編集後記

坂口 慶樹

今年は、全国的に例年より遅い梅雨明けとなった。

そんな時季の刊行を迎えた今号は、今や本誌の顔とも言える人気ページ、荻野徹さんによる「巻頭劇場」で幕を開ける。今回の対話劇では、いつもの男女四人が、契沖、仁斎、徂徠、真淵、そして宣長という「豪傑くん」達の豪傑たる所以、その本質に迫る。本誌読者の皆さんも、その対話の一員として参加するような心持ちで読み進めていただければと思う。

 

 

「『本居宣長』自問自答」は、鈴木美紀さんと森本ゆかりさんが寄稿された。

「小林秀雄に学ぶ塾」のベテランメンバーの一人で、毎度斬新な視点に目を開かされる鈴木さんが今回眼を付けたのは、宣長さんの書斎と奥墓おくつきの位置関係である。思索を深めるにつれ、鈴木さんの眼に映じてきたものは、歴史の流れを遡り源流に向かって独り小舟を漕ぐ、宣長さんの姿であった……

広島県から鎌倉の本塾に通われている森本さんは、初めての「自問自答」を経験された。森本さんが「本居宣長」と向き合うなかで直覚した宣長さんの「好・信・楽」を極めるという生き方の本質と、自らが鍼灸師として、また人間としていかに生きるべきかという自問自答が重なり合う。自らの「好・信・楽」は本塾そのものだと言い切る森本さんの姿に、初心の大事を改めて思い出した。

 

 

「人生素読」には、「小林秀雄に学ぶ塾in広島」などに参加されている森原和子さんが寄稿された。日々の生活経験は言うまでもなく、中学校への通学の道すがらお父さまから聞いた「文字を介さない」お話をはじめ、四十年間続いている読書会の経験、『本居宣長』や古典の精読など、森原さんの人生への向き合い方に背筋が伸びる思いがする。と同時に、そんな森原さんが「確かな手ごたえ」を感じたという「小林秀雄に学ぶ塾」の一員であることを、ありがたいとつくづく思った。

 

 

音楽をよく聴く人には、この一曲に如くはなし、という思い出の曲があるようだ。「もののあはれを知る」に寄稿された櫛渕万里さんにとっては、モーツアルトの「ピアノ四重奏曲第1番ト短調」がそれである。小林秀雄先生を結節点として、お父様とモーツアルト、そして櫛渕さんが毎日詠んでいる和歌が響き合う。その調べはト短調である。

 

 

森本さんのエッセイの冒頭に、小林秀雄先生が、当時編集担当だった池田雅延塾頭に言われた「ユニバーサルモーター」の話が紹介されている。

これを機に、小林先生が「ユニバーサルモーター」という言葉で具体的に何を仰りたかったのか、池田塾頭にあらためて訊いてみた。

先生がこの話を塾頭にされたのは昭和52年の暮、『本居宣長』が単行本として出たばかりの頃だった。先生は森本さんが書いているような話を唐突にされると、すぐにまた別の話題に移った。しかし塾頭は、先生は暗にこう言われたのだと思ったという。すなわち、僕は『本居宣長』を、ユニバーサルモーターが造られるのと同じ気持ちで書いた、読者はみな人生という大海を航海している、その大海のどこかで心の帆柱を折って途方に暮れることもあるだろう、そういうとき、とにもかくにも読者が人間としての港へ帰り着くためのモーターとして、スピードは出ないが絶対に壊れないモーターとして、『本居宣長』を積んでいてくれればうれしい……。

池田塾頭が聞き取った小林先生の思いを胸に、今号のエッセイを読み直してみると、荻野さん、鈴木さん、櫛渕さん、そして森原さんも、人生航路のヨットにしっかりと『本居宣長』を積んでいることがありありと感じられる。そして森本さんもまた、今まさに積み込み完了、である。

(了)