きると思います。 宣長さんの「これしき事なれば、感ずまじとは思ひても、自然としのびぬ所より感ずる也」という一文を受けて、小林先生は「『もののあはれをしる』とは、『自然としのびぬ所より感ずる』事だ。『世にあらゆる事にみなそれぞれのもののあはれはある』が、そのどれを選ぶかは、私の自由だというような事はありはしない。私が『あはれ』を求めて、これを得るのではない。むしろ(略)私は全く受身で、無力で、私を超えた力の言うがままになる事だ」と述べています。自問自答に引いた宣長さんと小林先生の文章は、近ごろの私が、見たり考えたりする時の軸となっています。

 

「無私」、「言霊」、「考える」、「精神を鍛えてよく生きる」、「人のまごころ」――塾に参加してから七年間、これらの言葉が私の学びの中心にありました。残念ながら、時空を超えて宣長さんに共感なさった小林先生の、とてつもなく繊細で深い思考の理解までには到底及びませんでした。しかし私は、この塾がなければ、人として生まれながら、人の心を知らずに生きて、見えぬものや聴こえぬものがあったかもしれないと、気づきました。そして、人の心は柔らかく揺らぐもので、だからこそ向こうからやってくる大きな感動や衝動を受け止めることができるし、受け止めきれない時には、自然と言葉にして手放すという生きる術を、生まれながらに持っているのだと知りました。

 

この自問自答が最後となりますので、ここに塾への謝辞を述べることをお許しいただければ幸いです。十二年前に茂木健一郎先生と池田雅延塾頭が意気投合されて、小林先生のお住まいであった鎌倉の家に塾を開き、今日に至るまで毎月、塾頭には、小林先生の記された言葉の意味を一つひとつ丁寧に、全身全霊をもって教えていただきました。言葉の意味を、私たちが頭で知識として理解するのではなく、心と体すべてをもって感ずることのできるように、作品執筆のご様子や編集者との会話、骨董や絵画を見る目、音楽を聴く耳、好んだお食事や味、それを創る芸術家や料理人への尊敬、日々の生活とご家族とのやりとり、その根底にある柔らかな心と優しさ――人生を大切に生きる人の「美を求める心」を、言葉を尽くして説いていただきました。

 

今日まで共に『本居宣長』を読み、小林先生の作品と生き方を好み信じて楽しんだ、塾に関わるすべての皆様に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

(了)