「徴」という語は、小林秀雄『本居宣長』で描かれる言語の力、その謎の極点に現れる。本居宣長という人物をめぐって展開する大きな思想劇の中、言語が本来持つ表現力の謎に迫る一幕で、宣長自身の語であることを断った上で初めてこの語が登場する。
“有る物へのしっかりした関心、具体的な経験の、彼の用語で言えば、「微」としての言葉が、言葉本来の姿であり力であるという事だ。見えたがままの物を、神と呼ばなければ、それは人ではないとは解るまい。見えたがままの物の「性質情状」は、決して明らかにはなるまい。直かに触れて来る物の経験も、裏を返せば、「徴」としての言葉の経験なのである。両者は離せない。どちらが先きでも後でもない。”
(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集p.44 15行目~)
“言語共同体を信ずるとは、言葉が、各人に固有な、表現的な動作や表情のうちに深く入り込み、その徴として生きている理由を、即ち言葉のそれぞれの文に担われた意味を、信ずる事に他ならない(中略)この言語の世界の、感得されてはいるが、まことに説明し難い決定的な性質を、宣長は、穏やかに、何気なく語っている”
(同p.49 6行目〜)
一般に「徴」という語は、目に見えない物事のあらわれ、目には見えたとしてもたった今眼前には無い物事の表現、という意味で用いられる。だが私は、ここで使われている「徴」という言葉には、それ以上の、特別な意味が込められているように感じる。
ふたたびごく一般的な考え方を持ちだすと、言葉には「意味」と、それを担う「形」とがある。「形」は、具体的には文字や声のことだ。文字は元を辿れば声を記録したものであるから、声を発する行為が本来である。声に限らず、表情や体の動きにも内面があらわれており、これらも同じく一種の言葉だ。それらすべての行為全体が「形」であり、それに伴って伝わる心のあり様が「意味」である。
上記の引用の中で言われているのは肉声としての言葉だ。文とは、音の上げ下げや強弱、抑揚などの工夫によってつくられる声の形、またそれに伴う行為の総体のことだ。つまり言葉の「形」である。例えば、「おはよう」という単語は同じであっても、笑顔であるか下を向いているか、高い声で言うか淡々と抑揚なく言うかなどによって、それぞれが表す心のあり様は違う。伝えようとする行為全体がすなわち文なのだ。「おはよう」という、文字にしてしまえば同じ4つの音でも、表し方を工夫することで、無限に違う「意味」をやりとりしているのである。あらためて考えてみればとても不思議なことだ。我々は何をもって言葉を「同じ」「違う」と判断しているのか、そのこと自体も不思議だが、今回そこまで触れることは叶わない。
上記の引用文がある第34〜35章にかけて、『古事記』における神の名は、古人たちの心の「徴」であることが言われている。生活の裡で出会う物事の不思議さ、宣長の言葉で言う「可畏」さに出会って心が動き、なんとかその動揺を見定めんとする彼等の努力の跡が、神の名にあらわれているのだ、と。神代記の神々の名は、長い時を経て口承で伝わってきた肉声である。それぞれの神の名がもつ肉声の文が、その意味を担っている。宣長は35年かけてこの物語を愛読し、残された「徴」から肉声を聞き、その身ぶりまでを見ていた。『本居宣長』全50章の中に、宣長自身が「徴」という語を使った文章の引用はないが、『本居宣長補記Ⅱ』の締めくくりに次のような言及がある。
“彼(本居宣長)の熟考された表現によれば、水火には水火の「性質情状」があるのだ。彼方に燃えている赤い火だとか、この川の冷い水とか言う時に、私達は、実在する「性質情状」に直かに触れる「徴」としての生きた言葉を使っている(「有る物の徴」という言葉の使い方は「くず花」にある)。歌人は実在する世界に根を生やした「徴」としての言葉しか使いはしない。”
(同p.389 7行目〜)
『補記Ⅱ』の後半3〜4節は、本編50章のうち、言葉を主題とする第32〜39章の、テンポの速い変奏曲のような構成だ。その結語の直前に上の一節がある。ここに到って私には、この『補記Ⅱ』が、小林がみずから『本居宣長』を再読し、言葉について考えを深めるうち、ふたたび自ずと創作に誘われて誕生した作品のように思われた。その「くず花」の中で、「徴」という語はどのように使われているか。
“星の始をいはざるは、返て神代の傳え事の正実なる徴とすべし”
(筑摩書房版『本居宣長全集』第8巻 p.131)
「くず花」は、『古事記伝』の中の『直毘霊』に対する市川匡の論駁『末賀能比連』への返答として書かれた。論争の元となった『直毘霊』の中で「徴」は次のように現れる。
“天津日嗣の高御座は、(中略)あめつちのむた、ときはにかきはに動く世なきぞ、此ノ道の霊しく奇く、異國の萬ヅの道にすぐれて、正しき高き貴き徴なりける”
(筑摩書房『本居宣長全集』第9巻 p.56)
これら、宣長自身による「徴」の遣い方は通常の意味合を出ないように見えるが、宣長の全文章を通読味読している小林は、通常の意味にとどまらない、深い心のうちを読み取っているようだ。先に挙げた『補記Ⅱ』の文章の直前で、言葉の力だけが成しうる「飛躍」について、次のように語られる。
“欲から情への「わたり方」、「あづかり方」は、私達には、どうしてもはっきり意識して辿れない過程である。其処には、一種の飛躍の如きものがある。一方、上手下手はあろうが、誰も歌は詠んでいる。一種の飛躍の問題の如きは、事実上解決されているわけだ。これは、大事なことだが、宣長にとって、難題とは、そういう二重の意味を持ったものであった。それは、観察の上で、直知されている、欲から情への飛躍という疑うことの出来ない事実が、そのまま謎の姿で立ち現れたという事であった。”
(新潮社刊『小林秀雄全作品』第28集p.367 5行目〜)
言葉の謎の核心をなしているこの「欲から情への飛躍」は、詠歌においては解決されているという。その飛躍を今まさに行っている歌人の胸の内が具に描かれた「あしわけをぶね」の重要な一節が続く。
“「詠歌ノ第一義ハ、心ヲシヅメテ妄念ヲヤムルニアリ、然シテソノ心ヲシヅムルト云事ガ、シニクキモノ也。イカニ心ヲシヅメント思ヒテモ、トカク妄念ガオコリテ、心ガ散乱スルナリ。ソレヲシヅメルニ大口訣アリ。マヅ妄念ヲシリゾケテ後ニ案ゼントスレバ、イツマデモ、ソノ妄念ハヤム事ナキ也。妄念ヤマザレバ歌ハ出来ヌ也。サレバソノ大口訣トハ、心散乱シテ、妄念キソヒオコリタル中ニ、マヅコレヲシヅムル事ヲバ、サシヲキテ、ソノヨマムト思フ歌ノ題ナドニ、心ヲツケ、或ハ趣向ノヨリドコロ、辞ノハシ、縁語ナドニテモ、少シニテモ、手ガヽリイデキナバ、ソレヲハシトシテ、トリハナサヌヤウニ、心ノウチニウカメ置キテ、トカクシテ、思ヒ案ズレバ、ヲノズカラコレヘ心ガトヾマリテ、次第ニ妄想妄念ハシリゾキユキテ、心シヅマリ、ヨク案ジラルヽモノ也。サテ案ズルニシタガツテ、イヨゝゝ心スミコリテ、後ハ三昧ニ入タル如クニシテ、妄念イサヽカモキザヽズ、食臥ヲワスルヽニイタリ、側ヨリ人ノモノイフモ、耳ニイラヌホドニナル也。コレホドニ心上スミキラズンバ、秀逸ハ出来マジキ也。シカルヲ、マヅ心ヲスマシテ後、案ゼントスルハ、ナラヌ事也。情詞ニツキテ、少シノ手ガヽリ出来ナバ、ソレニツキテ、案ジユケバ、ヲノヅカラ心ハ定マルモノトシルベシ。トカク歌ハ、心サハガシクテハ、ヨマレヌモノナリ」(「あしわけをぶね」三七)
言葉というものの謎を見詰め、これをどう説いたものかと、烈しく言葉を求めているところに、「口訣」という言葉が閃き、筆者に素早く捕えられているところが面白い。”
(同p.367 13行目〜)
ここに描かれているのは、動揺にとらわれた心を、何とかしずめようとする、意識的な行為である。欲に突き動かされている間は受身だが、言葉を得ようと努力するうちに心は鎮まり、歌という形となる。こうして整えられた言葉が、「徴」としての力を持つ。つまり「徴」は単なる「あらわれ」ではなく、努力の結果生み出される「表現」であるということだ。第34〜35章では、神の名について「徴」という語が使われていたが、ここでは同じことが詠歌について言われる。神の名を得る言語の力は、歌をかたちづくる力と同じ、「徴」を生み出すはたらきなのだ。小林は言葉を継ぐ。
“言葉の発生を、音声の抑揚という肉体の動きに見ていた宣長としては、私達に言語が与えられているのは、私達に肉体が与えられているのと同じ事実と考えてよかったのであり、己れの肉体でありながら、己れの意のままにはならないように、純粋な表現活動としての言霊の働きを、宰領していながら、先方に操られてもいる、誰もやっている事だ。己れの生きている心を語ろうとする者は、通貨の如く扱われている既製の言語を、どう按排してみても間に合わない事を、本能的に感じているから、おのずから生きた言語の源流に誘われ、言語との、そういう極めて微妙な関係が、知らぬ間に結ばれるのである。その場合、自分の感動の動きを現に感じている事と、これを言葉にして表現する事とは離す事が出来まい。それは、この上なく親身な、たった一つの言語経験の表裏であろう。”
(同p.372 10行目〜)
「自分の感動の動きを現に感じている事」と、「これを言葉にして表現する事」は、音声の抑揚を工夫するというひとつの行為の表裏だ。先に言葉の意味と形という一般的な見方を持ち出したが、前者が意味に、後者が形に、やがて分かれて固定されてゆくとしても、はじめは分割できないひとつの行為なのである。
あしわけをぶねの「妄念ヲヤムル」大口訣のくだりは、本編では第36章にその一節が引用されている。その直後の一文を引用したい。
“自己認識と、言語表現が一体を成した、精神の働きまで遡って、歌が考えられている事を、しっかり捕えた上で、「人に聞する所、もつとも歌の本義」という彼の言葉を読むなら、誤解の余地はない。「人に聞する所」とは、言語に本来備わる表現力の意味であり、その完成を目指すところに歌の本義があると言うので、勿論、或る聞いてくれる相手を目指して、歌を詠めというような事を言っているのではない。なるほど、聞く人が目当てで、歌を詠むのではあるまいが、詠まれた歌を、聞く人はあるだろう。という事であれば、その聞く人とは、誰を置いても、先ず歌を詠んだ当人であろう。宣長の考えからすれば、当然、そういう事にならざるを得ない。”
(同p.59 13行目〜)
最後にある「宣長の考え」とは、先に挙げた「大口訣」のことだ。この飛躍こそ、言葉の謎の極みである。端的に言えば「認識」のはたらきだ。認識という行為はまずもって、言葉という「徴」を得る努力なのである。既に完全な言語組織を持っている私達の日常では、目や耳があれば見える、聞こえる、と思いがちだがそうではない。歴史の始めを生きた古人達にとって、言葉を得る努力が即ち認識する行為であった。今も本質は変わらない。
声を発するとき、同時に私はその声を自分で聞く。発する行為と、受け取る行為は同時である。実際に声を出さずともそれは同じだ。このとき私は両方の「割符」をどちらも持っている。「割符」とは、ふたつの物が、もともとひとつのもののようにぴたりと合う物のことだ。コインなどを割って作り、後日合わせることで、物事の証明として使われた。声を発し、自ら聞く。発する側と受け取る側、ふたつの「割符」を合わせる努力が結実してはじめて、言葉という「徴」が生まれる。「表現について」(同第18集p.29〜)などにその詳細がある。宣長の言う「妄念ヲヤムル」大口訣は、まさにこの行為を指している。この努力の末に、言葉は「徴」としての力を持つ。古人の心を実証などできないが、小林はそこまで言っているように思われる。
(了)