僕がはじめて小林秀雄の名前を知ったのは高校2年の冬です。2013年のセンター試験において小林秀雄の「鍔」が出題されたのですが、これは国語の受験業界に激震が走った事件でもありました。試験翌日の古典の授業で、先生がそのことについて熱心に語っていらした思い出があります。高校時代までの僕は部活オンリーで読書習慣など全く持ち合わせていませんでしたから、その時、小林秀雄という名前だけ知ってそれっきりでした。そういった文豪の名前は知ることはあれど実際に読むことはなく、この先そういう機会があることも、当時は考えられませんでした。
しかし僕はいま、運命の巡り合わせによって「小林秀雄に学ぶ塾」へ通っています。初めは小林秀雄旧宅という建物の荘厳な佇まい、集う雅びな大人の方々、そして小林秀雄を読むという塾のぴりりとした緊張感に19歳の青年は完全に気圧されていました。加えて塾頭と塾生の言っていることが全然理解できない。入塾当初に比べればいくらか見通しは良くなりましたが、まだまだ分からないことは多いです。しかし、塾に来るたび「分からないけど、何かすごそうなことを言っているぞ」というような直感と感動がないまぜになった感情を覚えるのです。これが塾に通うようになった大きな動機です。分かったとか分からないとかということも大切ではあるのですが、何よりも塾に来てその学びの空気を体いっぱいに感じることそれ自体が、とても意味のあることのように思えるのです。
この学ぶ塾にて塾生が行うことは、小林秀雄著の『本居宣長』を読んで「質問」することです。質問と言っても好きな食べ物は何かというようなことではありません。質問という言葉について、『小林秀雄 学生との対話』(新潮社)の中に次のような言葉があります。
「実際、質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますからね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。
だから諸君、正しく訊こうと、そう考えておくれよ。ただ質問すれば答えてくれるだろうなどと思ってはいけない。『どうしますか、今の、現代の混乱を?』なんて問われてもどう答えますか。質問がなっていないじゃないか。質問するというのは、自分で考えることだ。僕はだんだん、自分で考えるうちに、『おそらく人間にできるのは、人生に対して、うまく質問することだけだ。答えるなんてことは、とてもできやしないのではないかな』と、そういうふうに思うようになった。さあ、何か僕に訊いてみたいことはありますか」
はい、いの一番に手を挙げたくなる。この人なら、誰にも聞けず、胸に秘めていた質問に答えてくれそうだ。この学ぶ塾において、質問者は「うまく質問する」ために労を惜しまず作品に向き合い、質問を仕上げます。塾頭もその本気さに応じ、質問に関するお話をされる。質問の出来を激賞されることもあれば、手厳しい指導をされることもしばしばです。早い話が道場です。ある方は質問を一刀両断された後の懇親会で、「幸せな時間であった」と語っていらっしゃいました。歳を重ねるほど、自分に対して真剣になってくれる人がどれだけ貴重なことか。ありがたさが身に染みるという様子が伝わる言葉として印象的でした。この学ぶ塾は、小林秀雄の著書『本居宣長』を、小林秀雄自身が執筆に費やした時間と同じ、12年6ヶ月かけて読もうとしています。えらい計画なのですが、それだけ腰を入れて取り組む価値のある作品なのです。質問道もそれだけ奥が深いのです。
僕は、『本居宣長』の文中に出てくる「誦習」という言葉をめぐって質問を作りました。「誦習」とは、簡単に言うと「古事記」の編纂を勅命した天武天皇が、臣下である稗田阿礼に「古事記」の元となる資料を読んで聞かせ、暗誦させたことを表しています。この天武天皇の唱えたお言葉が「古事記」の元になったのです。阿礼が暗唱するお言葉を、文字に起こして「古事記」という本の形にまとめた人物が太安萬侶であり、その安萬侶が「古事記」編纂の経緯について記述した「古事記序」において、「誦習」という言葉をただ一度だけ使っています。「古事記」の研究をした本居宣長がこの言葉に着目し、その宣長がなぜ「誦習」を大切にしたのかということに関して、小林秀雄は『本居宣長』の文中で丁寧に語っています。この小林秀雄の言葉を読んで感動したことが僕の質問の出発点です。『本居宣長』を繰り返し読むことで、この言葉を中心に置いた全体像はある程度見えてきました。しかし、肝心要の「誦習」という言葉そのものに対するイメージが自分の中でまだ摑めていないところがあって、質問としてはいまいちピンボケしているような状態だったのです。小林秀雄で分からないなら本居宣長に直接聞くしかないな。こうして『古事記伝』を開きました。
そして『古事記伝』を読みこんでみて、最終的に出来上がった質問が以下の通りです。
――宣長が稗田阿礼の「誦習」を大切にしたことについて考えたいと思います。「古の実のありさま」とも言うべき、古言の世界は、会話の上に生きているものであり、それでもなんとか文字にして後世に伝えたく、苦心した天武天皇は、まず阿礼の内に、自身の中にある古言をうつし、阿礼という人の口から発せられた言葉を、その姿そのままに書きうつさせようと考えた。阿礼は「誦習」によって、天武天皇が保持しつづけていた古来の言語世界に習熟した、すなわち阿礼の口から出た言葉は、天武天皇の唱えた貴き古語そのものであり、そのことを伝える太安萬侶の言葉を、宣長はまっすぐに信じたのではないでしょうか。……
ご覧いただいたように、質問というのは、長い時間をかけて本と向き合うことで、自分の感動を認識する経験であります。「小林秀雄に学ぶ塾」において、質問は、ただ問うだけでなく「自問自答」という形になるまで練り上げる必要があり、この自答にその認識の練度が表れます。この認識とはつまり自分を知るということにほかなりませんね。身の周りの全ての物事が自分を知るきっかけになるとは思うのですが、自分がどんなことに感動し、どんなことを考えるのか、質問とは長い時間をかけて、己を深く知る経験でもあります。当初は思いもよらなかった感動が突然訪れ、そして感動している自分に出会う。己を見つめ上げたと言えるまでに、この認識を極限まで研ぎ澄ませた質問が美しい。小林秀雄が「本当にうまく質問ができたら、もう答えはいらない」と語るのは、真の言葉なのです。
この、塾での質問は、非常に時間と労力を要する根気のいる作業です。自分の質問が近づくと1か月前から気が重いです。そしてこの塾は、カルチャーセンターではありません。明日から役立つ生活の知恵を教えてもらうというような、そんな即効性もお手軽さも期待しない方がよいです。それでも人が集うのです。学ぶ塾にはコミュニティとしての一面もあり、そこで得られる恩恵もあることは確かですが、それが一番の理由では継続して通塾できません。何よりの理由として、現代において「質問」という行為を通じ、好きで学問をやっているという、その純粋な営みに魅力を感じる人が多いからこそ、塾の今日があるのだと思います。世代も背景もばらばらな人間がその道場に通って勉強する。まさに学ぶ塾は「人生の鍛錬」の場であると実感しております。
(了)