9月末に開かれた「小林秀雄に学ぶ塾」に、以前、本誌にも寄稿されている熊本在住の本田悦朗さんから、うれしい秋の実りが届いた。段ボールを開けると、でっぷりと実った栗が、艶やかに輝いていた。鎌倉の山の上の家に、熊本の山の香りがふわりと広がった。
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「巻頭随筆」に寄稿された大江公樹さんは大学院生である。福田恆存氏の文章を読んで、自らの「發生の地盤」とは何か、と氏に問いかけられた。さらに、小林秀雄先生の文章を読んで、自らの問い方の不徹底を教えられた。その後も小林先生に学び続けるうちに、福田氏と小林先生が、同じように保持してきた姿勢に気付かされたという。その姿勢とはいかに?
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「『本居宣長』自問自答」は、安田博道さんと橋岡千代さん、そして橋本明子さんが寄稿された。
「辞ハ事ト嫺フ」、「之ヲ思ヒ之ヲ思ツテ通ゼズンバ、鬼神将ニ之ヲ通ゼントス」…… 安田さんが、荻生徂徠の言葉を追うなかで感得したのは、言葉に対する強い信頼の迸りである。この信頼は、徂徠から宣長へしっかりと受け継がれた。安田さんは、さらに自問を加える。言葉への信頼は、小林先生こそが最も強く受け継いだのではなかったかと。
「批評家の系譜」というエッセイで、橋岡さんが注目したのは「(宣長という)大批評家は、式部という大批評家を発明した」という小林先生の言葉である。先生が「大批評家」という意図は、宣長さんが直観力、洞察力、認識力を駆使したところにあると見る。そこから橋岡さんの眼に映じてきたものは、宣長に近代批評の父サント・ブーヴを重ねる小林先生の姿であった。
山の上の家での質問を終えた橋本さんは、宣長が学んだ、伊藤仁斎と徂徠がいう「俗」なるものをわが物とすべく、小林先生の「学問」、「天という言葉」、そして「徂徠」という文章を紐解いた。さらには、松坂・魚町にあった当時の本居家の情景を思い出してみた、すると、そんな「俗」のなかから宣長が紡いだ言葉が、その色彩が、鮮やかに浮かび上がってきた。
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有馬雄祐さんは、人工知能にとって、小林先生が言うところの「常識」を働かせることこそが難しいという。私たちが長い時間をかけて築きあげてきた、俊敏でやわらかい「常識」の源流にまで目を向けると、そこには「独特の直観とでも言うべき私達の感覚」に行き着く。有馬さんに、大いなる「考えるヒント」をもらった。
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「表現について」は、作曲家の桑原ゆうさんが、本年7月に開催された個展について寄稿された。主題は、演奏会が終わるたびに桑原さんが陥る「ぽかん」という奈落についてである。その正体を突き詰めてみると、作品が「独自性を持った生き物」のように思えてきたという。私は個展会場に足を運び、その作品達に身をゆだねてみた。桑原さんが、小林先生の「本居宣長」を熟読し、わけても「物のあはれに、たへぬところより、ほころび出て、をのずから文ある辞が、歌の根本」という宣長の直観を糧として作曲されてきたことが、ひしひしと感じられる演奏会であった。
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本誌に「ブラームスの勇気」を連載されていた杉本圭司さんの初めての著書『小林秀雄 最後の音楽会』が、九月末に新潮社から刊行された。単行本として改めて手に取ってみると、またひと味ちがう「すがた」を感じた。本誌読者の皆さんには、杉本さんが十四年という歳月をかけた実りを、その精魂と情熱とともに、ぜひお手もとで感じていただきたい。
加えて、新潮社の雑誌『波』(2019年10月号)には、当塾にもご縁の深いヴァイオリニストの矢部達哉さん(東京都交響楽団ソロ・コンサートマスター)が、杉本さんの新刊について寄稿されている(「私はあなたに感謝する」)。矢部さんの穏やかな語り口は、あたかも珠玉の演奏を聴くかのようだ、あわせてお愉しみいただければ幸いである。
(了)