令和二(2020)年が始まり、本誌も創刊後3回目の春を迎えようとしている。
昨年の12月には、紅葉が盛りを迎えていたなか、小林秀雄に学ぶ塾の有志で、小林先生にゆかりの深い神奈川県奥湯河原の温泉宿「加満田」を訪れた。今号の巻頭随筆には、その幹事役を務めた森康充さんが、紀行文を綴っている。先生が愛された「年越しの宿」の雰囲気を、行間から滲み出るものも含め、汲み取っていただければ幸いである。
*
「『本居宣長』自問自答」は、松広一良さん、冨部久さん、小島奈菜子さんが寄稿された。
松広さんが着目したのは、小林先生が本文(第27章)で、紀貫之に対して使っている、二つの「批評家」という言葉である。松広さんも言及している通り、本誌2019年9・10月号の橋岡千代さんによるエッセイ「批評家の系譜」では、小林先生が、本居宣長と紫式部を「批評家」と呼んだ趣旨が論じられており、この両篇を併せ読まれることで、先生が「批評家」と評する際の、その微妙なトーンの違いを味わっていただければと思う。
冨部さんは、小林先生が言う歴史を味うことと、宣長が言う歌を味うことの違いとともに、歴史と歌を、それぞれ「思い出す」ということに関し、その行為において共通するものについて思いを馳せている。宣長の「うひ山ぶみ」を熟読してみた冨部さんの眼には、小林先生の「歴史を知ることは、己を知ることだ」という言葉に繋がるものが映じてきた。
小島さんが注目したのは、古人達が使っていた、物と一体となった言葉である。彼らは「徴」としての言葉の力により、目には見えない神の姿を捉えた。言葉は、その機能である「興観の功」により、新しい意味を生み出していくとともに、物の「性質情状」を心中に喚起し、言霊の世界を作り上げる。その先に、ベルクソンの後ろ姿が見えてきた。
*
数学者である村上哲さんは、小林先生が「本居宣長補記 Ⅰ」の最終段落において言及している「虚数」という言葉の使いように驚いた。本居宣長が「暦法というものを全く知らぬ、人間の心にも、おのずから」備わっている暦の観念である「真暦」すなわち、古人なら誰でも行っていた「来経数」という「わざ」につき考え尽くしたところに関する件である。その感動を、村上さんは自らの「ウタ」へと昇華させた。
*
「人生素読」に寄稿された飯塚陽子さんは、現在、パリの大学院で文学を学んでいる。生の鋭い感覚と緩慢な死の気配とを同時に感じさせるその街は、墓参の日、濃霧に包まれていた。そこに眠っているのは、早逝した女性ヴァイオリニストである。彼女の奏でる音、「生きた何か」に救われてきた飯塚さんは、こう自問自答する。文学には、霧に沈んだ精神を掬い上げ、その精神に翼を与えることは、出来ないのだろうか……
*
冒頭で触れた、旅館「加満田」のある湯河原温泉の歴史は古い。箱根火山の一部をなす湯河原火山由来の温泉であり、「万葉集」に、
足柄の 土肥の河内に 出づる湯の 世にもたよらに 子ろが言はなくに
と詠まれている。「土肥の河内」とは、今日の湯河原町の湯河原谷である。この歌は、巻第十四「東歌」に収められた相聞歌、すなわち恋心など個人の情を伝える歌であるが、歌意は、足柄の湯河原谷に湧きゆらぐ湯のように、ちらっとでも不安げにゆらぐ気持ちをあの娘が漏らしたわけでもないのにな……であり、まさに恋する「あずま男」の切ない気持ちが詠まれている。そんな「あずま男」の揺れ動く心持ちを思いながら、湯けむり立つなか浸かった「加満田」の朝湯は格別であった。
*
ところで、「万葉集」といえば、冨部久さんも紹介している通り、鎌倉の「小林秀雄に学ぶ塾」とは別に、東京・神楽坂の「新潮講座」において、池田雅延塾頭による「『新潮日本古典集成』で読む萬葉秀歌百首」と題した講座が、2020年4月より新たに始まる。小林先生の本の編集担当と並行して同「集成」の「萬葉集」も担当し、15年間にわたり5人の校註の先生方による註釈討議にも同席し続けた池田塾頭ならではの話に、大きく期待が高まっている。詳しくは、新潮講座のホームページを参照されたい。
(了)