「批評家貫之って誰?」(対話ふうに)

荻野 徹

女 今度の山の上の家の塾、あなた発表の当番よね。自問自答のテーマは?

男 「貫之が批評家であるとは、いかなる意味か」だよ。

女 ああ、あの箇所ね。小林秀雄先生は、紀貫之について、「やはり、彼の資質は、歌人のものというより、むしろ批評家のものだったのではあるまいか」(新潮社刊『本居宣長全作品』第27集306頁)とおっしゃっている。どうしてここ選んだの。

男 批評家という言葉は、やはり気になる。『本居宣長』という本を読む上で、一つの鍵になる言葉かもしれないと思ってね。

女 そうね、小林先生は、別のところで、(宣長という)「この大批評家は、式部という大批評家を発明したと言ってよい」(同上146頁)とも、書かれているわね。

男 だからさ、小林秀雄という大批評家が貫之という大批評家を発明したといってよい、なんてね。

女 あなた、そんな駄洒落みたいなことでいいと思ってるの。

男 厳しいな、どうしてさ。

女 小林先生ご自身は、いま私たちが普通に使う意味での批評家だけれども、貫之が批評家であり、式部が批評家であり、宣長が批評家であるというのは、それぞれ、小林先生が、考え抜いた末に述べた言葉でしょう。「発明した」という言葉にも、何か含みがありそう。そういう、それぞれの文脈を抜きに、単純に同じ意味とは考えられないわ。

男 それぞれの文脈が大事なのは分かるけれど、その上で、同じ言葉を使ったようにも思うんだけど。

女 そうかしら。でも、こういう抽象的な議論はだめね。具体的に、貫之について、あなたの答えはどうなの。

男 要点は、貫之は、『古今和歌集』の『仮名序』において、和歌論を和文で書くことに成功した、ということだと思う。

女 文を書いたから、批評家だというの。

男 和歌を詠むのではなく、和文を書いて歌を論じたわけだから。

女 歌と文とは、そんなに違うの。

男 それはそうさ。和歌はもともと声を出して歌うものだけど、和文は黙って目で読むのだから。

女 文字の有無が問題なの。

男 うん。我が国には、固有の言葉はあっても、それを表す文字がなかった。だから、大陸由来の漢字を転用して使っていた。

女 万葉仮名ね。でも、和歌以外の言葉も、万葉仮名で表せば同じことじゃないの。

男 なんだって。

女 文字がもたらされる前だって、「その先はがけで危ない」とか、「初霜が下りたらこの作物は急いで刈り取る」とか、情報伝達のための言葉はあったはずでしょう。散文的、とでもいうのかしら。これは別に、貫之さんの発明品じゃないわね。

男 まあ、それはそうだけど。

女 もちろん、太古の昔のそのまた昔、ヒトという生物がコトバを獲得した時点にまで遡れば、思いのたけを振り絞るような、感情の表出とも意思の伝達ともつかぬ、声やら身振り手振りやらの混淆した何かが、言葉の源だったかもしれないわね。そういう光景を、言葉は歌として生まれた、なんていうこともできそう。でも、『万葉集』が編まれたころには、まがりなりにも国家なるものが成立していて、いろんな出来事を記録するための言葉の使い方もあったはずでしょう。

男 そうだね。だから、『万葉集』にも、歌そのものとは別に、題詞や左注として、作歌の場所とか経緯とか、作者についての説明とか、補足情報みたいなものが書かれているよね。でも、それらはみんな、漢文なんだ。

女 それが不思議ね。

男 話し言葉と書き言葉の間には、大きな隔たりがあるということかな。だから、初めてそれを乗り越えて、和文で自分の言いたいことが書けた貫之さんは偉い、そういうことじゃない。

女 貫之さんが偉いのは、その通りだけど、それだけじゃ、貫之さんの資質は批評家のものだった、ということにならないわ。

男 また厳しいね。そうだな。小林先生は、「言葉が、音声とか身振りとかいう言葉でないものに頼っている事はない、そういうものから自由になり、観念という身軽な己れの正体に還ってみて、表現の自在というものにつき、改めて自得するという事がある」(同上309頁)と仰っている。表現の自在っていうくらいだから好きに書けばいいのに、なんて思っちゃうな。

女 そこよね。『万葉集』の編纂者たちは、題詞や左註を、外国語である筈の漢文で自由に書くことが出来た。これもすごいことだけど、でも、それだけの能力のある人たちが、和文を書くことはしなかった。

男 できなかったということ? でも、なぜだろう?

女 それが、和文の「体」ということかしら。

男 「体」というのは、文体みたいなことかな。

女 その辺は、私も、正確につかんでいるわけではないけれど、もっと根本的な、書き言葉の型みたいなもののことじゃないかしら。夏目漱石が、言文一致の現代書き言葉を作った、なんていうでしょう。

男 それは聞いたことがある。理屈はよくわかんないけど、実際、漱石は読めても、樋口一葉なんて歯が立たない。

女 それはあなたご自身の問題が、あっ、ごめんなさい、話を戻すわね。作者一人一人のスタイルの違いというより、もっと根本的な、書き言葉の型のようなものが必要なのじゃないかしら。貫之の『仮名序』によって、その型が生まれた。

男 なるほどね。でも、さっきの意趣返しじゃないけど、『仮名序』に何らかの型を見いだせるとしても、それだけじゃ、貫之が批評家であるという意味は明らかではないよ。

女 そうね。むしろ、「論文が和風に表現されたのは、これが初めてであった」(同上308頁)というところにヒントがありそうね。

男 和風に表現する、というところ?

女 ええ。表現するためには、形式がいる。小林先生は、「貫之は、自分で工夫し、決定した表現形式に導かれずに、何一つ考えられなかった筈である」(同上308頁)と書かれているでしょう。

男 表現形式なんていうと、なにか、出来合いの鋳型みたいなイメージがわいてしまうけど。

女 そうじゃないの。自分の考えを導いていく筋道というか、自分の考えをまとめることと、それにふさわしい言葉を与えることとが、表裏一体になっている。そういう働き全体が、「自分で工夫し、決定した表現形式」なのじゃないかしら。

男 それが、「和歌の体」に対応する「和文の体」ということなのかな。

女 湧き上がる思いがあってもそれがそのまま歌になるわけではない。歌として完成するためにはそれにふさわしい表現形式を持つ必要があるでしょう。そういう和歌の体があってこそ、歌に込められている思い自体がはっきりと見えてくる。

男 和文については、どうなるのかな。

女 から歌とやまと歌の違いについては、『万葉』のころから、なんていうのかな、言わずもがなの機微として、歌人たちは分かっていたはずよね。そのあたりの微妙なところを、貫之は、「やまと歌は、人の心を種として」と書いた。

男 ああ、そうか。貫之がそういうふうに書けたということは、そういうふうに考えることが出来たということでもあるんだね。それが批評というわけか。

女 ええ。貫之は、「和歌では現すことが出来ない、固有な表現力を持った和文の体」(308頁)を作り出すことによって、歌を詠むのではなく、詠むことについて深く考えて、表現した。そのとき、考えることと表現することとは、混然一体で、切り離すことはできないのね。

男 すると、こうかな。心の中の思いとしては、似たような事柄が浮かんだり消えたりするかもしれないけれど、その思いにふさわしい姿かたちを与えられるかどうかは別のことなんだ。だからこそ、和歌にとって「和歌の体」が肝心であるのと同じ意味で、和文にとっては「和文の体」が決定的なんだね。ずいぶん頭が整理された気がする。ありがとう。

女 でも、自問自答を三百字で書けるかしら。きちんとした和文の体で。

男 とことん厳しいなあ。でも、書いてみることにするよ。

(了)