小林先生、何をご覧になっているのですか。あっ、急に話しかけて、申し訳ありません。先生が何かを食い入るように見ておられるので、気になってしまいまして。「自分で見よ」と、はい。
大勢の人がいます。ずいぶんにぎやかですね、みんな楽しそう。何かの宴でしょうか。大きな声で何か言っています。ずいぶん昔の人たちですね、狩猟民でしょうか。野生に近いようなギラギラとしたものを感じます。でも一人だけ、近世風の着物を着た、でもお侍とはちょっと違いますね、あの男の着物、長袖というのですか、すると医者。えっ、もしかして宣長さんですか。
ほかの人たち、上古の人々とでもいうのでしょうか。でも、みんな、聡明そうな目をしています。考えてみれば当然ですね。上古の人々こそは、大自然の過酷に耐え、またその恵みに与かって、自力で生き抜かなければならなかったのですから。
<<宣長は、自分等を捕らえて離さぬ、輝く太陽にも、青い海にも、高い山にも宿っている力、自分等の意志から、全く独立しているとしか思えない、計り知りえぬ威力に向かい、どういう態度を取り、どう行動したらよいか、「その性質情況」を見究めようとした大人達の努力に、注目していたのである>>(1)
上古の人々は、大自然の猛威と豊穣とを、何とか理解しようと、文字通り命がけだったのですね。
<<彼等は、言うに言われぬ、恐ろしい頑丈な圧力とともに、これ又言うに言われぬ、柔らかく豊かな恵みも現している自然の姿、恐怖と魅惑とが細かく入り混じる、多種多様な事物の「性質情状」を、そのまま素直に感受し、その困難な表現に心を躍らすという事になる>>(2)
あの人たちの言葉、いえ、言葉を話しているのでしょうか。叫んでいるような、うめき声のような。歌っているようにも聞こえます。「本当にそう思うのか、耳を澄ませよ」と。ううむ。ううむ。不思議だ。何一つ分かるはずがないのに、何かが胸に伝わってきます。
<<これは、言霊の働きを俟たなければ、出来ないことであった。そして、この働きも亦、空や山や海の、遥か見知らぬ彼方から、彼等の許に、やってきたと考えるほかないのであった>>(3)
それにしても、伝わる、というか、なんとなく分かることが不思議です。きっと宣長さんには、彼らのうれしさ、悲しさ、誇らしさ、悔しさのようなものが、伝わってくるのでしょう。それだけではない。上古の人々は、いかにして自然の猛威を生き抜き、自然の恵みに与るか、そのために、五感を総動員して冷徹に外界を観察し、慎重に判断し果断に行動しているに違いない、そういう真剣さを感じ取ることができたのでしょう。
<<「伝説」は、古人にとっては、ともどもに秩序ある生活を営む為に、不可欠な人生観ではあったが、勿論、それは、人生理解の明瞭な形を取ってはいなかった。言わば、発生状態にある人生観の形で、人々の想像裡に生きていた>>(4)
こんなふうにして、上古の人々は、世界を理解しようとしていた。そしてそれを後世に伝えてくれたからこそ、私たちの人間としての生存がある。上古の人々が、生物としてのヒトの生存と自然界のかかわりに、初めて秩序を与えようとしたそのとき、人間にとっての生活というものが生まれた、そういうことでしょうか。
それが伝説という形をとった。きっと、途方もない時間をかけ、無数の人々のかかわりの中で、少しずつ出来上がったのでしょう。
<<思想というには単純すぎ、或いは激しすぎる、あるがままの人生の感じ方、と言っていいものがあるだろう、目覚めた感覚感情の天真な動きによる、その受け取り方があるだろう、誰もがしていることだ>>(5)
そうか、あるがままの感じ方か。確かに僕らは概念を振り回してしまいます。何々であると認識するとか、此々であると判断するには証拠が足りないとか。でもそれは、誰かの作った概念という道具を介してものを見ているだけでしょう。
単純であるがゆえに激しい感じ方、借り物の概念で曇らされていない目覚めた感覚、そういう受け取り方こそが、誰もがしているはずの、つまり人間本来の、外界の受け取り方だというわけですね。
<<其処で、彼等は、言うに言われぬ、恐ろしい頑丈な圧力とともに、これ又言うに言われぬ、柔らかく豊かな恵みも現している自然の姿、恐怖と魅惑とが細かく入り混じる、多種多様な事物の「性質情状」を、そのまま素直に感受し、その困難な表現に心を躍らすという事になる。これこそ人生の「実」と信じ得たところを、最上と思われた着想、即ち先ず自分自身が驚くほどの着想によって、だれが言い出したともなく語られた物語、神々が坐さなければ、その意味なり価値なりを失って了う人生の物語が、人から人へ大切に言い伝えられ、育てられてこなかったわけがあろうか>>(6)
多種多様な事物の性質情状とは、何でしょうか。言葉にする前の何かのことでしょうか。
するとこういうことですか。まだ人々がまだ文字を知らなかったころ、言葉は発話者ごと、発話場面ごとの多様な意味を抱えていた。しかし話し言葉は、いつか消えてしまうはかないものであった。文字があって初めて、意味内容が特定され、言葉として安定する。しかし、無文字の時代のほうが、ことばはむしろ豊かであり、それが長い年月を経て、伝説として成熟していった。
<<古人の素朴な人情、人が持って生まれて来た「まごころ」と呼んでもいいとした人情と、有るがままの事物との出会い、「古事記伝」のもっと慎重で正確な言い方で言えば、―――「天地はただ天地、男女はただ男女、水火はただ水火」の、「おのおのその性質情状」との出会い、これが語られるのを聞いていれば、宣長には充分だった>>(7)
そうか、話し言葉が生まれ育っていくことばかりではないのですね。もっとその奥に、まごころと有るがままの事物が出会う瞬間がある。天地はただ天地、男女はただ男女、水火はただ水火という受け取り方によって、言葉そのものが生み出される瞬間がある。宣長はその様子を聞いていた。
<<この受け取り方から、直接に伝説は生まれて来たであろうし、又、生れ出た伝説は、逆に、受取り方を確かめ、発展させるように働きもしたろう。宣長が入込んだのは、そういう場所であった>>(8)
でも、そのときにはまだ、言葉もなかったのではないか。言葉になる直前の単純かつ激しい受止め方が、肉声を介して、上古の人々の間に渦巻いていた。そして、あるとき気付くと、私たちすべてを取り囲む国語というものが生まれていた。
宣長さんは、そして小林先生も、言語の発生という途方もない時間の経過を一瞬に凝縮させた場面にまで入り込んでしまった。そういうことでしょうか。
最後に、私なりの自問自答をお預けいたします。小林先生のお返事をいただくためには、「本居宣長」を読み返すほかはないのですが。
(自問自答)
宣長は、「上古言伝へのみなりし代の心に立かへりてみれば、其世には、文字なしとて事たらざるはなし」と述べ、小林先生は「自分等は余程利口になった積りでいる今日の人々には、人性の基本的構造が、解りにくいものになった、と彼は見ていた」と述べられています。宣長は「古事記」の注釈により、古人たちの人生観が伝説という形で生れ出た場所に入り込み、先生も「古事記伝」の訓詁により、これを追体験する様を語られます。そこには、書かれた文字の背後にそれに先行する話し言葉の在り様を見出そうという段階をさらに遡り、古人にとっての人生の在り方すなわち道についての思いが、言葉という形を取る瞬間にまで至ろうとする気迫を感じますが、いかがでしょう。
[ 注 ]
(1) 小林秀雄「本居宣長」第四十九章、『小林秀雄全作品』第28集p.188より
(2) 同p.189より
(3) 同p.189より
(4) 同p.187より
(5) 同p.187より
(6) 同p.189より
(7) 同p.188より
(8) 同p.187より
(了)