まずは、今夏猛威を振るった台風と、北海道胆振東部地震によって亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表し、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。
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今号は、大島一彦さんに特別寄稿いただいた。日本画家である地主悌助の画業について語る小林秀雄先生の言葉が、庄野潤三の文業について語る言葉のように読めた、という直観は、ついに小林先生が庄野潤三について語った言葉の発見に至る。大島さんによれは、ペンを手に執るや、これまで心の奥底にしまってきた直観が次々と去来し、気付けば擱筆していたという。これこそ小林先生のいう「無私なる精神」か、と静かに述懐されていた姿が印象的だった。
庄野潤三は小説家である。昭和29(1954)年に書いた「プールサイド小景」によって芥川賞を受賞、同35年には、大島さんの文中にもあるように「静物」で新潮社文学賞を受けた。他に代表作としては、長篇「浮き燈台」や「夕べの雲」(読売文学賞)などがある。
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「巻頭随筆」を寄せられた木村龍之介さんは、シェイクスピア作品の演出家である。木村さんは、死んだはずのシェイクスピアに呼びかける…… 返事はない。広島の街で、死者の言葉に耳を傾ける…… 何も聞こえない。
そして再び、演出家として舞台に戻り、彼らに呼びかける…… それは、死者たちが残した言葉に込められた「ふり」を信じることでもあるのだろう。
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「『本居宣長』自問自答」には、岩田良子さん、渋谷遼典さん、溝口朋芽さんの力篇が揃った。
岩田さんは、七月、本塾の会場である山の上の家で口頭質問に立った際、「木の絵を描いてみてください」という全員ワークから始めた。それは、私たちがふだん、いかに自分の眼で物を見ていないかを、まざまざと痛感させられる経験であった。水墨画を学んでいる岩田さんの眼は、光琳、乾山の作品へ、さらにはそこから、「論語」を先入観にとらわれず、画家と同じように自分の眼で見つめた仁斎へと注がれる。
渋谷さんは、『本居宣長』という大きな山の登山道で、脇の小径のような言葉を見つけた。その「文の流れに耳を澄まし、言葉が読む者を自らの内に招き入れてくれるのを待」ってみると、「言葉」と「歴史」と「道」が三位一体となって織りなされる、荻生徂徠や本居宣長の、学問へ向かう態度の根本が見えてきたと言う。
溝口さんは、『本居宣長』に頻出する「発明」という言葉に注目している。その用例を追っていくなかで、「発明」が、「実験」や「冒険」という言葉と共鳴することを見出す。そこで溝口さんは、「発明」に言及するたびに小林先生の強い思いが、「ふり」となって文章に現れてくることを直覚した。そこには、『本居宣長』を読む私たちの「冒険の扉」が開かれている。
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「美を求める心」の亀井善太郎さんは、演奏家としての経験も豊富で、今は聴衆としても会場に頻繁に足を運んでいる。前述の岩田さんが、眼を研ぎ澄ますことに注目したのと対照的に、耳を澄ますという感覚について身をもって思索を深めている。亀井さんが会場での生演奏にこだわり続けているのは、「言葉にならないもの」を確と聴くためなのであろう。
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「人生素読」には、熊本県在住の本田悦朗さんに寄稿いただいた。小林先生の「常識について」という文章を踏まえ、先生が思いを込めて使われる「常識」というものと、「言葉」というものの働きが重なり合う様について思いを馳せておられる。長きにわたり、先生の作品を丹念に読み込まれてきた本田さんならではの考察に瞠目しつつ、小林先生が繋いで下さったご縁に心から感謝したい。
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「『本居宣長』はブラームスで書いている」という小林秀雄先生の言葉を主題として、本誌創刊号から15回にわたって連載を続けてきた杉本圭司さんの「ブラームスの勇気」が、今号をもって完結を迎えた。新生面を拓く小林秀雄論として毎号愉しみにしている、との読者の方の声も多く聞いていただけに、さびしくなると思われる向きも多いことと察するが、近々、新潮社から単行本として出版される。ぜひお手にとって、一冊の本としてもお愉しみいただきたい。
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「死んだはずの彼に呼びかける」という木村龍之介さんの巻頭随筆を読んでいて、思い出したことがある。以前、広島塾(池田塾in広島)の会場になっていた合人社ウェンディひと・まちプラザは、市立袋町小学校の敷地の中にある。爆心地に近かったため大きく被爆し、避難所として使われていた校舎の一部が、今でもその時のままに資料館として保存されている。その壁面には、身内や自身の消息を確認し合う伝言の筆跡も残っている。過酷な状況下にも拘わらず、その時間を必死に生きた人たちの手によって、チョークで丁寧に書かれた端正な文字、その一言一声に、本誌読者の皆さまにも触れていただけたらと切に希う。
(了)