小林秀雄氏は「源氏物語」の最後の巻である「夢浮橋」について、「此の物語の一見異様に見える結末こそ、作者の夢の必然の帰結に外ならず、夢がここまで純化されれば、もうその先はない。夢は果てたのである。宣長は、そう読んだ筈なのである」と言っているが、どうして、この「夢浮橋」の結末が、作者、紫式部の夢の必然の帰結に外ならないのか?
この私の疑問が生まれた背景となる、小林氏「本居宣長」の本文を精読してみよう。
――彼は、「夢浮橋」という巻名は、「此物語のすべてにもわたるべき名也」(「玉のをぐし」九の巻)と書いている。但し、古註が考えたように、「世の中を、夢ぞとをしへたるにはあら」ず、「たゞ、此物語に書たる事どもを、みな夢ぞといふ意」であり、その「けぢめ」を間違えてはならぬとはっきり言う。それにしても、「光源氏ノ君といひし人をはじめ、何も何も、ことごとく、夢に見たりし事のごとくなるを、殊に、はてなる此巻の、とぢめのやうよ、まことにのこりおほくて、見はてずさめぬる夢のごとくにぞ有ける」と、当時の物語としては全く異様な、その結末に注意している。
だが、宣長がここで言う夢とは、夢にして夢にあらざる、作者のよく意識された構想のめでたさであって、読者の勝手な夢ではない。見はてぬ夢を見ようとした後世の「山路の露」にも、延いては「源氏」という未完の大作を考える最近の緒論にも、宣長の「源氏」鑑賞は何の関係もない。「夢浮橋」という巻名は、物語全巻の名でもある、という彼の片言からでも明らかなように、式部の夢の間然する所のない統一性というものの上に、彼の「源氏」論は、はっきりと立っていた。此の物語の一見異様に見える結末こそ、作者の夢の必然の帰結に外ならず、夢がここまで純化されれば、もうその先きはない。夢は果てたのである。宣長はそう読んだ筈なのである。(新潮社刊「小林秀雄全作品」第27集p.166)
上記の文章の中に「夢」という言葉が十五回も使われている。即ち「夢」がここでは重要なキーワードとして取り扱われていることが分かる。
さて、「宣長がここで言う夢とは、夢にして夢にあらざる、作者のよく意識された構想のめでたさ」と小林氏は言っている。宣長もこの結末について、「まことにのこりおほくて、見はてずさめぬる夢のごとくにぞ有ける」と言っている。つまり、式部の「和漢無双の名手」としての筆力により、「物のあはれ」を強く感じさせつつ描かれた結末が、一旦これを読んでしまえば、これ以外にないと思われる豊富な余韻を残して終わっている。そこに、改めて作者の「よく意識された構想のめでたさ」が感じられるので、小林氏は「作者、紫式部の夢の必然の帰結に外なら」ないと断言したのではないか、というのが私の自答である。
ここで物語の結末がどうなっているのか、さらに具体的に検証してみよう。
要約すると、薫と匂宮という二人の男性に愛されて、その間で心が揺れ動いていた浮舟が自殺を図るが、宇治の院の庭で倒れていたのを助けられ、一命を取り留めて、その後、出家する。一方、浮舟が自殺したと思われた一年後、浮舟が生きているという噂を薫は聞きつけ、浮舟の弟に手紙を託して、ぜひとも会いたいという気持ちを浮舟に伝える。しかし、浮舟はその弟に面会もせず、帰してしまう。そこで、薫はなぜ返事すらくれないのか、あれこれ考えた末、自分がかつてしたように、他の男がかくまっているのではないか、と想像したところで終わるのである。
物語の一つの終わり方としては、浮舟が弟と涙の再会を果たして、薫とよりを戻すという大団円もあるのではないかと最初は考えたが、薫と匂宮との間で悩み抜いた末、死まで決意した浮舟が、再び元の鞘に収まることはないはずで、ここは薫の申し出を断固として拒否することしか考えられないだろう。つまりは、その一連の流れが紫式部の夢の必然の帰結となる。
以上のようなことを山の上の家の塾で発表したところ、池田雅延塾頭は、小林氏がここで使っている「夢」という言葉は、氏の文壇デビュー作である「様々なる意匠」に出てくる、「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」の中の「夢」と同じものであろうと語られた。その瞬間、暗い足元ばかりを見て右往左往していた頭の中が、ぱっと明るく照らし出されたように感じた。それまで漠然としていた「夢」という言葉が、しっかりとした形、敢えて言うなら、「思想」という言葉に近いものとなって目の前に現れた。ここで、「思想」という言葉は、「イデオロギー」というような外向き、集団に向けたものではなく、小林氏が大変重要な意味を持たせている、人の核心のようなもの、その人をして、人生いかに生きるべきかを決定していく指針のようなものである。
「様々なる意匠」の、最も重要な主張とも言えるその個所は以下の通りである。
――所謂印象批評の御手本、例えばボオドレエルの文芸批評を前にして、船が波に掬われる様に、繊鋭な解析と溌溂たる感受性の運動に、私が浚われて了うという事である。この時、彼の魔術に憑かれつつも、私が正しく眺めるものは、嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢だ。それは正しく批評ではあるが又彼の独白でもある。人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別し得よう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事ではない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!(同第1集p.137)
池田塾頭はさらに、小林氏の、「式部という大批評家」(同第27集p.146)という言葉も取り上げられた。そして、「源氏物語」は、「式部という大批評家」が己の夢を懐疑的に語った産物であるということを示唆された。「本居宣長」の随所で宣長の一貫性を語る小林氏であるが、氏自身もまた、デビュー作から最後の大作まで、見事に一貫性をもった信念を胸に抱きながら筆を進めて来たことに感嘆せざるを得なかった。
それから日を置かずして、池田塾頭による、小林氏の「還暦」という作品についての講義があった。この中で気になった「円熟」という言葉について、氏はこう言っている。
――成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。何かが熟して生れて来なければ、人間は何も生むことは出来ない。……
――自由に円熟なぞ、誰にも出来ない。円熟するには絶対に忍耐が要る。……
――忍耐とは、省みて時の絶対的な歩みに敬意を持つ事だ。円熟とは、これに寄せる信頼である。……(同第24集p.121、122)
頭の中の記憶を頼りに、過去の小林氏の作品を紐解くと、この「円熟」という言葉が使用されている作品が二つ見つかった。最初は小林氏が三十二歳の時に訳して本になったポール・ヴァレリーの「テスト氏との一夜」(同第6集所収)である。
――持続というものの精緻な芸術、即ち時間というもの、その配分とその制度、――択り抜きの事物を特別に育て上げる場合の時間の消費量、――これがテスト氏の大きな探求の一つであった。彼は若干の観念の反覆を監視しては、これを数でこなした。その結果彼の意識した研究の応用は、遂に機械的なものとなった。彼はこの仕事全体を要約しようとさえ努めたのである。屡々彼はMaturare!(円熟せよ!)という言葉を口にした。(同第6集p.20)
ちなみに、「Maturare!」の訳については、「成熟せよ!」という他の翻訳者の訳文もある。「小林秀雄全作品」の脚注には、「ラテン語の他動詞maturo(成熟させる)の命令法受動態二人称単数形。受動態になることで意味は自動詞化し、『成熟せよ』となる」と書かれている。つまり、小林氏は通常は「成熟せよ!」と訳すべきところを、そこからさらに熟度を深化させ、「円熟せよ!」と敢えて訳しているのである。いずれにしても、小林氏が若い頃から「円熟する」という事に強い関心を寄せていたことは間違いないだろう。さらに言えば、これは単なる訳ではなく、むしろ自身の言葉として、自らに「円熟せよ!」と戒めの意味も込めて語ったものと感じられる。
次に出てくるのは小林氏が四十六歳の時に行われた坂口安吾との対談である。
――まあどっちでもよい。それより、信仰するか、創るか、どちらかだ――それが大問題だ。観念論者の問題でも唯物論者の問題でもない。大思想家の大思想問題だ。僕は久しい前からそれを予感していたよ。だけどまだ俺の手には合わん。ドストエフスキイの事を考えると、その問題が化け物のように現われる。するとこちらの非力を悟って引きさがる。又出直す、又引きさがる、そんな事をやっている。駄目かも知れん。だがそういう事にかけては、俺は忍耐強い男なんだよ。癇癪を起すのは実生活に於てだけだ。……
――だから、進歩ぐらいしてやるけどさ、俺はほんとうは円熟したいんだ。……(同第15集p.232、235)
これは、小林氏の骨董趣味に対して執拗に食って掛かる安吾に、氏が思わず本音を漏らしたと思えるような箇所であるが、既に「忍耐」という言葉も共に出てきており、「還暦」における「円熟」という言葉は、この頃には氏の脳髄に染み渡っていたと思える。
こうして見ると、先に述べた「夢」という概念と同様、「円熟」という概念についても、小林氏の若い頃からの見事な一貫性を示し、人生いかに生くべきかということを模索し続けた氏の生き方を凝縮したような言葉と言える。そして、「本居宣長」という作品こそ、小林氏の批評家としての「夢」が結実したものに違いない。但し、この「夢」は「様々なる意匠」で使われている「夢」と同じものではない。その頃の小林氏の「夢」はまだ成熟はしていなかっただろう。それが、氏の絶え間ない「忍耐」を通じてやがて成熟し、さらなる「忍耐」によって遂に「円熟」に達したものが、「本居宣長」における氏の「夢」なのであるから。
今回の池田塾頭の二つの講義では、小林氏の複数の作品が連携し合って、さらに豊かな思想の物語が紡ぎ出されるということを教えて頂いた。本稿で取り上げた「夢」と「円熟」以外にも、小林氏の一貫性を示す言葉は、探せばきっとまだまだ見付かるに違いない。引き続き「本居宣長」を熟読しつつ、過去の作品も紐解きながら、小林氏の思想の全貌に少しでも近付くことが出来ればと思う。
(了)