小林秀雄の『本居宣長』が、どれほどの「知性」を要求する書物であるか、入塾当初の私には見当もつかなかった。しばらくの間は、「知性」が意味するところを誤解さえしていた。
『本居宣長』を読み始めた頃、夥しい引用文や慣れない語彙の連なりに戸惑い、私は本文と格闘することを諦めた。解らないことが苦しくて書物を前にただ嘆息、古文漢文の知識不足などという言い訳を探し出したのが最初の数ヶ月。しかし、それでも最低限のことは学びたいと小林の示した文脈を懸命にたどるうちに、あるべき態度というものが段々と掴めてきたように思う。
『本居宣長』が読者に求める「知性」というのは、知識の蓄積のことではない。むしろ、浅薄な知識で理解の欠陥を補わぬよう、自制する力のことであった。読解に注ぐべき知的熱量を、ごまかさずに維持し続けることが重要なのだ。小林が書いたままに小林の言葉を読むこと、小林が引用したままに宣長の言葉を読むこと。一見容易に思われるが、これが鍛錬された知性なしには難しいのである。そういった意味で、この本は難解と言えるかもしれない。古語が多いから敷居が高いとか、直線的な語りでないから混乱するとか、いわゆる小難しさ、それは『本居宣長』の本質にはない。
こうして知的な読書を覚えはじめた私のうちに、宣長と同じように古典を読んでみたい、味わってみたい、という欲求がごく自然と湧いてきた。宣長が唱え小林が強調したように、学問とは「物まなび」、すなわち模倣することを根本とした。私は宣長に学びたいと思った。高校時代、文法と背景知識を暗記すれば点を取れる科目だった古典。大学進学後、国文学の授業でなんとなく目を通した「古事記」や「徒然草」の抜粋。それなりに楽しんで勉強していたが、どれも読書経験などとは到底呼べないものばかりだった。『本居宣長』を読んで、事実上初めて、積極的に古典を読みたいと思ったことになる。さて、どうやって取り掛かろう・・・。
大学でフランス文学を専攻した私は、テマティックなテクスト分析の正しさだけを信じていたが、それは卒業論文執筆時に行き詰まりを招いた。問題は、テーマ批評の方法論そのものではなく、それを体得しないままに信奉する自分自身の危うさにあった。上手く論理をつなげるためにどう材料を調理しようか、当時はそれしか頭になかったのだ。自分勝手なテーマ設定が第一、無限とも思われる言葉の海に溺れることが第二、そこから藁を掴んでテーマに戻ってくることが第三、それを繰り返すものの、仕舞いにはかき集めた藁がどうもまとまらず、強引な論理で縛ってひとまず完成。文学研究を志す学生が、テクスト分析と称してこれほど雑にテクストを掻き回すとは、醜態としか言い様がなかった。そんな時指導教授から、「畑を耕す」イメージを持つように、と助言を頂いた。意味付けに終始してはいけない、結論そのものは重要ではないのだから、テクスト全体を丁寧に耕しなさい、と。
以来「畑を耕す」は私のモットーであったのだが、『本居宣長』を読むにあたって、それを再考する時が来たように感じた。散りばめられた要点を拾い集めて合成させることが、どれほど無意味な作業であるか、読んでみて痛感したからだ。本当に豊かな読書経験というのは、テクストという広大な土壌に全身で関わることに始まる。遠くからぼんやり眺めるとか、余計なものを加えて放置するとか、一部分を取り出して何かを拵えるとか、そんな態度では本は何も語りかけてくれない。実際、引用文は読みながすだけ、地の文は文脈すらたどれず、という状態の頃、『本居宣長』という本は私には完全に閉ざされていた。小林の文章を本気で追いかけて初めて、宣長という人間を知る歓びを感じるようになった。
では、宣長に倣って古典作品を読むとは、具体的には何をすることなのか。「物のあはれ」が重要であるらしいことは分かるのだが・・・。ここでは端的な答えは求めないことにする。正確に言えば、答えが書いてある箇所を本文から探すのを目的としないことにする。先ずは、「畑を耕す」ように小林の文章に向き合いたい。
一読した時、「物のあはれ」というキーワードが、釈然としないまま宙に浮いた。例えば、高校現代文の試験風に「物のあはれとはなにか。○字以内で説明せよ」という聞き方をされたとして、答えられないのだ。《見る物、きく事、なすわざにふれて、情の深く感ずること》(『本居宣長』第14章、新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集p.149)と宣長の言葉が引用され「物のあはれ」が説明されるが、この引用を読んだからといって、「物のあはれ」が体得されるわけではない。そもそも、他の言葉では説明できない言葉なのだ。この点に関しては、第13章で小林が言及している。《彼は、この平凡陳腐な歌語を取り上げて吟味し、その含蓄する意味合の豊かさに驚いた。その記述が、彼の「ものゝあはれ」論なのであって、漠然たる言葉を、巧妙に定義して、事を済まそうとしたものではない》(同第13章、同p.134)。宣長は「物のあはれ」の意味合の豊かさに感動すればこそ、その感慨を無下にする空虚な説明を避けたのだろう。
宣長の思想によると、「物のあはれ」は「情が感く」という経験に支えられている。しかし、もし定義や固定観念が先行すれば、この経験は空洞化を免れない。「物のあはれ」の示すところを言葉で画定するとは、その豊かな意味の広がりを限定することであり、また豊かでありえた情の感きを無味にすることだ。したがって、頭の中で拵えた「物のあはれ」らしきものを探そうと書物を駆け巡っても、何も見つからないだろう。情が感く経験を抜きにして「物のあはれ」を理解しようなど、きっと無理な話なのだ。《よろずの事にふれて、おのずから心が感くという、習い覚えた知識や分別には歯が立たぬ、基本的な人間経験があるという事が、先ず宣長には固く信じられている》(同第14章、同p.152)と小林は言っている。
しかしここで、例えば「かなしい」といった情の感きの一つの発現、そしてその情趣のみを語っていては、おそらく宣長の探究した「道」には至らない。《阿波礼といふ事を、情の中の一ッにしていふは、とりわきていふ末の事也。その本をいへば、すべて人の情の、事にふれて感くは、みな阿波礼也》(同第14章、同p.150)と宣長は語る。「かなしき情」は、その情の働きの深さゆえに「物のあはれ」の最たるものだが、それを検討することと、「本」を知ることとは、別のことなのである。「末」から「物のあはれ」の断片を拾い集めても、その集合が「物のあはれ」の全体像になるとは思えない。
小林は、「心に思ふすぢ」にかなわぬ時に、意識が現れる、心が心を顧みるとした上で、こう言う。《心と行為との間のへだたりが、即ち意識と呼べるとさえ言えよう。宣長が「あはれ」を論ずる「本」と言う時、ひそかに考えていたのはその事だ。生活感情の流れに、身をまかせていれば、ある時は浅く、ある時は深く、おのずから意識される、そういう生活感情の本性への見通しなのである。放って置いても、「あはれ」の代表者になれた悲哀の情の情趣を説くなどは、末の話であった》(同第14章、同p.150)。生活感情の流れに身をまかせていればおのずから意識されるもの・・・なるほど、教養人と硬派な書物だけが知るはずの「物のあはれ」像は、私の空想であったということになる。「物のあはれ」は、私が思い描いていた以上に身近で切実なものであった。いや、切実さを欠いた「物のあはれ」など有り得ないと言い切ってよいかもしれない。生きた感情でなければ、意識が現れることもないのだから。
宣長が問題にしているのは、感情それ自体よりも、感情の働きを認識する力の方なのだろう。小林はそれを、《知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識》(同第14章、同p.151)《分裂を知らず、観点を設けぬ、全的な認識力》(同第14章、同p.152)と表現する。宣長の「物のあはれを知る道」の核心は、見事にこれらの言葉に集約されるように思われる。しかし、まだ実感が追いつかない。果たして自分は、揺れ動く生活感情の中で、この全的な認識力をどこまで研ぎ澄ませているだろうか。
情が感くという経験は、当人が軽んじれば、その鮮烈も充実も生命も薄れてゆくだろう。《問題は、ただこの無私で自足した基本的な経験を、損わず保持して行く事が難かしいというところにある。難かしいが、出来る事だ。これを高次な経験に豊かに育成する道はある。それが、宣長が考えていた、「物のあはれを知る」という「道」なのである》(同第14章、同p.152)と小林は言う。私はこの言葉を信じたいと思った。自分の内に「情の感き」が生じれば、それを離さずに掴んだまま、古典の世界に浸ってみたい。言葉を通して、「情の感き」を見つめてみたい。そんな読書経験の蓄積が、時を隔てた人々との精神の共有へ導いてくれたら、どんなに素敵だろう。ますます豊かな古典の世界が開けてゆくに違いない。
虚心坦懐に古典の世界に飛び込んでみること、古語に特有な音の質感も含め、作品を存分に味わってみること、それは『本居宣長』を読み始めた私が踏み出す第一歩として、相応しいだろうか。今はまだ、「物のあはれ」も、それを知るということも、霧に包まれている。近道なんてないのだから、時間がかかっても焦ることはないだろう。霧の晴れ間を探しつつ、宣長に学ぶ道を歩み続けることが出来たらと、願っている。
(了)